20170622 口先だけの顧客本位で淘汰される金融機関とは 金融庁の森信親長官は、最近、ある講演で、「顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境を作っていくことが、我々の責務」と述べて、金融界を震撼させました。さて、森長官がいう口先だけの顧客本位とは、具体的に、どういう事態を指すのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170615 高齢者に対する正しい資産管理営業 金融庁は、国民の安定的な資産形成を重点施策に掲げて、資産運用関連事業の急速かつ大胆な改革を強力に推進しています。資産形成の名のもとに主として想定されているのは、勤労層の老後生活資金の形成ですから、既に老後生活に入っている高齢者については、形成済みの資産を管理運用するものとして、異なる視点のもとで検討されなくてはならないはずです。さて、金融機関の対応は、どうあるべきか。 フィデューシャリー・デューティー
20170608 野村證券と野村アセットマネジメントは両立できるか 金融庁が3月30日に公表した「顧客本位の業務運営に関する原則」では、利益相反の可能性についての厳格な管理が求められています。問題となり得る典型的な事案として、同一金融グループ内で投資信託の運用と販売を同時に行う事態が想定されるわけですが、さて、顧客本位を徹底するとき、この二つの事業を同じ屋根の下で両立させることはできるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170525 野村證券に顧客本位は似合うのか 野村證券は、4月14日に、「お客様本位の業務運営を実現するための方針」を公表しました。これは、金融庁が3月30日に公表した「顧客本位の業務運営に関する原則」に対し、直ちに呼応したものだと思われます。さて、この迅速な動きは同社が取り組んでいる「ビジネスモデルの変革」への強い意気込みを示すものなのでしょうが、その成否やいかん。 フィデューシャリー・デューティー
20170518 セゾン投信で顧客本位を学べ 金融庁が公表した「顧客本位の業務運営に関する原則」については、資産運用関連業界の中においても外においても、極めて残念なことに、その本質は十分に理解されていないようです。そこで、セゾン投信の対応を優れた具体例として、金融事業者として、顧客本位の徹底が何を意味するのか、何を顧客に確約するのか、いかにして約束を確実に履行するのかを考えてみましょう。 フィデューシャリー・デューティー
20170413 まともな投信1%、森信親金融庁長官が斬る業界の悪弊 森信親金融庁長官は、4月7日に行った講演で、積立NISAの対象となり得る投資信託が全体の1%にも満たないことを述べて、業界関係者に対して改善を強く求めました。そのなかで、従来にも増して厳しい表現を用いながら業界の構造的欠陥を指摘し、抜本的な改革の必要性を訴えたのですが、さてさて、業界人の心に響いたのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170406 顧客本位な営業や広告宣伝はあり得るのか 商品を売る工夫や努力は、商品を供給する側の立場において構想されざるを得ないものですから、どこまでも業者本位です。それに対して、顧客の真の利益を追求する顧客本位においては、商品は、顧客が商品に見出す価値に真に適うことをもって、自然に売れるものとなるはずですから、売る工夫としての営業や広告宣伝は原理的にあり得ないわけです。 フィデューシャリー・デューティー
20170323 その投資信託を売る君よ、自分でも買いたいと思うか 投資信託を運用しているもの、また、それを顧客に販売しているものは、自分が関与する投資信託に自分でも投資したくて現に投資しているのか、あるいは、投資目的の違いや資金不足等で投資してはいないけれども、顧客の立場に身をおいたときには、心よりの真実の願いとして投資したいと思えるのか。そうでないのに、顧客に販売することは、商業道徳に悖るのではないか。 フィデューシャリー・デューティー
20170309 これが金融庁のいう顧客本位だ 金融庁のいう顧客本位の業務運営とは、金融機関本位を顧客本位に改めることだけでなく、顧客満足を顧客本位に改めることも含みます。さて、この顧客本位の理念について、どれだけの金融機関が平易な言葉の裏にある真の意味を理解し、その前提となる自律的統制への転換に真剣にとり組んでいるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20170119 顧客満足に反してこその金融 金融庁は、顧客本位ということを、金融機関に求めているのですが、背景の事情を理解しない一般の人からすれば、行政の施策にするまでもなく、商業の常識だということになるでしょう。しかし、金融庁は、顧客本位をもって、単なる顧客満足としているわけではなく、金融も含めて、世の商売では、顧客満足の名のもとに、顧客本位に反したことが行われがちであることを問題視しているのです。 フィデューシャリー・デューティー