投資信託は本当の信託なのか

投資信託は本当の信託なのか

森本紀行
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投資信託は信託です。しかし、それは、信託法の特則として、特別法によって設定された信託だから信託なのだという意味にすぎないのか。投資信託は、主に個人投資家の便益のために利用されるわけですが、そこでは、真の信託の機能として、受益者である投資家の利益保護の仕組みが貫徹しているのか。投資信託は本当の信託なのか。
 
 ここでいう投資信託は、法律で規定する「委託者指図型投資信託」のことで、個人の投資家が、証券会社や銀行等を通じて、あるいは職域などで確定拠出年金を通じて、投資しているものです。要は、普通の投資信託です。
 なぜ投資信託を論じるかといえば、その社会的意義が重要性を増していくと思われるからです。それは、二つの方向においてです。
 第一に、個人貯蓄における預貯金から投資への移行、第二に、老後生活資金形成における相互扶助型年金制度から個人自助努力型貯蓄制度への移行、この二つの方向において、受け皿となる仕組みは、投資信託であろうと考えられるわけです。故に、投資信託は社会的に重要なのです。
 

つまり、今後、重要性を増していく投資信託について、その社会的意義に相応しい制度設計になっているか、そこを問題にしたいということですね、しかも、信託という側面から。
 
 日本の個人貯蓄には、元本が保証される預貯金等へ偏重している特色があり、その問題点については、もう論じ尽されたことです。「貯蓄から投資へ」などという標語のもとに、銀行や証券会社等の金融機関の営業政策としても、預貯金から投資信託への誘導の努力がなされてきたのですが、事実としては、元本保証型へ著しく偏った貯蓄構造に、大きな変化はなかったのです。
 同様なことは、確定拠出年金でもいえるでしょう。企業型の場合、多くは、確定給付企業年金から移行してきているわけですが、法人として運用している企業年金基金においては、それなりに、投資らしい投資がなされているのに対して、確定拠出年金における投資対象の選好では、どうしても、個人貯蓄と同様な元本保証型への傾斜が生じてしまうのです。
 さて、こうした事態に対して、投資信託の業界も、確定拠出年金の関係者も、そして政府さえも、原因として、国民一般の投資に関する知識の不足、あるいは投資に関する意識の後進性を想定し、「投資教育」の必要を叫んできたのです。しかし、その教育効果は、少しも、というのが関係者に失礼ならば、社会的に意味ある程度には、あがっていないのが現状です。
 

教育効果が十分にあがらないのは、もしかすると、投資信託の品質に問題があるからではないのか、そういう自然な疑問も生じますね。
 
 飲食店が流行らないのは、多くの場合、おいしくないからであって、人がおいしくないと感じるのは、食する側の味覚に問題があるというよりも、作る側の板前の腕に問題がある、そう考えるのが素直です。
 それに対して、政府も、金融業界も、いわゆる「有識者」と称する人たちも、食べられる料理の味ではなくて、食べる側の味覚を問題にし続けているのです。どこか、おかしくはないでしょうか。
 敢えて、社会の進歩のために暴露しますが、私も参加していた業界関係者のしかるべき会において、投資信託を社会に提供する責任者から、正直なところ自分自身として投資したいと思えるような商品の提供ができていないとの発言が公然となされました。贔屓目にみれば、真摯な反省のようでもありますが、実質は、正直すぎて呆れ返るような無責任な放言です。
 要は、投資信託の専門家は、投資信託の実態を知り尽くしているが故に、投資信託に積極的に投資しようと思わないのです。まずい料理を作っているという自覚のもと、それを客に食べさせることで生活しつつ、自分は、別のおいしいものを食べているとしたら、料理道など、成り立ち得ない。しかも、内心まずいと思っている客を、味覚音痴と決めつけるとしたら、もはや、人の道からも外れているとしかいいようがない。
 

2013年の12月に出された「金融・資本市場活性化有識者会合」の報告書、「金融・資本市場活性化に向けての提言」においても、特別に、投資信託に一項を割いていますね。
 
 長いですが、敢えて、関係個所の全部を引用しましょう。以下の通りです。
 「投資信託等については、若年者から高齢者に至るまでのライフサイクルに適合した商品の開発・普及促進が不可欠である。短期間での商品乗換えによる販売手数料収入重視の営業を見直し、運用に係る透明性向上とともに、投資家のライフステージを踏まえ、真に顧客の投資目的やニーズに合う、個人投資家の利益を第一に考えた商品の開発・普及促進に向けた取組みを強力に進める必要がある。また、その販売においては、個人投資家のニーズに合致し、長期的な資産形成につながる商品を選択して推奨することが必要である」
 

問題意識として、「個人投資家の利益を第一に考えた商品の開発・普及促進に向けた取組みを強力に進める必要がある」とされているということは、現状は、こうなっていないことを明瞭に認めるものですね。
 
 現状は、「個人投資家の利益」が第一ではなくて、「販売手数料収入重視の営業」が第一であることを、この報告書は、はっきりと認めて、その早急かつ強力なる改革の必要性を訴えているのです。この報告書が投資信託業界を規制監督している金融庁所管の有識者会合によって取りまとめられたことの意義は、非常に大きい。
 これほど率直な提言をまとめられた関係者の努力には、心から敬意を表したいですし、この有識者会合、現在も継続しているわけですから、具体的な改革への道筋につき、さらに踏み込んだ提言の出てくることを期待します。
 

この報告書でも、「個人の金融リテラシー」の向上という、伝統的な投資家教育論のような言葉がみえますね。
 
 しかし、「個人の金融リテラシー」を向上させるための教育の必要性などということは、一切、述べられていません。そうではなくて、自律的に、「個人の金融リテラシーが向上」するための環境の整備が問題とされ、「個人投資家の利益を第一に考え資産形成のニーズに応じて適切なアドバイスを行える幅広い人材が確保されていることが必要」とされているのです。また、当然のことですが、運用会社の切磋琢磨による資産運用の質の向上にも触れられています。
 つまり、投資信託の運用者が、投資家の利益を第一として、投資家の視点に立った運用を行い、それら運用会社が質の向上を目指して競争し合い、切磋琢磨するような環境を作ることで、投資家の金融リテラシーは向上してくるのであり、そのリテラシーの向上が更なる運用者側の質の改善を促す、そうした自律的な展開が想定されているわけです。
 金融リテラシー、即ち、投資家の味覚は、教育によって変化していくのではないのです。あくまでも、料理人が客の味覚に合わせた料理を作り、しかも、多くの料理人が切磋琢磨し、腕を競うことで、客の味覚が研ぎ澄まされてくるということなのです。
 

そうしますと、投資信託に関して、金融行政の視点は需要側から供給側へ移るわけですが、指導や規制によっては、質的なことは変えようがないですね。そこには、明らかに、行政機能の限界があると思われますが。
 
 資産運用の質は、人の能力、良心、良識、経験に規定されることで、結果によって事後的に証明されるしかなく、目に見ることも手に触れることもできない以上、物理的に評価することもできない。それを規制によって管理し、向上させることは、明らかに不可能です。
 この問題は、料理の質と同じです。料理の質は、食べる側の味覚に規定されます。質を高めるためには、味覚を研ぎ澄ますしかなく、味覚を研ぎ澄ますには、常に、より質の高いものが供給され続けなくてはならない。こうした「鶏と卵」的状況は、坂の上の重い岩と一緒で、坂を転がり始めさえすれば、加速的に展開するのですが、転がり始めない限り、何も動かないわけです。
 

では、何が変革の起動力となるのでしょうか。
 
 それは、投資信託を真の信託にすることです。
 例えば、そもそも、信託の受託者に課せられる責任を厳格に考えるならば、「販売手数料収入重視の営業」など、明瞭な忠実義務違反なのですから、原理的には、行われるはずがないのです。
 投資信託が真の信託であるならば、今さらに、「個人投資家の利益を第一に」などという必要はないのです。第一どころか、信託は、最初から、受益者である投資家の利益のためにのみ、存在するのですから、個人投資家の利益が第一となっていない状況自体が受託者の忠実義務違反なのです。
 投資信託が信託であるにもかかわらず、受託者の忠実義務違反が公然と行われているということは、法律の仕組みに欠陥があるか、法律の適用あるいは強制力に問題があるか、どちらかでしょう。いずれにしても、現実の投資信託は、信託の本質である受益者に対する忠実義務を欠いているのですから、信託として法律的に機能していないということです。
 

投資信託には、構造的に、信託として機能し得ない欠陥があるとして、その欠陥の根源は、どこにあるでしょうか。
 
 日本の投資信託の構造の特徴は、次の通りです。即ち、委託者である運用会社が受託者としての責任を負うこと、法律上の受託者である信託銀行は単なる事務代行者になること、委託者である運用会社は投資家を募る業務を証券会社等に委任する場合が多いこと。
 こういう仕組みは、受益者である投資家の利益保護の視点を、第一に、証券会社等の募集行為に関して説明責任等を課することに置き、第二に、運用会社である委託者に、委託者であるにもかかわらず、受託者としての責任を負わせることに置き、そして、最後に、事務代行者である信託銀行の受託者としての責任を置くという構図になっています。
 ところが、問題は、これらの三つの関係者の責任に、十分な連関性がないことなのです。例えば、販売手数料稼ぎの問題は、あくまでも、証券会社等にかかわるものあって、運用会社や信託銀行に直接に関係しません。つまり、信託の本来の機能である受託者の責任による受益者保護の領域に属さないことになるのです。
 信託銀行は、法律上の受託者であるにもかかわらず、事実上は、事務代行責任しか負わず、実質的な受託者としての責任を負うことになっている運用会社は、営業を証券会社等に代行させることで経営依存しているので、実質的な受託者として、受益者の利益を守るべき義務が果たせていないのです。
 結局、三つの関係当事者は、分断された責任関係のなかで、受益者である投資家の保護のために、連携して責任を負うべく制度設計されたはずなのに、事実上の共同無責任の状況を作り出してしまっているのです。
 

そうしますと、改革の方向は、各当事者の責任の一種の連帯性を導入するということですね。
 
 そうです。そのためには、一つの信託の受託者責任を中核として、その資産運用管理部分を代行する運用会社の責任、事務代行を行う信託銀行等の責任、募集代行を行う証券会社等の責任という三つの責任を統括することが必要なのです。
 
以上


 次回更新は3月13日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨


≪ アーカイブから今週のお奨めは「TPP対応」  ≫
2013/03/19掲載「日本にこだわってこそのグローバル
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。