日本の電気事業の明るい未来を創ろうではないか

日本の電気事業の明るい未来を創ろうではないか

森本紀行
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今の日本に必要なことは、未来の日本のために何をなすべきかという、前向きで建設的で積極的で明るい議論を熱心にし、議論したことを、情熱をもって具体的な行動に移していくことです。できる、できないは、問題ではない。人間の力は無限だ。なすべきことは、なされ得るのだ。論理と分析から情熱と行動へ、大転換の宣言ですね。
 
 論理から情熱へ、ではありあません。情熱的論理、もしくは論理的情熱です。
 唐突ですが、私はスタンダールが好きでした。スタンダール自身もそうでしたが、スタンダールの小説の登場人物は、激しい情熱につき動かされ、情熱が絶えるとともに死んでしまいます。私の理想の生き方です。
 ちなみに、スタンダールは、To the happy few といっていました。少数の幸福な読者へ、という意味でしょうが、平均的大多数には受け入れられないことを自覚していたのでしょう。事実、生前は認められることなく、名声は死後のものです。ところが、死後の名声は普く広い。
 

これまでの膨大な量に及んだ一連の東京電力と原子力発電関連の論考は、まさにTo the happy few でしたね。
 
 なぜ、あそこまで執拗に法律の正義と経済の論理を主張し続けるのか、多くの方に不思議がられましたが、それこそ情熱ですね。内容的には、責任を回避する政治、感情的な一般の風潮、それらに迎合する低級な主要報道機関の論調に真っ向から対峙するもので、まさに情熱的なTo the happy few でした。しかし、徹底的に論理と法律にこだわったせいか、全く感情的な反発を受けることはありませんでした。逆に、広い支持層を獲得できたのは、望外の幸せです。まさに、論理的情熱の成果です。
 スタンダールにとって、To the happy few というのは、社会の主流に反した自己満足の偏屈者のことではなかったのでしょう。むしろ、永続する価値、まさに真善美の本質を発見できる先駆的読者層だったに違いないのです。だからこそ、スタンダールの作品は歴史に埋もれることなく、死後に高い評価を得たのです。
 政府や主要報道機関が国民感情を巧みに利用して作り上げた東京電力悪者論は、日本の未来の電気事業や原子力政策や総合エネルギー政策に対して、何ら建設的な貢献をなし得ない。しかし、そうした表面的な東京電力悪者論の裏に、合理的理性に従う社会の健全な良識が力強く働いていることを、私は実感しました。一見、the happy few に見えるこれらの良識層こそが、実は少しも少数派ではなく、論理的情熱によって動かされる層であり、明るい未来の創造への推進力になる層であると、私は確信できたのです。
 

しかし、戦い空しく、東京電力は、事実上の国有化が強行され、解体への道を歩み始めましたね。
 
 戦いは少しも空しくはない。東京電力の現経営陣が、事実上の国有化を指して、「第二の創業」や「新生東電」などというとき、何を意味しているのか、私にはわかりません。しかし、間違いなくいえることは、未来の日本の電気事業は、その構造がどうなろうが、いや、どうなるべきであろうが、東京電力の長年に亘って築き上げてきた電気安定供給基盤、単に装置的な基盤ではなく技術的また人的な意味を込めた基盤、この基盤の発展的継承のうえにしか構築し得ないのです。
 東京電力の過去については、全否定的な総括がなされました。国会事故調報告書の言葉を借りれば、「責任感の欠如」、「無知」、「慢心」として、完全否定されたのです。しかし、過去の正当な成果を不当に否定することからは、明るい未来へ向けての正当な価値など創出され得ないし、否定的なものは国民を一つにする求心力を生みはしない。過去の事実と功績に対する正当公正な再評価の上にしか、未来の日本の電気事業は構築され得ないでしょう。
 日本の未来の電気事業に欠かすことのできない経験も技術も人材も、東京電力をはじめとする電気事業連合会各社のなかに集積されています。仮に、日本が原子力発電の完全放棄へ向かうにしても、その長期に及ぶ廃炉作業にすら、過去の原子力事業の経験と技術が必要なのです。
 東京電力は、政治的な犠牲者として、最終的には解体されてしまうのでしょう。政治は、論理でも情熱でもない。政治は力です。打算による実行です。力なきところに、変革なし。故に、政治は必要です。おそらくは、東京電力の解体も、改革のためには必要なのです。私は、政治の結果までも否定する気はない。
 しかし、政治の合理性を支えるものは、民間産業界の経済の論理であり、社会的公正の規範としての力です。そしてなによりも、政治に生命を与えるものは、国民の創造への意思であり情熱です。政治が解体に追い込んだ東京電力、その貴重な遺産のうえに未来の日本の電気事業を築き上げていくのは、遺産を正当に再評価し、経済の論理と社会的公正の調和のもと、未来の電気事業を創造的に構想していく民間産業界の力と、それを支える国民の情熱以外の何物でもない。
 そうした創造的活動が始まるとき、不毛な東京電力悪者論は完全に捨て去られるでしょう。そうして、正当な論理が、単なる冷たい論理としてではなく、熱き情熱と結びつき、創造的革新を生むのでしょう。故に、東京電力に対する法律の正義の適応を求めた戦いは、少しも空しくない。真の創造的戦いは、これからです。
 

確かに、原子力発電所の事故という事実の重みを考えれば、日本の電気事業の本質的な改革は不可避です。そのためには、政治的暴力で過去を破壊することも必要だったかもしれませんが、その後の創造的建設は、破壊の残骸のうえにではなく、破壊され得なかった論理の基盤のうえに、破壊され得なかった人間の情熱をもって、なされるのですね。
 
 創造は、常に、民間の自由な創意と起業と変革への情熱から生まれる。政治は、所詮、利害の調整にすぎない。既存の勢力が成長の阻害要因になるなら、そして、新勢力による変化への意思と情熱が国民の多くの支持を得る限り、いわゆる規制緩和の名のもとにおける政治主導の変革が正当化される。しかし、その後の変革は、政治的な主導のもとになされるのではない。政治は、後見的に、民間の活力、競争、創意工夫を開放して引き出し、変革に避け難く付随する弊害と摩擦を適切に緩和すればいいのです。
 日本の電気事業については、原子力事故に関係なく、大きな転機にきていたことは、間違いないでしょう。政府が、原子力事故を奇貨のように利用して、東京電力を事実上の解体に追い込むことを通じて、強引な改革を断行しようとしていることについては、私は手法としての正当性を断じて認めませんが、結果の政治的な意味は十分に理解しているつもりです。
 もう過去はいい。本稿の表題を、日本の電気事業の明るい未来を創ろうではないか、としたのは、手法はともかくも大きな変革が始まったのだから、これからは、電気事業の未来創造を主題にしなければならないのだという意思表示です。
 東京電力の現経営陣は、「新生東電」などといっていますが、東京電力の新生など、必要ではない。必要なのは、未来の日本の電気事業の創造です。そのために、東京電力が発展的に解消し、そこに蓄積されてきた施設と経験と技術と人材が、新しい電気事業の枠組みのなかで活かされるような、そのような仕組みを創出していくことです。
 当然ですが、新しい電気事業には、多くの企業が新規参入し、分散の方向を辿ります。一方では、逆に、分散されたものを結合し整序して安定供給体制を構築するためのシステム的統合も必要になります。その全ての分野について、東京電力のこれまでの実績が活かされる、いや、活かされるべきなのです。
 現経営陣が「第二の創業」というなら、それは、第二の東京電力の創業ではなくて、日本の電気事業の第二の創業であるべきです。古く、東京電力は、日本の経済成長を支えるべく、電気の安定供給体制を作り維持し発展させることに、誇りと責任を感じていたはずです。「第二の創業」とは、そのような誇りと責任をもって、現在の厳しい国際環境の中で、日本が成長していくための新たなる電気安定供給基盤を構築することでなければならないでしょう。
 

未来の電気事業は、民間の産業界が自分で作るものですよね。政府主導など不要とするのが、産業界の誇りと責任と情熱ですね。そこが、今の日本には欠けているのでしょうか。
 
 例えば、経団連や同友会などが、政府の脱原子力の方向性を批判するとして、政府に新しい電気事業の構想を求めるのは、甚だおかしなことです。脱原子力は、代替電源の開発、特に再生可能エネルギー分野を巨大な成長産業分野に押し上げます。省電力技術も、同様に巨大な市場を創出します。電気は、自動車だけでなく、交通基盤を大きく変貌させ、そこにも巨大な市場が生まれてきます。
 むしろ、産業界のほうから、民間企業としての成長戦略を打ち出すのが本来のあり方です。政府のエネルギー政策のなかでしか、例えば再生エネルギーの固定価格買取というような制度のなかでしか、新事業の展開を構想できないのだとしたら、それは不確実性に賭けることで成長を志向する起業家としての企業ではないでしょう。
 政府は、国民世論を基礎にした原子力政策のあり方を提言するほかない立場にあります。今回の原子力事故における政府責任は、あまりにも明瞭だからです。国民世論の趨勢としては、長期的に縮小が多数でしょうから、時間軸はともかく、方向としての脱原子力は、不可避でしょう。
 それに対して、当面の電気安定供給体制や電気料金の上昇の不安が生じるのは当然ですが、その不安を政府の電気事業政策の責任に帰するのは、とんでもないお門違いでしょう。不安を取り除くような積極的で創造的な対応を工夫するなかで、電力供給の危機を電気事業の機会に転換していくことが、もともとの産業界の仕事です。一体、どうなっているのでしょうか。現在の日本の産業界には、日本の電気事業の明るい未来を創ろうではないか、というような創意も気概も責任感も情熱もないのだろうか。
 東京電力悪者論は、不毛であった。同様に、政府の政策立案能力の貧困を批判することも、不毛でしょう。日本の未来の電気事業の担い手は、政府ではなく、民間産業界です。民間産業界は、高度な規制に守られた電気事業連合会体制に、実は、寄生しつつ無責任な批判をしていただけではないのか。そうでないのなら、今こそ、日本の電気事業の明るい未来を創るために、情熱を傾けなくてはならないでしょう。
 

そのような産業界や社会の問題は、いわば政府批判の影のもとの無責任は、電気事業だけではないですね。農林水産業、金融制度、教育、医療、雇用、日本の全ての分野に蔓延していますね。
 
 そうです。今回は、これまでのいきがかりから、日本の電気事業の明るい未来を創ろうではないか、にしたのですが、これからは、より広く、日本の明るい未来を創ろうではないか、という主題で論考をしていきたいですね。

以上


 次回更新は8月30日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。