東京電力に対する債権放棄をめぐる枝野官房長官の奇怪な法律論

森本紀行
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枝野官房長官は、東京電力に対する銀行等の債権について、一部の放棄を求めるかのような発言をしました。例によって、法律上の根拠の不明な発言ですが、今回は、この問題を取り上げましょう。

 事実関係からいうと、13日の記者会見において、枝野長官は、「政府は公的資金注入の前提として銀行とステークホルダーの自助努力を促してきたが、地震前の東電の借入金について一切債権放棄なされない場合でも国民の理解を得られると思うか」との記者の質問に対して、以下のように答えました。
 「まず一つは3月31日だったと思うが、地震発生後にプラント収束の東電の責任ということも考慮されたのだと思うが、新たな追加融資がなされている。これについては、少し別に考えなければいけないだろう。そのことは、国民にも周知をしなければいけないだろう。それから、3月11日以前からの融資については、現時点では民民の関係なので発言には注意したいが、お尋ねのような国民の理解の得られるかといったら、それは到底できない、得られることはないだろう」
 重ねて、「公的資金注入が行われない可能性があるということか」との質問を受けたのに対しては、「私はそう思っている」と答えました。
 これが、事実上、銀行等に債権放棄を求めたものとして、銀行株の株価下落の引き金になるなど、大きな反響を生んだ発言です。
 実は、この発言、論点は三つあるのです。第一は、銀行等が一切債権放棄をしないことに国民に理解は得られるかという論点、第二は、政府が、東京電力の賠償負担を経済的に支援することの条件として、銀行等に一部債権放棄を求めるのかという論点、第三は、3月31日に主力銀行等が行ったとされる約2兆円といわれる追加融資について、特別な取り扱いがあり得るのかという論点、この三つです。


では、順番にいきますか。最初に、国民の理解ということについて。

 記者の質問は、実は、債権放棄を求めるのかという直截なものではなく、債権放棄を求めないことに国民の理解は得られるか、という形であったのです。それに対して、枝野長官は、「得られることはないだろう」と答えたにすぎません。
 更に、17日の記者会見では、枝野長官は、「先週、長官が東電の金融機関の債権放棄を含む協力要請をした。株主や社債の減資などについてどう考えるか」との記者の質問に対して、「まず私が言ったのは、国民的な理解が得られるかというお尋ねがあったので、それについての見解を申し上げたものだ」と答えています。
 17日の記者の質問は、実は、正確ではないのです。枝野長官は、「東電の金融機関の債権放棄を含む協力要請」などしてはいないのです。世論が、事実上、債権放棄要請をしたと捉えたのにすぎません。この点、枝野長官の立場は妥当なのです。私も、金融機関の債権放棄なしに、政府が東京電力の賠償実行に対する経済援助を行えば、国民感情の反発は避けがたいと考えます。
 もっとも、枝野長官の上手な責任回避的な発言の技法からいうと、これは、よくできています。政府の責任を、国民感情のほうに押し付けているのですね。債権放棄に関する政府見解ではなくて、債権放棄に関する国民感情についての政府見解の形をとっているのです。なかなか見事ですが、これは、枝野長官の手柄というよりも、13日に「国民の理解を得られるか」という形の質問した記者が、あまり上手でなかったということでしょう。


では、第二の論点。政府の東京電力の賠償履行支援の前提として、銀行等に一部債権放棄を求めることになるのかということ。

 ここでも、記者の質問がよくないのですね。この記者、「公的資金注入の前提」という表現を使っている。もしも銀行等が債権放棄しないならば、「公的資金注入が行われない可能性があるということか」との再度の質問に、枝野長官は「私はそう思っている」と答えたのです。
 さて、この「公的資金注入」という表現で、どのような東京電力の賠償履行支援の方法が想定されていたのか、よくわかりませんね。もしも、政府による賠償履行支援全体を広く指すものだとしたら、政府援助の前提として、銀行等に一部債権放棄を求める、という意味になるのでしょう。少なくとも、枝野長官の個人的見解としては、そのような趣旨を述べたのだと思います。
 ただし、「公的資金注入」を、政府による賠償履行支援の中の一つの段階として狭く解し、例えば、政府案にある機構からの出資のような方法の具体化と関連させて、債権放棄の可能性を示唆しているとも受け取れるようですね。事実、枝野長官は、「現時点では民民の関係なので発言には注意したい」といっていて、今後、「公的資金注入」が行われて、官民(政府と銀行等との間)の関係に移行すれば、債権放棄要請が行われるという示唆なのかもしれません。
 いずにしても、銀行等の立場からは、法律上の根拠なくしては、債権放棄など絶対にあり得ないわけだから、枝野長官は、かように重大な発言をするときは、発言の根拠となる法律構成を説明しなければならないのです。
 根拠不明な発言でも、政府要人の発言であれば、銀行の株価下落を誘発するだけの力があるのだから、注意してもらわないと困る。実際、こういう場合の株価下落の損失の責任について、枝野長官は、どう考えているのでしょうかね。


その法律論が、今回の主題の「枝野官房長官の奇怪な法律論」になるのだと思いますが、その前に、先ほどの第三の論点、3月31日の約2兆円といわれる追加融資について、特別な取り扱いがあり得るのかという論点を確認しておきましょう。

 まず事実を確認しましょう。記者は、「地震前の東電の借入金について一切債権放棄なされない場合でも国民の理解を得られると思うか」という質問をしているのです。わざわざ、「地震前の東電の借入金」を特定して質問した背景はわかりませんが、しかし、何か背景があるなら、興味深いですね。
 これに対して、枝野長官は、「3月11日以前からの融資については」と限定した上で、債権放棄なしでは国民は納得しないだろうと、発言したわけです。一方、事故後の3月31日の約2兆円の追加融資については、「少し別に考えなければいけない」と述べたのです。
 これには、「3月31日の追加融資は、なぜ違うのか」と質問が、記者から重ねてでています。この質問に、枝野長官は、「事故によって生じた財務内容というものについてを前提にした中で、金融機関にも当然協力頂くものと思っているが、事故発生以降の状況の中においても、様々な判断というのは、様々な経緯状況が異なっているので、それはこうしたことの協力をどう東電が求められるのかということにあたっては、大きな考慮要素になるだろうということを申し上げている」と答えています。はっきりいって、何をいっているのか、日本語として理解できない回答です。
 当然でしょうが、記者からは、「政府として、保護する対象になるということか」という確認の質問がでる。これには、枝野長官は、「これは民民の関係だ。東電とそれぞれの金融機関との間の民民で東電が協力を仰ぐ。各金融機関がそれに応じるのかどうかという問題だ。政府としては、そうした努力の成果を踏まえて、東電を通じた被災者支援というやり方を前に進めるのかどうか。それとも違ったことを取らざるを得ないのかということの政府の判断は、民民の関係に介入するのではなく、それを前提に、政府としての対応の仕方が判断されるという性格のものだ」という、これまた不明瞭な言語で意味不明なことを述べています。
 どうも、難解な言語を解釈すると、各金融機関相互間、各金融機関と東京電力の間という、「民民」の問題として、3月31日の追加融資については、特別の配慮を検討して欲しいという、政府の希望を述べたようですね。
 例によって、枝野長官の発言は、政府責任を一切明確にしないのです。「政府として、保護する」などという責任ある確言は一切しない。これは、枝野長官だけでなく、菅総理大臣をはじめ政府全体の態度です。政府としては保護できないが、民間でうまくやってくれ、政府の希望は、3月31日の追加融資は、仮に債権放棄があるにしても、放棄の対象としないどころか、優先弁済の対象にして欲しい、とまあ、そのような感じの無責任な発言のようです。
 それにしても、3月31日の追加融資について、政府として特別に保護したいとの姿勢があるのは、なぜなのでしょうね。もしかすると、この融資実行の裏に、政府の要請があったかもしれませんね。この辺は、不透明です。


では、いよいよ、「枝野官房長官の奇怪な法律論」ですが、論点は、今挙げた論点のうち、第二と第三のものに関するわけですね。つまり、法律上の論点は、第一に、銀行等が債権放棄に応じ得るとすれば、どのような条件を充足したときなのか、第二に、3月31日の追加融資について、債権としての優越的地位を付与し得るか、この二つですね。

 銀行等が債権放棄に応じ得るためには、東京電力を何らかの法的な管理下におくことが必要だと思います。
 政府は、東京電力は全てのステークホルダーの協力を求めるべきだと、との立場です。これも、私には、気に入らないのですが、政府自身が全ての東京電力のステークホルダーの協力を求めているのではないのです。あくまでも、東京電力が全てのステークホルダーに協力を求めるべきだ、といっているのです。この辺の政府の責任回避は、実に徹底していて、妙に感心するほどです。
 ともかく、全てのステークホルダーの協力という枠組みの中に、債権放棄論があるのは明らかです。全てのステークホルダーの協力ということは、趣旨としてはわかるのですが、一方で、各ステークホルダーの法律上の権利については、優先劣後関係があるのも事実です。そもそもが、権利の優先劣後関係を定めるのが、法秩序です。その法秩序を守るのが政府の仕事です。まさか、政府自身が、法秩序を乱すことはできない。
 今、ステークホルダーのうち、銀行等の債権者、社債権者、株主に限った議論をしても、この三者間には、権利の優先劣後関係があります。その優先劣後の法秩序は、どのようなことがあっても、乱すことは許されない。もしも乱せば、金融取引の安定性が損なわれて、信用の秩序そのものが瓦解してしまう。そのような事態は、亡国の事態であり、断じて認めがたい。
 電力会社の場合、電気事業法の第三十七条に特別な規定があって、社債権者は、電力会社の財産について「他の債権者に先だって自己の債権の弁済を受ける権利を有する」とされています。いわゆる一般担保付社債の規定です。これにより、社債権者、債権者、株主の順番で、権利が強いことになります。
 枝野長官の発言の裏には、約5兆円もある東京電力社債の問題があったのだと思われます。電気事業法で保護される社債の存在、だから、損失負担を求めるとしたら、債権者という論理なのでしょう。しかし、論理は破綻している。もしも、法秩序に従って、社債権者を、損失負担を求める全てのステークホルダーから除外するなら、同じ秩序に従って、なぜ、債権者よりも先に、株主に損失負担を求めないのでしょうか。
 株主は、株価の下落による損失を蒙っているというのかもしれませんが、株価変動による損失は、株式の法律上の権利の変動による損失とは、明確に異なります。債権者に損失負担を求める前提として、株式の法律上の権利の変動は、不可避だと思います。そして、そうするためには、何らかの法律的手続きへ移行することが必要なのです。正式な法律手続きによらない限り、銀行等としても、自らの株主等に対する責任上、絶対に債権放棄などできない道理です。
 もっとも、最近は、政府責任を認める方向へ傾いてきているようにもみえます。枝野長官も、先ほど触れましたように、「現時点では民民の関係なので」と断っていて、いずれ、何らかの法律上の続きで、「民民の関係」を改める用意もあるようですね。もしも、それが、東京電力の「官」化ならば、その過程で、既存株主と、新しく株主になる「官」(いわゆる機構でしょうか)との間で、権利調整が行われ、既存株主に何らかの損失負担が発生するという目論見なのかもしれません。今後に注目です。


では、3月31日の追加融資の保護の問題はどうなりますか。

 3月31日に、どのような仕組みで銀行等が追加融資したのかは、情報がないので、わかりません。もしかすると、この追加融資分について、何らかの契約上の優先権を付与しているのかもしれません。ただ、常識的に考えると、その時点での既存の債権者の地位を低下させる行為について、はたして、法律的に有効な方法はあり得たのかどうか、よくわかりません。
 ですから、私には、実は、この追加融資の実行は、非常に大きな驚きでした。この融資実行時で、既に、東京電力の債務者としての地位は、非常に困難なものになっていました。既存融資の安全性が問題となる中で、どうして、新規融資が実行できたのでしょうか。政府の要請があったからでしょうか。まさか、政府から裏念書の保証をもらったわけでもないでしょうに。あるいは、当時は、原子力損害の賠償に関する法律のもとでの、東京電力の免責(私の一貫した主張)を、銀行等は、前提にしていたのでしょうか。本当に、よくわかりません。
 いずれにしても、この追加融資に明確な法律上の保護を与える方法はあったのです。それが、法的手続きへの移行でした。法的手続きへ移行した後の当面の運転資金の融資については、弁済の優先権を与えることができたはずです。それをしないでは、常識的に考えて、銀行等の新規融資はあり得なかったのではないでしょうか。
 さて、枝野長官ですが、一体、どういう法律論を念頭に、この追加融資について、「少し別に考えなければいけない」といったのでしょうね。全くわかりません。

以上


次回更新は、5月26日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。