なぜ東京電力について冷静な議論ができないのか

森本紀行
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東京電力の原子力事故を巡っては、緊急の課題であるはずの原子力損害補償の問題を差し置いて、脱原子力へ向けたエネルギー政策の転換、電気事業の構造改革、東京電力の企業統治の欠陥など、様々な議論がなされ、次第に政治的色彩を濃くしていくようです。ここは、ひとつ、冷静に問題を整理してみようということですね。

 いろいろな意見のあることは当然としても、社会の常識や倫理規範の枠の中でのみ、多様性は認められるわけでしょう。私には、どうしても納得できないことがある。なぜ、原子力損害補償の問題と、それ以外の電気事業のあり方に関する問題とを、関連させて論じようとするのか。
 原子力損害は、東京電力福島第一原子力発電所において現実に生起した事故に起因する諸被害のことであり、膨大な件数に及ぶといえども、個別具体的に特定され、早急に補償されなければならないものである。その補償額と補償のあり方は、補償責任主体が誰だろうが、補償原資がどこからでようが、東京電力がどうなろうが、送配電が分離されようが、原子力発電がどうなろうが、電気事業連合会がどうなろうが、日本のエネルギー政策がどうなろうが、絶対に影響を受け得ないはずである。しかも、緊急性を要する課題である。
 原子力損害補償は、他の問題と独立した緊急な課題である。現実的な難題が補償原資の調達であることも当然であるが、だからといって、補償原資の負担や調達方法をめぐって、そこに補償以外の様々な思惑を織り込むことは、現時点では、厳に慎むべきであろう。それが、社会の常識であり、倫理規範であると、私は、そう思います。


そういう意味では、東京電力が、早急な補償履行を目的として、自らの賠償責任を認めたことは、常識的な判断でしたね。

 そうなのですが、どうやら、社会からは正当な評価を受けていないようですね。念のためですが、私は決して東京電力擁護派ではない。しかし、偏見に基づく誤解や決めつけは、何ら生産的な解決をもたらさない。東京電力の経営行動を、冷静に評価する必要があると思います。
 東京電力は、補償と賠償という二つの言葉を、厳格に使い分けています。賠償とは、いうまでもなく、「原子力損害の賠償に関する法律」が規定する賠償です。東京電力が、この法律上の賠償責任を認めて、初めて賠償という用語を用いたのは、5月13日です。
 この点については、株主総会でも、論議されたようですが、東京電力は、補償という用語を用いている文脈では、法律第三条ただし書きによる免責を主張しているのです。しかし、免責かどうかは、何らかの訴訟に関連して、裁判所が判断することです。最高裁の確定判決ということであれば、いつのことになるのだか、見当もつきません。
 補償履行は緊急を要する。だから、仮の決定が必要なのです。そこで、東京電力は、仮に賠償責任を認めて、法律第十六条に基づく政府支援を要請し、それに対して、政府は要請受諾を5月13日に通知したのです。この日以降、東京電力は、政府支援との関連においてのみ、賠償という用語を用い、それ以外の文脈では、依然として補償という用語を用いています。
 いずれにしても、早急な補償履行のために、法律論を棚上げにしたのは、社会常識に即した立派な、また冷静な判断だと思います。


一方、政府も、早急な補償履行を目指して、急速に政府責任を認める方向へ路線転換しました。これも評価できますね。

 当初、政府は、政治責任を認めなかった。ところが、東京電力が賠償責任を認める段階では、「国策による被害者」という言葉まで使って、明確に政治責任を認めています。大きな前進があったのです。政府提出の「原子力損害賠償支援機構法案」は、東京電力による賠償と、賠償支援という形式における政府補償の組み合わせであり、枝野官房長官が図らずも口にしたような、事実上の共同不法行為に基づく不真正連帯債務的な構造です。このように、政府責任が明確になったからこそ、東京電力も賠償支援要請に踏み切れたのだと思います。
 しかしながら、早急な補償履行の実施という現実的課題に対しては、政府法案は、あまり有効ではない。機構の設立をはじめ、永続的かつ一般的な仕組みの創出を目指しているために、合意すべき論点が多すぎて、簡単には成立しないと予想されるからです。それでは意味がない。
 特に、問題となるのは、将来の事故に備えた相互扶助的保険機能を、機構に与えたことでしょう。この制度を名目として、東京電力以外の原子力発電を行う全ての電力会社へ、負担金が賦課されることになります。この負担金は、補償原資を他の電力会社へ賦課する可能性を排除できず、合意が難しいと思われます。
 現実の損害に対する早急な補償の履行を目的とする限り、将来の損害に対する対策までも、現時点で、検討する必要はないし、そのようなことを検討することで、議論を混迷させ、時間を浪費することは、政策的に誤りだと思います。


早急な補償履行という意味では、自由民主党の法案のほうが、よくできている感じですね。

 これは、「平成二十三年原子力事故による被害に係る緊急措置に関する法律」というもので、自民党ほか、公明党、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革も加わって、6月21日に参議院に共同提出されたものです。
 これも、東京電力の賠償責任を前提にしていることは同じですが、賠償履行には時間のかかることを理由に、先行して政府による仮払いを行うことが要点です。仮払い額は、もちろん、東京電力に請求されます。
 この法案の要点は時間にある。だから、特定の原子力事故の賠償に範囲を絞っている。一般的で恒久的なものを目指す政府案とは根本的に異なり、個別具体性と時間の早さを優先させています。おそらくは、政府案よりも、遥かに現実的です。
 優れているのは、現実に起きている原子力損害を、将来起きるかもしれない原子力損害から切り離して、早急に現実の課題に取り組もうとしていることです。将来の問題は、時間をかけて、総合的なエネルギー政策の中で検討すればいい。それだけの時間はある。しかし、今の補償には時間をかけられない。逆にいえば、今の補償に、仮でもいいから、ひとつのめどをつけ、時間の余裕を作ってから、将来の議論をすればいい。そのような考え方は、やはり、常識的で冷静な判断だと思います。


谷垣自民党総裁も、26日に、この法案の審議を最優先課題とすべきだ、と主張されていましたね。

 谷垣総裁の発言は、いうまでもなく、菅総理大臣が「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」の成立にこだわり続けることへの強い批判でしょう。補償問題に関しては、どうみても、谷垣総裁のほうが、菅総理大臣よりも、まともです。
 総理は、もはや「原子力損害賠償支援機構法案」に関心がないらしい。現実の事故の補償よりも、事故後のエネルギー政策のほうに、より強い関心があるのです。総理は事故の収束を退任のひとつのめどとされたのではなかったか、事故の収束の最大の眼目は、原子力損害補償ではないのか。あきれたものです。
 今の政治情勢を考えると、原子力損害補償については、野党案丸のみではないですが、自民党案のほうへ寄っていく可能性が高いのかもしれません。むしろ、そのほうが、いいのでしょう。


仮に、補償問題については、当面の冷静な決着をみるにしても、その後は、やれ送配電分離だ、再生可能エネルギーだ、脱原子力だ、といった議論が沸騰してくるのは間違いないですね。電気というのは大きな利権だから、誰も冷静な議論はできないですね。

 私が許せないのは、将来の電力事業という巨大な事業機会についての議論をすることではなくて、その議論を、補償の問題に絡ませて展開する、そのやり口です。補償の問題を分離して、そこで冷静な解決を得るならば、後は、各自が、自己の思惑で、熱く好きに議論したらいいでしょう。
 しかし、補償の問題が終わらないうちは、勝手な議論は慎め、ということです。補償問題をはじめ、経営全体について、東京電力を批判するのは勝手です。しかし、少なくとも補償問題に関する限り、東京電力はやるべきことをやっている。後は、政府支援が発動しない限り、資金的に、どうにもならない。東京電力の経営者は、速やかに法律の成立することを願うのみ、ということをいっていますが、理屈上、それ以上のことはできない。それで、何がいけないのだ。
 東京電力の経営を一方的に批判する真意を問いたい。論理的にあり得ない東京電力の法的整理を主張する真意を問いたい。誠実に補償履行を目指そうとする東京電力を、いわれなく批判し、その解体を主張するようなことは、少なくとも現時点では、できないはずです。東京電力の解体、電気事業全体の再編、それが大きな事業機会の創出であることは、認めます。しかし、今は、その議論を慎むべきです。
 それにしても、テレビのニュースで、菅総理大臣と孫正義氏が再生可能エネルギー問題で大いに盛り上がっている姿を見ましたが、あのような、はしゃいでいるとしか見えない総理大臣は、原子力損害の被害者の方々に、どう映るのかな、と思いました。


東京電力の賠償責任を認める限り、補償問題に何らかの決着をつけた段階では、補償負担は東京電力に請求されるから、その時点で、東京電力の存続を含めた議論は起きる。そこまで待て、ということでしょうか。

 この点は、前回の論考「あり得ないはずの東京電力の法的整理を主張する論者の思惑」で述べたことです。私は、東京電力の存続は、賠償履行のために絶対に必要だと思いますが、賠償履行にめどがついた段階では、どうなるか不透明と考えています。つまり、賠償履行過程では、社債権者、債権者、株主の地位は、現状と変化しようがないと確信しますが、賠償履行後は、法的整理の可能性も残ると思います。もっとも、そもそも東京電力に賠償責任はない、という全く逆の方向の司法判断もあり得ることを、付け加えておきましょう。
 いうまでもないですが、電気事業の再編は、電気事業連合会体制の再編を意味します。その時、その頂点の東京電力の再編が政治的な意味を帯びることは、避けられないのかもしれない。政治に守られてきた東京電力が政治に翻弄されるのは、宿命なのでしょう。


東京電力を何が何でも法的整理に追い込む、というのは、経済的利害ばかりでなくて、そうでもしない限り東京電力の自己変革は期待し得ない、という世論も背景にしているのではないですか。

 そこなのです、問題の根源は。補償の問題も、日本弁護士連合会の意見書にみられるように、東京電力には安心して任すことはできない、という不信感が拭えないのですね。それくらい、東京電力は、信用がない、人気がない、嫌われている、ということですかね。この不信感も、議論が冷静にできない原因を作っています。
 私も、補償問題については、冷静な議論に努めてきたつもりですが、東京電力が好きかと聞かれれば、嫌いだというでしょうし、経営陣を信頼しているかと聞かれれば、必ずしも全幅の信頼は置けないと答えるでしょう。
 東京電力について冷静な議論ができないのは、もちろん、背後の巨大な利権への思惑が最大の原因だとは思いますが、経営姿勢への不信も、原因として小さくはないですね。


なぜ、東京電力は嫌われるのでしょうね。

 もちろん、規制に守られ、利権に安住する企業が、好かれるわけがないからです。
 庶民感覚的なことをあげれば、社宅。かつては、東京都内には、金融機関はじめ大企業の社宅がたくさんあった。いまは、あらかた売却されてマンションになりました。その中で、今も健在なのは、一等地にある東京電力社宅です。
 もう少し格調高いことをいえば、昨年の公募増資ですね。この増資のことは、ずっと前から触れたかったので、ちょうどいい機会だから、いかにひどい増資だったか、論じておきましょう。
 東京電力は、昨年の9月29日に、見込手取総額約5500億円という、公募増資を発表しました。株価は、概ね2500円前後で推移していましたが、発表後、2000円前後まで急落します。公募は、払込価格1767円で強行されます。手取総額約4500億円です。
 公募発表前の東京電力の時価総額は、約3兆4000億円。そこから、公募発表による株価急落で、約7000億円の時価総額が失われます。つまり、それだけの損失を株主に与えたわけです。それに対して、公募手取金は、約4500億円だから、要は、既存株主から、約4500億円巻き上げて、さらにおまけで、2500億円くらいの損を与えた、という仕組みです。これは増資ではない。株主の利益を踏みにじる強奪です。
 ちなみに、3月11日には、株価は少し戻っていて、この日は、2121円で終えました。時価総額は、3兆4000億円であり、ちょうど公募増資発表前と同じでした。ということは、約4500億円の払い込みがあってなお、時価総額が同じなのだから、まさに、この4500億円は、増資前の株主から強奪してきた金額ということを意味しているわけです。
 そして原子力発電所の事故。東京電力は、賠償原資の確保のために、発電事業以外の資産の売却を表明します。その見込み額、なんと5000億円以上です。だったら、あの増資は何だったのだ、不要資産の売却で、5000億円調達できる会社が、なぜ株主の損失のもとで増資をしなければならないのだ、ふざけるな、という怒りは、当然でしょう。これを論じると、私は、もはや冷静になれない。
 結局、東京電力のような経営体質では、原子力事故でもない限り、社宅などの不要資産の売却はできないのです。それができないために、株主に巨大な損害を与えた事実があるのです。電気事業は必要だけれど、東京電力という経営体は、もはや不要だし、もともと不要だよね、そのような意見は、多くの人がもっているのでしょうね。だから、好かれないのです。
 しかし、補償問題に、東京電力が好きか嫌いかは、関係ない。嫌いな東京電力でも、みんなで盛り立て、賠償を完了させなくてはならない。それが法律の仕組みです。その後は、しりません。

以上


 以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、7月7日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。