金融危機さなかの信託銀行批判

金融危機さなかの信託銀行批判

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
1997年11月24日、山一證券の野澤社長は、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」という有名な涙の記者会見を行い、自主廃業を発表しました。この11月は、先に三洋証券と北海道拓殖銀行が相次いで破綻しており、日本の金融の大きな転換点となった深刻な危機の開始を告げたときです。
 
 1997年10月12日、日経金融新聞に、私の書いた論考が掲載されました。それには、「信用リスク、信託銀にも存在」という表題がついていたのです。このとき、既に、水面下では、金融危機は始まっていました。いつ、どの大手の金融機関が破綻してもおかしくないという状況のなか、信託銀行の一角にも、真実味をもった噂が取り沙汰されていました。そのとき、この論考が与えた影響は、決して小さくありませんでした。
 なお、日経金融新聞というのは、日本経済新聞本誌と並行して発行されていた日刊紙ですが、その後、廃刊になって、今では、日経ヴェリタスという週刊誌に引き継がれているようです。当時、確か、週に一度、「年金スコープ」という特集があって、私の論考も、そこに掲載されたのでした。
 ちなみに、日本経済新聞社は、1996年1月に、『年金の誤算』という本も出版しており、その頃は、年金の問題に熱心だったようです。その『年金の誤算』にも、私の名前が登場します。懐かしい思い出です。
 

論考の主旨は、信託銀行が破綻したとき、信託財産の倒産隔離が完全には機能しないのではないか、という懸念の表明にあったわけですね。
 
 実は、1997年というのは、日本経済を震撼させた大規模な金融危機開始の年なのですが、その幕開けは、4月に、日産生命が債務超過に陥って、大蔵省より営業停止命令を受け、破綻したことでした。
 この日産生命と団体年金保険契約を結んでいた企業年金は、破綻に伴って契約が新受け皿会社に引き継がれる際に、契約金額の減額や解約返戻金の削減などが行われ、損失を受けていたのです。これは、保険契約の性質上、当然のことではあったのですが、そもそも、金融機関の信用リスク自体が認識されていなかったときに、企業年金の世界に大きな衝撃を与えたものです。
 では、信託銀行との間に締結されていた年金信託契約は、安全なのか、つまり、当時、深刻な経営危機が噂されていた信託銀行の一角が破綻したとき、信託されている年金資産は完全に保護されるのか、これが、当時の大きな関心事だったのです。
 

信託という制度の本質上、当然に、完全な倒産隔離があると信じられていたはずですね。
 
 当時の問題は、漫然と、全く無反省に、信託の安全性が信じられていたことです。誰も、信託法や信託契約の文言について、確認などしていなかったのです。それでは、年金資産の管理者として、十分な責任を果たしているとはいえない。私は、そこを問題にしたかったのです。
 

具体的に、当時の信託契約には、どのような問題点があったのでしょうか。
 
 私の日経金融新聞の論考では、三つの問題点を指摘しています。
 第一は、当時の信託法制では、有価証券の信託が行われた場合、その旨の公示、具体的には、その有価証券に「信託財産ナルコトヲ表示」するのでなければ、「第三者ニ対抗スルコトヲ得」ないとされていたのですが、現実の実務では、そのような表示は省略されていたことです。
 第二は、当時の信託実務では、短期資金等の運用対象として、信託銀行の銀行勘定に対する貸付(いわゆる「銀行勘定貸」、略して「銀貸(ギンガシ)」)が広範に行われていたのですが、この銀貸は、明らかに信託銀行自身に対する与信行為であって、信託財産としての保護が働かないものであったことです。
 第三は、やはり、当時の信託実務の問題として、為替取引は、信託銀行の銀行部門によってなされていたことです。為替取引に取引の相手である信託銀行自身の信用リスクが付きまとうのは、当然のことです。
 以上三点については、万が一、信託銀行が破綻した場合、法律上、完全な倒産隔離が効かないことは明らかであって、そのような事実に全く無関心でいる企業年金等の担当者や、行政の怠慢に対して、私は警鐘を鳴らしたわけです。
 

それにしても、第一の論点、即ち、法律の明文の規定にもかかわらず、信託財産としての公示が省略されていたというのは、どういうことでしょうか。
 
 問題の基本的な所在は、信託銀行の実務の怠慢にではなくて、古い法律の規定を時代の実勢に合わせて改正してこなかった政府の怠慢にあるのです。実際、有価証券の信託の公示の方法を定めていたのは、「有価証券ノ信託財産表示及信託財産ニ属スル金銭ノ管理ニ関スル件」という大正11年の勅令だったのですから、時代錯誤というか、そもそもが、勅令の適用自体が、実務上は、不可能だったのです。
 実際、公証人をして、「信託表示簿ニ証券ノ種類及番号並委託者及受託者ノ氏名ヲ記載シ証券ニハ信託財産ナルコト及登簿番号ヲ記載シテ日附アル印章ヲ押捺シ尚其ノ印章ヲ以テ信託表示簿ト証券トニ割印ヲ為」さしめることなど、頻繁に売買される有価証券運用の実態に照らして、不可能であることは自明でしょう。
 しかしながら、法律の明文があることを無視して信託財産の公示を省略することは、信託銀行にとって、明白な注意義務違反になるわけですから、それもできない。そこで、当時の実務では、信託契約のなかに、公示の省略という特約を入れていたのです。つまり、委託者である企業年金等の合意のもとで、公示の省略が行われていたということです。
 私が問題としたかったことは、第一に、当時の企業年金等の関係者で、自らの責任において公示の省略を行っていることを自覚していた人など皆無に近かったということ、いうなれば企業年金等の側における責任感覚の欠如であり、第二に、かような古色蒼然たる法律の文言を無反省に維持し続けてきた政府の無責任ぶりです。
 

公示方法は、その後、改正されたのでしょうか。
 
 現在の法律では、信託の公示は不要になっています。つまり、信託銀行の管理において、信託財産としての明瞭な分別がなされていれば、それをもって、第三者に対抗できることが、法律上、明確になっています。
 実のところ、当時においても、信託銀行においては、公示の省略にもかかわらず、信託財産の分別管理をもって対抗できると考えていたのだと思われます。ただし、そのような信託銀行の見解は、法律の明文との関係では、大いに疑義があったということです。法律の改正は、単に、その疑義を取り除いたにすぎないのです。
 問題なのは、その大いなる潜在的疑義につき、誰も、顕在的に論じようとしてこなかった日本社会の風土です。そのような風土は、今、この2014年においても、完全には払拭されていないでしょう。そこが、日本の問題なのです。
 

銀貸については、どうなったでしょうか。
 
 現在の実務では、短期資金は、コールローン等で運用されており、100万円未満の端数金額についてのみ、銀貸が行われています。事実上、信託銀行に対する与信は、一掃されたのです。
 

外国為替取引については、どうなったでしょうか。
 
 為替取引に取引の相手としての外国為替銀行に対する信用リスクが伴うことは、当然のことで、どうしようもありません。当時の問題は、選択の余地なく、外国為替銀行が受託信託銀行自身となっていたことなのです。
 現在では、他行為替と称して、受託信託銀行以外の銀行との取引が可能となっています。つまり、運用会社の判断によって、取引の相手方として安全な銀行を自由に選ぶことができるようになっているのです。
 

では、結局、三つの問題の全てが解消しているのですね。
 
 実は、これらの改革は、金融危機のさなか、あっという間に行われました。私の論考が出たのが1997年10月、翌11月には、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、翌1998年には、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行と、相次ぐ破綻のなかで、三つの全てについて、改革がなされ、信託銀行の信託口座の倒産隔離は、ほぼ完全なものとなったのです。
 

要は、危機が変革を生んだのですね。
 
 日本にも、それなりの危機対応力があったということの証明です。私には、この日経金融新聞の論考と、その後の激変を目の当たりにできたことは、懐かしい思い出です。
 そして、もう一つ、忘れることのできない思い出があります。この記事が出てから随分と時がたった頃、もう金融危機が収束していたときに、ある大手信託銀行の役員の方から、食事に誘われたことです。この信託銀行は、まさに、危機のときには、何かと取り沙汰されていたのです。
 その会食の席で、この役員の方がいわれたのは、「あの局面で、あの記事は、いかにも厳しかった。しかし、あれがあったから、自分たちも変われたのだ」ということでした。私には、とても嬉しい一言でした。私としては、信託銀行業界の恨みを買うことは、当然の覚悟のうちだったのですから。
 理想的には、危機を回避すべく、素早く自己変革していくべきでしょう。しかし、そのようなことは、いうに易く行うに難きことです。所詮、人間社会の現実では、危機は避けがたく来るのです。その危機に際して、変革できれば、それで十分なのです。問題は、危機の認識でしょう。危機認識がなければ、変革もない。
 

今、私たちは、当時とは異なる危機のなかにいます。大切なことは、その危機認識のなかで、更なる変革を遂行することですね。
 
 信託は、もっと変わらなくてはいけない。抜本的に変わらなくてはいけない。年金信託だけでなく、投資信託にしても、信じられ託されていることの自覚のもと、改革しなければならないことが、まだまだ、たくさん残されているのです。

以上


 次回更新は2月13日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨

≪ アーカイブから今週のお奨めは「厚生年金基金」  ≫
2013/12/26掲載「厚生年金基金、やめるなら正しくやめようよ
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。