産業金融の王道を歩もうではないか

産業金融の王道を歩もうではないか

森本紀行
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前回から、日本の明るい未来を語ろうではないか、という論説が始まりましたが、それと並行して、もうひとつの新しい論説も展開されていくのですね。産業金融という金融の社会的機能の王道を体系的に再構築するなかで、真の投資のあり方を提唱していく試みに、いよいよ着手ですか。

 
 「日本の明るい未来」では、日本の豊かな成長の可能性について、エネルギーや農林水産業等の成長分野、教育や雇用などの構造改革、地域における産業連関の再構築など、多方面から論じていこうと思います。いずれにしても、成長のためには、資本の投入が必要です。つまり、そこには、大きな投資の機会が開けるということです。日本の明るい未来は、最終的には、日本の明るい投資機会になるはずです。
 「産業金融の王道」では、成長のための資本、即ち成長資本の供給こそが金融の社会的機能の本質だ、との基本認識のもと、産業の成長発展を金融面から支援するものとしての産業金融の王道を力強く提唱していきます。もちろん、理念としての産業金融の王道には誰もが賛成するでしょう。しかし、現実には、銀行業、証券業、投資運用業などの厳格な業態別規制がなされている現状のなかで、産業の立場に立って金融の仕組みを再構築することは、必ずしも簡単なことではありません。
 銀行等の行う融資、社債や株式の発行による資本市場を通じた資金供給、実物資産や非公開株式等を使った資金供給など、資金の供給方法と供給主体が細分化されているのは、実は、資金供給側の勝手な都合にすぎず、産業の立場に立ったときには、個々別々に提供されたのでは、効率的な資金供給にはなりません。そこに、工夫がいるのです。
 要は、産業金融の王道とは、銀行、投資銀行、投資運用業者などの資金供給側の都合や論理ではなくて、資金需要側である産業界の都合と論理に立ち返り、改めて、産業金融の再構築を目指すことなのです。このことは、HCアセットマネジメント創業来の経営課題であり、私個人のこれからの生涯をかけた取り組みと位置付けているものです。
 

非常に大きな構想になりそうですね。最初に、大まかな見取り図を示すことはできないでしょうか。
 
 一つには、歴史的視点は不可欠ですね。日本の高度経済成長は、当時の高度に設計された産業政策と金融政策の結合がなければ、実現できなかったと思われます。資本の蓄積が十分でなかった時代に、産業の発展のためには、強力な産業金融の仕組みが必要でした。当時の政府は、それを高度に規制された金融制度の構築によって、実現しました。要は、規制という名のもと、金融機関を徹底的に保護することで零細な個人貯蓄を集積させて、産業資金の確保を図ったのです。
 この特異な金融制度は、高度経済成長が終わり、歴史的使命を果たした後も温存され、昭和の最後まで抜本的な変更なく継続することになります。周知のように、ここに当時の大蔵省の政策の転換点を誤った致命的失敗があったのです。結果的には、産業資金需要の低下と金融機関の過剰な資金供給能力との不均衡が、いわゆるバブル経済を生んでしまいます。
 そのバブル崩壊から、もう二十数年になりますが、遅ればせながら、その間に急激に遂行された金融制度改革は、そもそも適切な時期を失した改革であり、また日本経済の重大な転機と時期が重なったこともあり、金融の社会的機能の深刻な後退を招いてしまった感があります。ですから、今、日本の金融機能の再構築が、どうしても必要なのです。
 これまでの金融制度改革は、高度経済成長を支えてきた古い仕組みを、ほぼ全否定するようなことになりました。確かに、低成長期に入り歴史的使命を終えていた旧制度は、規制の欠陥、金融機関保護の弊害ばかりが目立つものでした。故に、徹底的な批判と抜本的な改革を必要としていたことは、間違いありません。しかし、改革が、制度の欠陥の否定に急なあまり、その裏にあった金融制度としての社会的機能と歴史的功績までも一緒に否定し去ったことは、痛恨の極みであったといわざるを得ません。
 今、改めて金融機能の復興を図るとして、当然のことながら高度経済成長期の体制への復古などあり得ないわけですが、一方、理念としての当時の産業と金融の一体的結合のあり方については、その意義を再興していかなければならないと考えられます。
 

歴史の正当な再評価の必要性については、金融機関と同様、東京電力をはじめとする高度に規制保護されてきた電力業界と原子力発電についても、繰り返し論じてきましたね。
 
 日本の金融については、1998年の日本長期信用銀行と日本債券信用銀行の一時国有化に代表される金融危機、その後の急激な規制環境の変化のなかで、過去の全否定に近いような改革(という名の破壊だったかもしれません)が行われました。ちょうど今、東京電力もまた一時国有化され、その過去が全否定されるなかで、電気事業改革(と称する破壊かもしれません)が進行しているのと同じです。
 しかし、日本の未来の電気事業は、これまでの電力会社が高度経済成長に果たしてきた貢献の再評価と、長年の技術的蓄積によって形成された電気安定供給基盤の継承の上にしか築き得ないはずです。電気事業改革に急なあまり、過去の全否定に走ることは、何ら生産的な結果を生まないでしょう。私は危惧します。同様な危惧は、公務員制度改革についても感じてます。
 何よりも、変革を担うのは、生身の人間です。人間の誇りを傷つけて、どうして、社会的使命感と変革への意欲をかきたてることができましょうか。原子力発電が将来へ向かって放棄されることになったとしても、原子力発電の貢献を全否定することはできません。これから長い時間をかけて廃炉を行うためだけにでも、多数の優秀で意欲あふれる人材が必要です。廃炉の安全性は、人材の意欲にかかるでしょう。否定的な反社会的な価値の烙印を押された原子力技術が、どうして有為な意欲ある人材を呼び寄せることができましょう。
 変革が破壊であってはならないのは、変革の主体が人間だからです。仕事の誇り、過去の功績に対する正当な評価、社会からの認知、そのようなものがあるからこそ、人間は意欲をもって仕事ができるのです。故に、変革も実現できるのです。変革は、破壊ではなくて、創造でなければならない。創造への強い意思は、誇りと使命感と責任感から生まれます。日本の電気事業の未来は明るいはずですが、ただ一つ気がかりなのは、電気事業の創造的変革を支える人間の意欲と誇りと使命感と責任感を維持できるか、という点です。今政府が行おうとしていることは、そのような大切な人間の価値を傷つけるものではないのか、そこが心配です。
 同じような人の心の問題は、ここ十数年ほど金融制度改革と業界再編の嵐が吹き荒れてきた金融界についても、深刻なものとしてあると思われます。銀行等の対顧客の最前線では、資金需要側に立った貸したい気持ちと、銀行と規制当局の側に立ったときの貸せない現実との間に矛盾葛藤がなかったでしょうか。業務の多くが銀行内部の仕事になり、顧客との交渉に使える時間が少なくなっていく現実に、歯がゆい思いはなかったでしょうか。
 社会的銀行批判、処遇の引き下げ、再編と費用削減にともなう人員削減、頻繁な組織改正、頻繁かつ振幅の大きい規制環境の変化などのなかで、金融の社会的機能という理念が色褪せていく現実を目の当たりにして、銀行内部の人間に悩みと意欲の減退がなかったとは思えません。ちょうど、今の東京電力のなかで福島第一原子力発電所の事故収束にあたっている職員の気持ちに通じるものがあるのではないでしょうか。
 故に、日本の金融再構築の重要な軸として、どうしても人の心の問題を取り上げなければならないと思います。
 

歴史的な視点、人の心の視点、次の軸は何でしょうか。
 
 やはり、世界的な金融機関の規制環境の問題でしょう。ここにも、歴史的な展望は必要なのです。1980年の初頭から、英国や米国では、資本市場を中核とした金融の仕組みへと大きな転換を開始します。それにつれて、銀行等の伝統的金融機関の企業金融における役割も変質していきます。大まかにいえば、設備投資資金等の長期資本の調達は、資本市場における社債や株式の発行によってなされ、銀行等の融資は、運転資本等の短期資金の供給に機能を狭めていく方向です。
 日本でも、同じ時期、高度経済成長の終焉期でもあり、金融制度の改革の必要性は十分に認識されていたこともあり、英米と同様の方向の改革が予定されていたのだと思われます。しかし、事実は、強固な旧制度の改革に着手できないでいるうちに、バブルとバブルの崩壊という不幸な歴史を辿ったことは、すでに述べたとおりです。結果的に、日本の金融構造は、資本市場を中核とした英米型とは異なり、伝統的銀行業による融資が圧倒的な比重を占めるものとなっています。
 世界的に金融規制の統一標準化が進行していき、日本の金融機関も、原則として、同一の原理に従わなければならなくなっていくのは、これは、どうすることもできないことです。ところが、日本の場合は、古い時代の固有の金融制度の枠組みを維持したままです。そこに、深刻な矛盾があるようです。このことは、つとに知られたことですが、何ごとも、グローバル化、グローバル化ですから、逆らえない潮流のなかで、矛盾も放置されてきたのです。
 しかし、冷静に考えて、メガバンクといわれて国際業務を展開しているわずか数行の銀行はともかくも、地方銀行や、ましてや信用金庫までもが、世界標準の規制下に置かれなければならないかどうかは、大いに疑問でしょう。今まさに、この点の再考が始まろうとしているのだと思われます。
 私は、実は、日本の金融のなかでは、一番大きく変わったところよりも、一番変わっていないところ、古層を留めているものに着目しています。信用金庫などの協同組織金融です。もともと、お金の貸借取引など、見ず知らずの赤の他人との間で起きるとは、常識的に考え得ないわけです。信用が成立するためには、当事者双方の間の一定の社会的関係性の成立は不可欠です。ここに、金融の社会的性格の基礎があるのですが、日本の協同組織金融は、そうした金融の本源的性格に忠実なものとして、その理念には、学ぶべきものが多いであろうとの予想をもっています。
 一方、資本市場に代表される金融のあり方は、不特定多数からの資金の調達を前提としたものですから、社会的関係性を市場制度に代替させるという意味で、伝統金融の理念と対極をなすものです。この資本市場型の金融のあり方も、2008年の金融危機を経て、大きな転換点にきているのだと思われます。2008年の金融危機の根源は、情報の対称性を前提にした市場の欠陥です。市場参加者は公開情報だけで投資判断をしなければなりませんが、現実には、発行体(資金調達側)や仲介する投資銀行と投資家との間の情報の対称性など、完全には実現し得ないわけです。ここに、資本市場のあり方について、真剣な再考が求められる背景があります。
 

世界的な金融規制といいますか、金融制度設計の見直しにおいて、一つには、社会的関係性に立脚した、いわば相互に顔が見えている信用関係の意義の再興と、他方においては、資本市場を介した、いわば相互に顔が見えない関係性(というよりも無関係性)のなかでの信用関係の再検討という、二つの検討の軸がでてくるということですね。
 
 そうですね。特に、資本市場のあり方については、現状について批判的たらざるを得ない面があります。例えば、今、世を騒がしているインサイダー取引問題ですが、インサイダー取引自体は、些末な問題です。より本源的な問題は、株式の公募情報そのものが株価下落を確定的に意味しているという引受の実態です。つまり、公募情報が漏れること以前に、強引な公募が極めて高い蓋然性で株価下落を誘発するということ、これが基本的におかしなことであるわけです。
 こうした引受の実態は、資本市場が資金調達側の市場になっていることを強く印象付けます。それは、おかしなことでしょう。資本市場は、資金調達側と資金運用側(投資家)の対等の関係のなかで、資金が交換される市場です。現状の引受の実態は、投資家の利害に対して、十分な顧慮が払われていないことを想像させます。ここは、どうしても、批判的に検討せざるを得ないわけです。
 

今回は、全体の見通しを描くだけの予定でしたが、どうやら、見通しすら完結しないうちに、時間切れですね。
 
 そうですね。見通しをつけるのも容易ではないですね。
 
以上


 次回更新は9月6日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。