社員の「不適切な発言」を謝罪した中部電力の見識

社員の「不適切な発言」を謝罪した中部電力の見識

森本紀行
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7月16日に名古屋市において開催された「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」において、中部電力の社員の方が意見を述べる代表に選ばれて個人の立場で発言した内容に対して、当事者の電力会社の人間が発言するのはおかしいとか、「不適切な発言」であるとか、非難が集中しているようです。あれ、どこか変ではあるまいか、そのような危惧感から一言申し上げる、ということですね。
 
 この問題に関して、中部電力は、18日に、次のような謝罪の声明を発表しています。
 「当社社員の意見の中に、福島第一原子力発電所事故の被災者の方々のお気持ちを傷つけるような不適切な発言があったことに関して、深くお詫び申し上げます。
 その他にも、意見聴取会に当社社員が参加し、意見表明したことにつき、みなさまから厳しいご意見を多数頂戴いたしました。
 例えば、
・電力会社の社員は利害当事者であるから、一般国民の意見を聞く場に出るべきではなく、意見に耳を傾けるべきだ。
・「原子力発電のリスクを過大評価している」との意見があったが、そのような一方的な評価はおかしい。
 等です。」
 また、中部電力では、当該社員の方に対して、17日に、上司が口頭で注意したとのことです。
 なお、1日前の15日には、仙台でも「意見聴取会」が行われたのですが、そこでも、東北電力の社員の方が代表に選ばれていて、こちらは、幹部職員の方であり、しかも、東北電力という会社の立場から発言をされました。こちらにも、多くの非難が寄せられたようです。
 いうまでもありませんが、中部電力の方にしても、東北電力の方にしても、原子力発電の重要性を主張し、その継続を支持する意見表明を行ったのです。だからこそ、当事者の発言として、批判をうけたのだと思われます。ところで、ちょっと脱線ですが、原子力発電を推進している電力会社の社員の立場で、反原子力発電の主張をしていたら、どうなっていたのでしょうね。やはり、当事者の発言として批判されたでしょうか。よくぞいった、ということで、逆に英雄視されたのではないか、何となく、そのような気もしますが。
 とにかく、政府は、これらの事件を受けて、今後の「意見聴取会」においては、「電力会社及び関連会社にお勤めの方につきましては意見表明をご遠慮いただきます」との措置を講じました。
 以上が、事実関係です。このうち、東北電力の幹部職が会社の立場を述べたというのは、いかにも「意見聴取会」の趣旨に反するようですので、不適切だったと思われます。東北電力をはじめとする原子力事業者の立場は、また別のところで詳細に主張される機会があるのでしょうから、国民の声を聴こうという「意見聴取会」で主張されるべきことではないでしょう。
 一方、中部電力の社員の方の発言については、「不適切な発言」かどうか、中部電力の「謝罪」という対応、個人としての電力関係者を排除する政府の対応など、多少の疑問の余地があるように思われます。それにしても、会社としての意見表明を行って明らかに不適切な感のある東北電力は、何らの謝罪もしていないのに、個人としての意見表明に対して会社として謝罪した中部電力の「見識」というのは、どういうものだろうか。本稿は、そのような素朴な疑問に発しています。
 

中部電力が「不適切な発言」としているのは、どのような内容のことでしょうか。
 
 さあ、中部電力の謝罪文は、そのことを特定していないのだから、わからないですよね。ただし、冒頭での不適切発言の謝罪に続いて、敢えて「その他にも」としたうえで、当事者の電力会社の社員の発言であったことと、「原子力発電のリスクを過大評価している」との発言を例示しているので、主たる謝罪の対象には、この二つの例示とは異なるものが念頭に置かれているようです。
 であるとすると、おそらくは、「放射能の影響でなくなった人はいない」という発言が、「福島第一原子力発電所事故の被災者の方々のお気持ちを傷つけるような不適切な発言」の主たる内容であろうと考えられます。というのも、テレビ等で報道によれば、この中部電力の社員の個人的発言のうち批判を浴びたのは、「原子力発電のリスクを過大評価している」と、「放射能の影響でなくなった人はいない」との二点であるようだからです。
 

まず、電力会社の社員が「意見聴取会」で発言したということ、このことは不適切でしょうか。
 
 不適切かどうかは、政府が「意見聴取会」をどのようなものとして位置付けたか、という点に依存するのではないですか。「意見聴取会」を、立場の異なる人々による対立する多様な意見の発表会とするならば、原子力発電支持派を含めるのは、むしろ当然のようにも思います。そのとき、その支持派に中部電力や東北電力のような原子力事業者の関係者を含めていいかどうかは、一種の政治判断ではないでしょうか。ですから、政治判断として、今後の「意見聴取会」には、電力会社関係の人を含めないことにしたのですから、もう、それはそれでいいのではないですか。
 そもそも、7月16日の名古屋の「意見聴取会」では、この中部電力の社員の方は、手続きを踏んで選ばれたという正当な立場で発言されたのでしょうから、それが不適切ならば、この方の発言が不適切というよりも、発言者の選定が不適切ということではないでしょうか。
 なお、「意見聴取会」は、政府がそれをどのようなものとして位置付けても構わないと思いますが、原子力政策の重要な国民的選択に関しては、原子力事業者、原子力政策の推進当事者としての政府、規制当局としての政府、これらの「当事者」の意見を完全に無視することは、あり得ないことだと思います。
 

では、「原子力発電のリスクを過大評価している」との発言は、不適切なものでしょうか。
 
 この発言を「不適切」なものとして社会的にとらえることが正当化されるかどうかは、極めて難しい問題です。そもそも、発言者の意図は、今となれば、わからないですよね。もはや弁明を聞く機会など、あり得ないわけでしょうから。
 もしも、発言の趣旨が、「原子力発電にかかわる危険性を科学技術的に制御できる可能性についての評価が過小である」ということならば、ひとつの意見として尊重されるのでなければ、そもそも言論の自由自体が成り立たないでしょう。
 おそらくは、原子力発電の継続の可否については、適切か不適切かという用語法の使用自体が、それこそ不適切なのではないでしょうか。原子力発電に限らず、どのような科学技術についても、絶対的な安全性ということはあり得ません。飛行機は、必ず、一定の確率で墜落します。現に墜落しています。問題は、その危険性が社会的に許容可能な水準に制御されているか、ということが大切なのです。このことをいいかえれば、危険性が社会的には無視し得る程度に小さく、その微小な危険を受け入れることの利益が十分に大きく、しかも、その危険を受け入れることに自己責任原則が成り立つか、ということが重要なのです。
 原子力発電については、事故率が極めて小さくても、その小さな確率による事故が生起したときは影響が甚大かつ深刻であり、原子力に替わる代替的発電方法があり得て、しかも、必ずしも施設周辺住民等が危険を受け入れるについての自己責任原則が成り立つとは限らないなど、特殊な要素があります。そのことから、いかに小さな危険性でも社会的に許容不可という決断があり得るわけです。今、国民的議論が始まったのは、まさに、そのような決断の可否が問題になっているからです。
 しかし、これは決断です。絶対的価値の転換です。適切かどうかという議論は、同じひとつの価値観の継続を前提にしているのだと思います。根源的価値観の転換が問われることき、適切かどうかは問題ではない。決断は決断です。
 「原子力発電のリスクを過大評価している」という発言内容よりも、その発言のような「一方的な評価はおかしい」ということが問題のようですが、それは、少しおかしなことです。原子力発電の危険性を科学技術的に制御できるかどうかについて、できる、できない、という意見の対立は、おそらくは合意不能な価値の対立となり、それこそ、双方の発言が一方的なものとなると予想されます。一方的な言論のぶつかり合いのなかで、民主主義の合意形成の手法の有効性が問われるわけです。そこのところの困難性について、発言者も批判者も、十分に自覚的であるべきです。
 

いよいよ、中部電力が「不適切」とした主要な発言、「放射能の影響でなくなった人はいない」については、どうでしょうか。
 
 直接的に放射能の被曝によって亡くなった人はいない、ということ自体は、間違っていないのでしょうから、この発言が不適切とされるとしたら、それは、直接的な放射能の被曝を避けるためにとられた避難措置が、被災地の住民の生活に極めて深刻な影響を与えていることについて、配慮を欠くのではないか、ということだと思われます。不適切というよりは、無神経、ということなのでしょう。まさか、本人も、事故の広範囲に及ぶ影響の全体を、放射能被曝による死亡事故という極端な事態との比較において論じる積りでもなかったでしょうが、確かに、被害者の方々に対する心使いに欠ける無神経な発言とされても仕方ない。
 ただし、この発言は、敢えて善意に基づくものとして解釈すれば、重要な論点に触れたものではあるのです。つまり、今回の事故における「原子力損害」とは何か、ということについて論じられるべくして論じられてこなかった点を、ついているのです。
 私も、「原子力損害の賠償に関する法律」について、論じに論じて膨大な文字数を費やしたにもかかわらず、肝心の「原子力損害」の定義については、一度も触れたことがない。今回、このことについて、我ながら何故だろうと異様な感に打たれたのは、事実です。
 「原子力損害の賠償に関する法律」の第二条第二項は、原子力損害を定義して、「核燃料物質の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質等の放射線の作用若しくは毒性的作用(これらを摂取し、又は吸入することにより人体に中毒及びその続発症を及ぼすものをいう。)により生じた損害をいう」としています。法律上の定義は、字義通りに解釈すれば、放射能の直接被害と、それに関連した狭い範囲の損害に限定されるかのようです。
 この「原子力損害の賠償に関する法律」という法律は、1999年のJCO臨界事故以外には、現実に適用されたことがありません。そのときには、原子力損害の定義は、直接的な放射能の作用による損害だけでなく、損害賠償法理における相当因果関係にあるものを非常に広く指すものとされました。その線に沿った下級審の判例もあります。例えば、風評被害も、原子力損害に含まれました。
 常識的に考えて、原子力損害の問題は、現実の放射能被害は最初からあるまじきものとしたうえで、取り返しのつかない健康への影響という危険の問題として構成するところに、実質的な意味があるものでしょうから、危険という概念を基準に、広く損害を認定すべきものなのでしょう。現実に、今回の事故に関する政府等の対応では、風評被害等を含めて広く原子力損害が認定されているようです。
 原子力損害は、原子力損害そのものではなくて、その損害の危険と危険回避による損害が問題なのです。中部電力の社員の方は、回避されるべき原子力損害そのものを引き合いに出したのですから、その限り、おかしいのですが、一方で、その発言は原子力損害の意味自体を反省させる契機にはなっているのです。
 原子力損害は、危険との関連で、できるだけ広くとらえられねばならないとしても、どこまでが原子力損害であるかについては、当然に、一定の範囲を画さなければなりません。今後、訴訟などを通じて確定されていくのかもしれませんが、現実に様々な紛争を伴いながら損害認定がなされている現況について、あるいは、一般的な損害範囲を画する基準等について、学説等の議論の盛り上がりがあってもよさそうです。
 例えば、政府の避難指示に基づいて避難したことに起因する損害は原子力損害でしょうが、その場合は、政府の避難指示が妥当であることが前提でしょうね。もしも、誤った避難指示によって損害が生じたら、それは、原子力損害でしょうか。難しい問題ですよね。もしかすると、政府の妥当性を欠いた避難指示等による損害は、国家賠償の対象であって、「原子力損害の賠償に関する法律」のうえの損害ではないかもしれません。
 こうした事態を想定して、「原子力損害の賠償に関する法律」の立法時には、政府による直接補償を第一とし、その後に政府から原子力事業者に対して求償する仕組みが検討されたのだと思います。私は、今でも、この立法時の構想に従った処理が妥当な方策であるとの考えをもっているのですが。
 

いずれにしても、原子力損害とは何かという問題についてすら、客観的に議論できる雰囲気に現在の言論界はない、ということですね。
 
 そのような社会の現状は、社員の「不適切な発言」を謝罪する中部電力の見識のなかに、はっきりと表れています。
 私は、中部電力の社員の発言を支持するものではない。しかし、なるほど、原子力損害賠償を長く論じた身でありながら、原子力損害の定義自体を考え直すことがなかったことを気付かせてくれたのは事実です。また、その社員の発言について謝罪し、その社員を上司が注意するという中部電力の対応については、若干の違和感を禁じ得なかったのも事実です。
 
以上


 次回更新は8月2日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。