
金融機関の経営者の使命は、そこに働く人に、プロフェッショナルであり、フィデューシャリーであるとの自覚と誇りを与えることにつきます。
フィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)は英米法に特有の概念で、法体系の全く異なる日本において、これを知る人は一部の専門家に限られるはずなのに、実際には、日本の金融機関に所属する人は、誰でもが知っています。実は、この異常な事態は、金融行政の帰結なのです。
金融庁は、2014事務年度の金融行政方針において、フィデューシャリー・デューティーの徹底を金融機関に求めて以来、現在に至るまで、それを金融行政の中核理念に採用しています。理念として採用するとの意味は、金融庁は、国民の安定的な資産形成を行政目的に掲げるなかで、英米法のフィデューシャリー・デューティーについて、その基礎にある理念と用語を借用し、そこに金融庁独自の顧客本位の業務運営という理念を追加したということです。
理念だけでは、行政目的は実現しないのではないでしょうか。
「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」は、2023年11月20日に、改正法として成立したのですが、その第二条第一項において、「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」は、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を定めています。この義務こそ、金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーの理念を立法化したものです。
ここで注意すべきなのは、この法律の定義する金融サービスは、全ての金融機関が提供する全ての金融サービスの総体であり、更には、企業年金の資産運用のように、金融機関ではない事業者の提供する金融機能をも含んでいることです。
「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」というところに、フィデューシャリー・デューティーの理念が要約されているのでしょうか。
英米法において、フィデューシャリーとは、その代表例である弁護士のように、顧客からの特別な信頼を得て、職務を遂行する人のことで、フィデューシャリー・デューティーは、フィデューシャリーが職務遂行に際して負う高度な義務を意味しているわけです。つまり、単なる信頼ではなく、特別に深く厚い信頼だからこそ、法律上、特別に高度に保護されているのです。
要は、フィデューシャリーは、高度に専門的な知見に基づいて職務を遂行する人なので、顧客の利益が実現しているかの判定は、一般人の平均的な知見ではなくて、専門家の高度な知見を基準として、社会的に評価されるわけですが、その際に、単なる顧客の利益ではなくて、最善の利益を実現すべき特別な義務を負うということです。
日本の法律は、このフィデューシャリー・デューティーの理念を採用して、金融サービス提供事業者は、高度に専門的な知見に基づいて職務を遂行するものとして、顧客の最善の利益に適うように行動すべきであるとしているのであり、また、同時に、顧客と金融サービス提供事業者との間にある大きな情報格差について、その悪用を禁じているわけです。
利益相反の禁止ですか。
顧客との大きな情報格差のもとで職務を遂行するものは、容易に、自己、もしくは第三者の利益を図り、顧客の利益を損なうことができます。そこで、英米法のもとでは、フィデューシャリーは、専らに顧客の利益のために働くという高度な忠実義務を負うこととなり、利益相反、即ち、自己、もしくは第三者の利益を図ることができなくなっているのです。
しかも、顧客は、大きな情報格差のもとでは、仮に利益相反があったとしても、その事実を証明できないのですから、外貌上、利益相反の疑いがあるときは、フィデューシャリーは、その不存在を証明すべきであると考えられます。実際には、何についてであれ、不存在証明は極めて困難ですから、フィデューシャリーは、李下に冠を正さずの喩え通りに、事実としての利益相反だけではなく、可能性としての利益相反すらも回避することになるわけです。
日本の法律でも、顧客の最善の利益を勘案することは、当然に、専らに顧客の利益のために働くことを意味するのですが、利益相反禁止の実効性は、法律の条文だけでは、明確になっていません。この点については、法律改正の余地はあるものの、金融行政の現状においては、金融サービス提供事業者は、金融庁の定める「顧客本位の業務運営に関する原則」を採択することで、自主自律に基づいて、利益相反の管理を厳格に行うように求められていると考えられます。
あるいは、立法の経緯からいえば、「顧客本位の業務運営に関する原則」に基づく自主自律について、より実効性を高めるために、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」という文言が法律に明示されたともいえます。
利益相反の禁止から、更に、合理的報酬の考え方が導かれるわけですか。
フィデューシャリー・デューティーを極限まで突き詰めれば、フィデューシャリーの職務は無償の行為になります。なぜなら、報酬を得ることは、自分自身の利益のためだからです。しかし、それでは、フィデューシャリーの職務は成立しませんから、フィデューシャリー・デューティーのもとでは、報酬は、役務を提供することの原価に一定の利益を加味したものとして、合理的に算定されるべきこととされています。これが合理的報酬の考え方です。
日本の法律においても、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」の意味のなかに、合理的報酬の考え方が含まれていますし、既に、「顧客本位の業務運営に関する原則」にも、同じ考え方が内包されています。
フィデューシャリーは個人ですが、日本の金融サービス提供事業者も個人を意味するのでしょうか。
英米法のフィデューシャリーは、弁護士、年金基金の理事、企業の取締役など、高度な専門的知見を有し、他者からの特別な信頼のもとで職務を遂行する個人です。ところで、プロフェッショナルは、高度な専門的知見や、難易度の高い技術に基づいて職務を遂行する自営業の個人ですから、フィデューシャリーは、他者からの特別な信頼のもとで職務を遂行する特殊なプロフェッショナルになるわけです。
日本の法律では、金融サービス提供事業者は金融機関等の法人、および法人の所属員である個人の両方を含みます。しかし、金融機関に勤務する人は、明らかにプロフェッショナルではなく、自分自身が顧客の最善の利益を勘案するフィデューシャリーであるとは自覚しておらず、金融機関が組織として顧客の最善の利益を勘案するなかで、組織規律に従うことをもって、職務上の義務と考えているはずです。
しかし、組織として顧客の最善の利益を勘案することは、不可能ではないでしょうか。
患者を治療するのは、組織としての病院ではなく、そこに所属する個別具体的な医師であるように、また、訴訟を遂行するのは、弁護士事務所ではなく、そこに所属する個別具体的な弁護士であるように、顧客の最善の利益を勘案できるのは、顧客との接点にいる個別具体的な職員だけであって、組織としての金融機関にできるのは、その職員を適切に指導し、支援することだけです。
金融機関の経営者の使命は、職員に、プロフェッショナルであり、フィデューシャリーであるとの自覚を与えることですか。
金融行政の理念を総合的に考慮するとき、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」との文言は、金融機関の経営者は、合理的な処遇制度と働く人の自律を尊重した組織運営によって、職員を適切に動機付けて、プロフェッショナルであるかのように、かつフィデューシャリーであるかのように行動させる義務を負うという意味に解されるべきです。
金融機関経営の現状においては、多くの場合、自己本位の視点で、職員を使役して、顧客に金融サービスを提供させているのに対して、金融庁は、それを顧客本位に抜本的に転換させるために、金融機関の経営者に対して、職員を教育して、専門的知見のもとで顧客の最善の利益を把握できるプロフェッショナル的な人に育成し、職員を動機付けて、顧客の最善の利益を実現できるフィデューシャリー的な人として行動させるように、求めているわけです。
・かかりつけ医的に顧客をケアする金融機関の責任(2024.6.13掲載)
本記事では、「顧客の最善の利益を勘案する」とは、どういうことなのかを解説しています。
・企業に働く似非プロフェッショナルを本物にするために(2025.4.10掲載)
本記事から示唆されることは、金融機関に「本物のプロフェッショナル」が育つよう事業構造の転換を求めているのがフィデューシャリー・デューティーである、ということです。
・働く人がオーケストラの楽人のように創造の曲を奏でるとき(2025.3.27掲載)
本記事では、組織と働く人の水平的な関係について論じています。フィデューシャリー・デューティーもまた、組織が垂直的に強制するものではなく、水平的な規律に基づき、働く人の自律的な行動によって果たされます。
(文責:城)
次回更新は、5月22日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。