20210401 共感が顧客基盤をコミュニティにするとき 豊かな社会においては、商品は飽和し、消費の多様化が進行します。消費者は、商品の効用だけを求めているのではなく、効用以上の多様な何かを求めているのですが、例えば、その一つは商品への共感であり、商品の製作者への共感です。 フィデューシャリー・デューティー
20210318 晴れた日に傘を貸す金融が終わるとき 普通の商業においては、顧客の個別具体的な需要に応えればよく、人としての顧客そのものを知る必要はないのですが、金融においては、金融庁が顧客本位というように、顧客そのものと真摯に向き合うことが求められるのは、なぜなのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210311 幻想としての顧客と真の顧客 人や物が具体的な人や物として立ち現れるのは、その人や物に注意を向け、何らかの交渉をもつときで、それまでは、人や物は目に映った像にすぎないのです。では、商業において、人が顧客として立ち現れるとは、いかなる意味をもつのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210204 ヴァーチャルな顧客とのリアルな関係 人は様々に異なる立場を使い分けていて、そのたびに役割を表す仮面を被り変えているようなものですが、仮面は多数あっても、その裏の顔は一つです。さて、商業において、商人が対する顧客の仮面の裏に、その真の顔を見ることができるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20210128 商業が芸術の域に達するとき 企業が商品を生産しても、その段階では価値は創造されず、価値は、商品が顧客に販売され、顧客が消費したときに、顧客のなかで創造されます。これは商品の普遍的原理であると同時に、商品生産者が常に忘れていることであって、革新とは、要は、基本原理にたち返ることにほかなりません。 フィデューシャリー・デューティー
20200820 自分のために働くと顧客本位になる 人は自分のために働きます。つまり、人は自分に固有の価値の実現のために働くのです。そして、価値は社会的価値として実現されてこそ真の価値なのですから、真に自分のために働くことは、顧客との共通価値の創造として、必ず顧客本位になるのです。 フィデューシャリー・デューティー
20200806 銀行改革は顧客の再定義から始まる 金融庁は銀行に対して顧客本位の徹底を求めていますが、商業の常識として顧客本位を徹底するためには、銀行は、顧客を特定し、特定された顧客に対して特定された業務の提供を行わなければならないはずですが、それに程遠い現状のなかで、いかにすれば顧客本位を徹底できるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200702 こうすれば銀行員は生き残れる 銀行は、その金融機能の多くを外部化させて、解体に向います。そのとき、銀行員は、抽象的な銀行員としては死し、金融機能毎に個別具体的な知見をもつ専門家として蘇生しなければならないのですが、そのような銀行員の本質的な改造は可能なのか、可能にするために、今、銀行員は何をなすべきなのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200618 投資信託は銀行が売るものではない 商業の基本である顧客本位に忠実なら、業者を主語にした販売は、顧客を主語にした購買といわれるべきです。例えば、銀行の場合は、金融庁から顧客本位ではないと批判されるのは、常に銀行を主語にして、貸すという傲慢な姿勢で、借りる顧客の事情を十分に理解せず、投資する顧客の利益に反して、投資信託を販売するからです。では、顧客を主語にしたら、銀行は変わるのか。 フィデューシャリー・デューティー
20200604 生活者が賢く金融機関を利用するとき 食事は、料理の専門家によるよりも、はるかに多くの部分が料理の素人である生活者によって作られています。お金についても、金融の素人である生活者が働いて消費するなかで、自然に金融が機能していて、その単なる補完としてのみ、専門家としての金融機関の役割があるのではないでしょうか。 フィデューシャリー・デューティー