東京電力に対する債権放棄をめぐる議論の混迷

森本紀行
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前回の「東京電力に対する債権放棄をめぐる枝野官房長官の奇怪な法律論」の続論ですね。ただ、この問題については、東京電力の賠償履行支援に関する政府の法案が発表されるまでは、何もはっきりしたことはいえないのでは。

 そうですね。与謝野経済財政大臣は、22日のNHK番組で、枝野官房長官が東京電力に対する債権放棄を金融機関に促したことについて、「金融機関の善意や良識に頼って、賠償スキームを作るというのは、甘いのではないか」と述べ、また、「人の善意や良識に頼ったおセンチな議論をするのではなく、債権放棄を銀行に求めるなら、法的根拠に基づいた債権放棄の求め方をしないといけない」とも述べられたとのことです。
 この与謝野大臣の発言は、私の理解では、債権放棄を求めることに反対しているのではなく、債権放棄を求めるならば、法的手続きによるべきだ、という至極当たり前のことをいっているのだと思います。枝野長官といえども、必ずしも単に金融機関の自主的な債権放棄を求めたのではなく、東京電力賠償支援関連法案の中で債権放棄を盛り込む可能性を示唆しているのでしょう。少なくとも、現時点の枝野長官の立場は、そうです。
 ということで、この問題、全ては、これから発表される法案の内容に持ち越されたのです。


しかし、その法案については、政府原案がすんなり通るとも思えず、国会の審議過程では、いろいろな議論がでるでしょうね。そのときに大切なことは、しっかりとした原理原則を押さえておくことです。まさか、いかに非常事態対策とはいえ、金融に関する法秩序を乱すことは許されないのですから。

 そうです。今回の趣旨は、まさに、その投資の前提となる金融の原理原則、揺るがすことのできない経済的権利にかかわる法秩序の根幹、その再確認を意図するものです。


まずは、「原子力損害の賠償に関する法律」の枠組みにおける、東京電力の責任と政府の役割についての確認からいきましょう。

 これまでの論考でも確認してきたことですが、今の事態は、「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条の規定で、政府は、「原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする」とされている、その政府の援助のあり方の問題に移行しているのです。
 東京電力は、5月11日、海江田万里原子力経済被害担当大臣宛に、「原子力損害賠償に係る国の支援のお願い」をしていて、その中で、「原賠法第 16条に基づく国の援助の枠組みを策定していただきたく、何とぞよろしくお願い申し上げます」と要請しているのです。
 これに対して、政府は、13日に、「東京電力福島原子力発電所事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて」を公表し、正式に支援の枠組みに関する法案の準備に入った、というのが現時点の情勢です。
 私は、一貫して、「原子力損害の賠償に関する法律」の第三条による東京電力の免責を主張する立場ですが、この免責論は、将来、何らかの訴訟が起きるときまで持ち越しです。いまは、東京電力の賠償責任、無限かつ責任集中という厳しい賠償責任を前提として、社会は動いているのです。
 これまでも何度も論じたことの確認ですが、第三条の免責を排する限り、東京電力のみが無限の賠償責任を負い、政府責任は、その東京電力の賠償履行の援助にとどまる、というのが法律の仕組みです。これは、絶対に変えようがない。「原子力損害の賠償に関する法律」に基づく政府援助について、その根拠法自体に反するような法案は、論理的に絶対にあり得ない。もしも、政府の直接的な補償責任を認めるならば、第十六条を排して、第三条による東京電力の免責を認め、全く新たな政府補償法案を作るしかない。
 そういう意味では、例えば、電気事業連合会の八木会長が、18日に資源エネルギー庁長官宛にだした「「原子力損害賠償に関する政府支援の枠組み」への要望」の中で、「東京電力だけでなく国も賠償責任を果たしていくべきと考えます。国が行う賠償負担について明確化するよう要望します」と述べているのは、言葉の揚げ足を取るようではありますが、不適切な表現だと思います。もっとも、電気事業連合会としては、第三条免責適用への含みを残しておきたいという意図なのかもしれませんが。
 いずれにしても、法律上、より正確には政府の法律解釈上、政府に賠償責任はない。法律上の政府責任は、東京電力の賠償履行支援だけです。この点、政府の立場は厳格です。13日の「東京電力福島原子力発電所事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて」の中でも、一貫して、原子力損害の賠償に関する政府の支援という厳密な表現を用いています。こういうところは、さすがに政府だけあって、法律の適用は論理的です。


政府は、直接的な補償責任を負わず、間接的な東京電力支援責任を負う、というのが仕組みですが、実質的には、政府の援助範囲の広さの形で、政府責任が明確になるということですね。

 そうでなければ、国民は納得しないでしょう。政府だって、そこはわかっているから、支援の枠組みの中でも、「政府は、これまで政府と原子力事業者が共同して原子力政策を推進してきた社会的責務を認識しつつ、原賠法の枠組みの下で、国民負担の極小化を図ることを基本として東京電力に対する支援を行う」と表明しているのです。
 論点は、「国民負担の極小化を図ることを基本として」という政策課題を明示したことですね。結局は、東京電力を免責にしないことの政治的な理由が、ここに明確に示されているのです。いうまでもないですが、この政策の方向性の中から枝野長官の債権放棄論がでているのですから、支援法案の中では、東京電力の債権者と株主の権利については、それなりに厳しいものが示されるのだと考えられます。今は、その牽制のために、超法規論も含めて、利害ある方々から、政府批判がでているということでしょう。
 この政策、一方で、政府の原子力政策の責任を認め、他方で、政府の財政支出額を小さくすることを意図し、かつ東京電力を矢面に立たせて政府は後ろに隠れるという、なかなかに見事な戦術ではあるのです。
 なお、念のため申しますが、政府は、東京電力に対する確認事項の第1項で、東京電力に対して賠償に上限を設けないように求める一方で、「具体的支援の枠組み」第3項では、機構を通じてではありますが、「援助には上限を設けず」としています。これも、上手にできていて、東京電力の無限責任は、政府の無限責任に吸収しているのです。政府も、批判には、それなりに対応していて、政府責任の明確化は進んでいます。この点は、素直に評価すべきだと思います。


超法規論的な牽制という意味では、19日の記者会見における全国銀行協会の奥会長の発言は面白いですね。銀行は大きな影響を受ける可能性のある利害関係者ですからね。

 奥会長は、私と同じく、東京電力免責論者ですから、政府が免責を否定したことについて、「どうしてかなぁ、と思う」と述べておられます。これはいいのですが、超法規論的発言は、次のようなものです。
 「今回の場合、原子力損害賠償法という法律があって、そこに出てくるのは、国と原子力事業会社であり、両当事者が、どういう賠償の分担をしていくのか。この両者で問題を解決していく、分担していくということであり、その他の債権者、株主とか社債権者、金融債権保有者、納入業者、そういう方たちには負担を負わせないという枠組みであると、私は理解している」
 これは、第三条の免責を主張するのならば、それなりに筋の通る法律論ですが、第十六条の政府援助については、全くおかしな議論です。というよりも、社会常識論としても、意味がわからない。そもそも、納入業者はともかく、原子力事業会社の「債権者、株主とか社債権者」が負担しないで、一体どのようにして原子力事業会社が負担できるのでしょうか。
 原子力事業会社が負担することは、政府が支援の枠組みでいう通り、「全てのステークホルダーに協力を求め」ることでしょう。しかも、全てのステークホルダーに均等に負担を求めることではなくて、各ステークホルダーの法律上の地位に従って、合理的な負担を求めるということでしょう。この趣旨から、枝野長官の債権放棄論になっているわけで、奥会長の発言は、反論としては弱い。
 もっとも、賠償負担を全て電力料金に寄せるという趣旨かもしれません。奥会長は、別の文脈で、「電気事業法で価格転嫁も含めてきちんと事業者が電力の供給責任を果たせる形になっている」ことを指摘されています。これだと、確かに、賠償負担は、債権者や株主にはいかない。
 私は、前回の論考でもいいましたが、法律の趣旨からして、電気料金に転嫁できるのは、火力等の他の発電を増やすことによる費用増と、原子力発電施設の安全基準を大幅に引き上げることによる費用増だけだと思います。賠償費用は、電力料金に含められないでしょう。この点、法律改正をしたら(あるいはしないでも)可能かということですが、国民の理解が得られるのかという面から、かなり難しいのではないでしょうか。実際、政府は、賠償費用の直接的な電力料金転嫁には、極めて慎重な姿勢だと思われます。


奥会長は、例の3月31日の約2兆円といわれる追加融資にも言及していますね。

 おそらく、この問題が、今後、最大の論点になるのではないでしょうか。奥会長は、「電気事業者の電力供給を止めてはならない」という社会的責任のほか、先ほどあげた「電気事業法で価格転嫁も含めてきちんと事業者が電力の供給責任を果たせる形になっている」ことも「読み込んで、弁護士意見もとって」融資したと述べています。また、枝野長官も、この追加融資については、「少し別に考えなければいけない」と述べていて、政治的にも難しい背景のあることを示唆しています。
 しかし、前回も述べたように、法律上は、事故後の追加融資だけを特別に保護することは困難だと思われます。従って、支援法案の中で法的手続きへの移行が行われるとして、その時、法律手続きとして債権の一部放棄が行わるとしたら、追加融資の実行についての銀行経営上の妥当性が、厳しく問われることになるのだと思います。


奥会長は、政府の「具体的な支援の枠組み」9項目のうち、第3項にある「機構は、原子力損害賠償のために資金が必要な原子力事業者に対し、援助(資金の交付、資本充実等)を行う。援助には上限を設けず、必要があれば何度でも援助し、損害賠償、設備投資等のために必要とする金額のすべてを援助できるようにし、原子力事業者を債務超過にさせない」に注目されていますね。

 これも、よく書けているのですよ。原子力事業者を債務超過にさせないということからは、奥会長が期待するような債権の保全はでてこない。援助形態として、括弧書きで「資金の交付、資本充実等」という、敢えて債務ではなくて、資本勘定への援助をあげています。だから、債務超過が回避できるのです。当然のことでしょうが、明示はしていないですが、債務超過回避の方法として、債務の圧縮(即ち放棄)も想定するのが、むしろ自然な理解でしょう。
 もっとも、債務の圧縮方法には、債務の資本への転換という方法もあるのだから、一概に、債権放棄とはならなくてもいいのです。おそらくは、支援法案の中で、そのような弾力的な対応を可能にするような対策が取られるということなのでしょう。


最後に、東京電力社債について。

 これについては、何も新しい情報はない。ただし、念のためですが、電気事業法第三十七条の先取特権といえども、先取特権が意味をなさない程度にまで債務超過が進めば、毀損が生じないとはいえない。電気事業法第三十七条は、電力会社の資産の範囲内の優先権を定めるもので、外部(例えば政府)からの保証を定めるものではないのですから。
 この社債の保護の問題も、支援法案の中の重要論点でしょうね。


最後の最後に、東京電力株式について。

 社債、融資、株式の順に、権利保全される。既に、社債と融資にこれだけの問題がある中で、現在の株主の権利は、風前の燈火ですね。新資本の注入は既定路線でしょう。そのとき、完全減資してから資本注入すれば、全損です。
 仮に既存株主をそのまま存置させても、例えば、300円の株価で10億株を新規発行して、手取り3000億円にすぎないのだから、3兆円調達すれば、100億株発行することになり、現株数の約16億株に対しては、極端な稀薄化がおきます。もともと、株式というのは、そういうものでしょう。
 もっとも、政府援助を対価のない補助金形態(奥会長も、古い国会答弁に支援形態に補助が含まれるとするもののあることに、言及しています)とすれば、確かに益金として資本の増加になるが、株式の希薄化はない。しかし、補助金は、東京電力(あるいは新東京電力)再生のおりにも、政府に返せない。援助資金の回収を前提とし、さらに希薄化をさけるとしたら、劣後融資などになるのでしょう。
 要は、株主に、どの程度の損失負担を求めると、国民の理解が得られやすいか、という政治論になるのでしょう。ただし、株式が、資本構成上、最も劣後すること、株式とは、そういうものだということ、この法秩序だけは、乱すことは許されないということです。
 最後の最後に、念のために申します。株式の価値については、法的手続きへの移行の前後で断絶が生じることに、当然の理解はあるでしょう。債権も同じです。といいますか、債権の場合は、逆に、債権の位置づけに断絶を置くために、法的手続きへの移行が不可欠になっているのです。そうでなければ、企業再生関連の諸法の存在自体が意味をなさなくなります。
 東京電力が免責にならないことが決まった(行政解釈として暫定的に決まったということで、最終的に司法的に確定したということではない。このことは、枝野長官も言明している)13日に、東京電力は巨額な賠償債務を負担し、その時点で、実質的に債務超過になったのです。これは、被害の大きさと、現時点での1兆5000億円程度の自己資本からみて、自明でしょう。今行われていることは、その債務超過からの脱却と再生を意図した特別法の制定作業です。東京電力は、もはや、事実上の法的管理下にあるのです。単に、その法的管理の仕組みが決まらないだけです。
 今後の議論は、この基本認識の上に行われるべきです。

以上


次回更新は、6月2日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。