20221215 経済の顧客満足による成長と顧客本位による持続可能性 経済の成長は、企業の経営努力が顧客利益を拡大させることで、新たなる需要が創造され、資本利潤が増大して、それが更なる顧客利益の創造のために再投資されていく好循環のことです。 フィデューシャリー・デューティー
20221110 投資運用業者がフィデューシャリー・デューティーを徹底すべき理由 投資運用業者がフィデューシャリー・デューティーを徹底することで、資本市場の公正性が実現し、それが資金調達を行う企業等の改革を促して、経済の持続的成長に結実するのです。 フィデューシャリー・デューティー 投資のプロフェッショナル
20210908 金融機関の自律が基本になるなかでの規制の意味 金融庁の行政手法が抜本的に変わり、金融機関の自律が原則となって、その切磋琢磨が金融機能を高度化させていくと想定されるなか、規制の新たな存在意義とは何か。 フィデューシャリー・デューティー
20210825 投資運用業者が得る報酬に合理的根拠はあるのか 雇用において、合理的な区別は許容されても、非合理的な差別は違法となるように、専門家に委任するについても、その報酬は合理的に算定されるべきですが、さて、投資運用業者の報酬は合理的なのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210408 筑波山から世界の先端に躍り出た蝦蟇の油売り 使ってみないとわからない商品の機能について、売り手が顧客の目の前で実際に使って見せて、その優秀さを証明して売る、これが実演販売です。今や、テレビやインターネットを通じた実演販売は非常に盛んですが、その背景は何か。 フィデューシャリー・デューティー
20190320 見かけが利益相反なら利益相反だ 紛争において、相手の非を主張するものが相手の非の存在を証明するのか、相手から自らの非を主張されたものが自らの非の不存在を証明するのか、この証明責任の所在の問題は紛争の勝敗に決定的な影響を及ぼします。いうまでもなく、証明責任を負わされた側が著しく不利になるのです。さて、金融界に蔓延する利益相反のおそれについて、その根絶のためには、おそれにすぎないことの証明責任を金融機関に負わせるべきではないのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170824 銀行には顧客を賢くする義務がある 商業の一般原則として、より大きな社会的付加価値を創造してこそ、より大きな利益を得ることができることは、近江商人の「三方よし」を引き合いに出すまでもなく、常識に属することです。銀行業も例外ではなく、付加価値を大きくするために、顧客の視点に立って、よりよいものを提案することで、よりよいものを求める顧客の需要を創造していく必要があります。さて、銀行は、この基本に忠実であり得るのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170323 その投資信託を売る君よ、自分でも買いたいと思うか 投資信託を運用しているもの、また、それを顧客に販売しているものは、自分が関与する投資信託に自分でも投資したくて現に投資しているのか、あるいは、投資目的の違いや資金不足等で投資してはいないけれども、顧客の立場に身をおいたときには、心よりの真実の願いとして投資したいと思えるのか。そうでないのに、顧客に販売することは、商業道徳に悖るのではないか。 フィデューシャリー・デューティー
20161013 金融における葡萄畑の宝探し イソップの寓話集にある葡萄畑の宝探しの話は、金融に置き換えて、その寓意を考えると、徹底した顧客志向こそ、金融機関の利益である、ということになるでしょう。これを、金融のなかでも、資産運用関連の業務についていえば、フィデューシャリー・デューティーの徹底こそ、金融機関の利益である、ということです。顧客とは、自分の葡萄畑のことであり、そこに宝物が隠れているのです。 フィデューシャリー・デューティー
20160421 弁護士はフィデューシャリーとして喜んで成仏すべきか 今、金融界では、フィデューシャリーとしての義務が非常に注目されています。実は、フィデューシャリーの代表は弁護士なのですが、そこでは、専らに社会のために働いて、かろうじて生活が維持でき、最後に成仏できれば、それでいいではないかという成仏理論を唱える人もいます。さて、フィデューシャリーとして生きることは、金融機関としても、弁護士としても、経済的に報われないのか。 フィデューシャリー・デューティー