日本の株式市場は宝の山だ

森本紀行
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かつてない大胆な表題ですね。日本の株式市場にも多少の宝が隠れている可能性はあるでしょうが、宝の山は、いいすぎではないでしょうか。

 宝の山は、確かに、いいすぎかもしれない。しかし、株式のような相場ものを語るときは、威勢のいい話にしないといけません。これは、いわば、お約束です。だから、多少の誇張は許してください。
 しかも、世界の株式市場の動向と比較しても、日本の株式市場の長期低迷は顕著なわけですし、歴史的にも、平均株価の水準が30年近く前と似たようなものというのは、いかにも安い感じがしますよね。安いから宝ではないのですが、本来は高いはずの宝も安くなっているかもしれないとは、誰しもが思うのではないですか。


ところで、どこを掘ると宝が出てくるのでしょうか。なにしろ、宝の山なのだから、適当にどこを掘っても大当たり、ということでしょうか。

 だから、宝の山は、いいすぎなのです。やはり、よく考えて、適切な場所を、適切な方法で、掘らないと、宝は出てこない。どこを、どう、掘れというのか、と聞きたくなるでしょう。しかし、簡単に答えを求める人には、利益は落ちてきません。考え、努力したもののみが報われる、これが社会の正しいあり方です。投資の哲学です。


では、日本株式市場における宝掘りの方法論について、哲学的な考察を始めるとしますか。

 まずは、第一の格言。成長なきところ、株式投資なし。
 株式というのは、そもそもが、企業が資金調達の手段として発行するものです。株式という資金調達方法には、銀行融資や社債の発行とは異なり、定期的な利息の支払いや満期における弁済がない、つまり、時間に拘束されない、という利点があります。それだけ、企業は、手取り資金を使って、長期的な視点に立った投資ができる。長期的な視点での投資の目的は、もちろん、企業の成長の基盤を築くためです。したがって、企業の成長志向がないところでは、株式による資金調達の必要もなく、株式投資も成り立たない、ということです。
 いうまでもないですが、その株式投資が魅力あるものになるのは、企業の成長戦略が功を奏して、本当に企業が成長していくときだけです。それでも、魅力ある株式投資以前に、株式投資が成り立つ条件は、第一に、企業の成長志向です。魅力あるものになるかどうかは、銘柄選択の問題です。
 それにしても、株価が上昇を続けていた昭和の時代には、ある企業が公募増資を発表すると、ほとんどの場合、その株価は上昇したものです。当時は、私は、おかしいと思いました。新株の発行は、希薄化の原因なので、株価形成には悪材料であるべきではないか、逆に増資を囃して株価が上昇するのは、非科学的な投機ではあるまいか、と考えました。事実、現在では、増資の発表は、ほとんどの場合、株価の大幅な下落を誘発しています。
 しかし今では、私は、当時は考えが足りていなかったと思っています。当時の企業経営は、非常に積極的、拡大志向的でした。まさに、成長志向が企業経営にみなぎっていたのです。その成長戦略を前提にした増資は、積極的な成長資金の調達でした。だから、投資家は、目先の希薄化ではなく、将来の企業価値の上昇のほうに大きな期待を寄せたのです。その結果が、株価の上昇に現れた。成長志向があったからこそ、そして、企業の成長戦略が実現していて、投資家も企業経営を信頼していたからこそ、株式投資に魅力があったのです。懐かしい時代です。
 人はいうかもしれません、株式投資に魅力があったから株価が上昇したのではなく、株価の上昇が株式投資を魅力的にしていたのだと。しかし、株式は、価格変動するだけのものではない。株式投資は、投機ではない。株式は、企業の資金調達の方法なのです。調達資金が企業の中で価値を生んでいた、即ち、企業の成長に帰結したからこそ、株式投資が成り立っていたのであり、株式投資が魅力的だったのです。
 いまでも、公募増資は行われています。しかし、投資家は、増資の背景に明瞭な成長戦略をみることができない。あるいは、経営者を信じることができない。だから、目先の希薄化のほうに、強く反応するのです。これでは、株式投資が成り立つ前提を欠くわけであります。
 そうした、増資の最悪の事例の一つが、昨年の東京電力のものです。過去三か月、東京電力を論じ続けて、前回の論考で一つの締め括りとしたばかりですが、この増資を論じたのは、「なぜ東京電力について冷静な議論ができないのか」ですので、ぜひ、ご参照ください。


日本株式市場の長期低迷というのは、結局は、日本経済の長期的な低成長定着、さらには将来的な人口減少の中で経済の縮小すら見通される状況、まさに、成長なき日本を象徴しているのではないでしょうか。だとすると、成長なき日本では、株式投資は成り立たないのではないでしょうか。

 そこで、第二の格言。株式投資は事業投資。
 日本の株式市場の正確な意味は、東京証券取引所をはじめとする日本の取引所に上場している企業の株式の総体のことです。別に、日本という国の経済を上場しているわけではない。利益の大半を海外市場で稼ぎ出す企業が、歴史的には日本で創業した企業であることにこだわり、主たる上場地を日本に置き続けるならば、日本株です。いわゆるグローバル企業です。
 グローバル企業には、巨大企業もあれば、中堅企業もあります。規模は関係ないでしょう。海外で生産し海外で販売する事業が大きな比重を占める企業も少なくありません。こうした企業は、事業基盤が日本の外に拡大しているので、日本の内部に成長がなくとも、日本の外の成長を取り込むことができれば、いくらでも成長できるのです。株式投資は事業への投資です。そして、事業に国境はないのです。
 私は、かつて、「日本株で中国投資」という論考で、中国の成長から大きな恩恵を受けている日本企業に投資するほうが、中国の企業に投資するよりも、よほど安全で魅力的である、という趣旨を述べたこともあります。
 また、日本国内でも、投資対象の企業の事業が成長すればいいのです。成長は、成長のない産業の中ですら、同業他社を淘汰させることによって、実現できます。同じ事業でも、事業の仕組みを変えることで、新たなる成長の機会を生むことはできる。日本の経済が成長しなくても、個々の事業には、成長の機会がいくらでもある。株式投資は、あくまでも、個別企業の個別事業への投資なのです。
 日本という株式はありません。全て個別企業の問題です。グローバルにも、国内でも、成長している企業はある。株式投資は、成長事業への投資です。


確かに、そういう事業をもつ企業は、日本の株式市場の宝なのでしょうが、別に掘り返すまでもなく、海外の同業他社との比較において、適正な価格で取引されているのではないでしょうか。地表に現れて輝いている宝は、宝には違いなくても、特に魅力的ともいえないでしょう。

 そのとおりです。そこで、第三の格言。株式投資は、価値よりも低い株価で投資してこそ、魅力的。
 日本のグローバル企業の中でも、特に大企業は、外国人投資家の持ち株比率が高く、日本の投資家の価値観というよりも、グローバルな価値観で取引されていると考えられるので、特に、割安、即ち、価格が価値よりも低い、とはいえないかもしれません。つまり、隠れた宝ともいえない、ということですね。
 しかし、私は、もし、日本のグローバル企業が、東京証券取引所を去って、主たる上場地をロンドンやニューヨークにしたら、株価が二倍くらいになるのではないか、と漠然と感じているのであります。つまり、日本の市場に上場しているということが、日本という冴えない国の印象を企業にも与えて、その分、株価が割り引かれて取引される要因になっているのではあるまいか、と感じているのです。
 要は、宝に傷がついているのではないのですよ。汚れがついている。汚れだから、拭けばきれいに輝く。汚れの陰に、宝が眠っている。
 また、グローバル企業でも、時価総額の小さい企業は、海外投資家からは認知されにくいという現実もあります。時価総額が小さいといっても、グローバルな基準での話です。世界的には、大型株の定義は、時価総額100億ドル以上、今の為替で7700億円以上、です。ということは、日本には、70社くらいしかないことになります。逆に、時価総額が、20億ドル、即ち1540億円を下回ると、小型株になってしまいます。その中間が中型株ですが、日本には、中型株すら、250社くらいしかない。中型株になれば、やはり、認知度は下がる。ましてや、小型株ともなれば、世界の投資家から無視されやすい。
 日本の株式市場には、日本人からみれば大企業なのですが、世界的には中小型株にすぎず、日本の外では認知されていない銘柄が、山のようにあって、その中には、世界に通じるグローバル企業も少なからずあるはずなのです。必ずや、ここに、宝が眠っている。


宝も、汚れっぱなし、眠りっぱなし、では仕方ないのでしょう。どうしたら、宝は輝いてくるのですか。

 そのとおりなので、第四の格言。割安は、解消してこそ割安。
 おそらくは、日本の株式市場の構造的問題は、割安解消の道筋をつけられないことだと思います。時価総額の問題が典型的で、時価総額が小さいから海外から無視される、無視されるから時価総額が大きくならない、これでは、出口のない問題になって、どうにもならない。制度的な問題も、投資の内在的仕組みでは、解決できません。例えば、英語による開示の強制適用ですね。日本語による開示だけで、世界に通じるわけもない。
 日本企業の企業統治のありようも、古くて新しい問題です。先進経済圏全体における経済成長の鈍化の中で、国境を跨いだ資本再編は避けられないし、必要でもあるのです。しかし、日本企業の閉鎖性については、おそらくは、事実としても牢固として残り、海外からの否定的評価も、顕著な変革を事例として示せない中、変えようもない状態です。この問題については、「買収できない日本企業の株式の投資価値」という論考で、論じたことがあります。
 日本の孤立性の中で、日本に上場している企業の株価が安くなっているとしても、その割安は、解消のめどがたちにくいのです。これは、大きな問題ですね。もちろん、国内の資金循環だけで、割安が解消していけばいいのですが、どうやら、現状、国内の資金の力は弱いようです。


では、どうして、日本の株式市場が宝の山になるのでしょうか。

 要は、海外投資家頼りの議論では、出口がないのですよ。
 海外投資家にとっての日本の位置付けにも、注意が要ります。外国人投資家は、日本株式全体の約27%を所有しています。この数字は、過去20年の間に徐々に高まってきたのですが、ここ数年は、23%と28%の間で増減しています。割合が大きい中では、小さな増減でも大きな影響があります。
 外国人投資家の選好は偏っているでしょう。また、日本株の位置付けも、戦略的に長く投資する対象というよりも、戦術的に株価の大きな変動(日本の株価は、傾向的な上昇がみられない一方で、大きな幅の中での上下動を繰り返しています)を捉えて投資額を増減させる対象となっているのかもしれません。こうなると、外国人投資家の選好対象となる銘柄は、企業価値を反映した株価形成になりにくくなっているのかもしれません。
 外国人投資家頼みではなくて、外国人投資家の行動様式を前提とした上で、日本の投資家として日本株に向き合う姿勢を明確にすることが、どうしても必要なのです。日本に内在する価値は、日本固有の方法で、発掘するしかないのです。浮世絵ではいけないのです。
 唐突に浮世絵を出しましたが、これは、 「フランスにいて浮世絵がわかるか、日本にいて日本株がわかるか」という少し古い論考に基づいています。ご存じのとおり、浮世絵は、フランスの印象派に見出されることで、価値ある芸術作品としての世界的地位を確立したのです。しかし、いまさら、日本株の再評価が、浮世絵的に海外投資家が主導する再評価によって、行われる必要はない。
 浮世絵は、もともと、日本固有の文化の中で価値をもっていたのです。その浮世絵の価値は、日本文化の自律的な歴史的変化の中でも、フランス印象派による評価とは違った形で、芸術作品としての再評価に到達したであろうし、日本文化の国際的認知とともに、世界的評価を得たであろうと、私は考えています。日本の中で価値がないものは、世界的にも価値がないでしょうし、逆に、世界的に価値があるものは、日本的にも価値があるものでなければならないはずです。
 要は、国内の資金が日本の株式市場の中の価値ある銘柄へ流れていくような仕組みが、きちんと、できてこないといけないのです。つまりは、日本のお金が日本の価値に目覚めることが、必要なのです。日本の株式市場が宝の山だ、といえるためには、宝を見出す眼力を、日本のお金が取り戻さなければならないのです。

 では、次回は、具体的に、日本の株式市場が宝の山となる日本的な仕組みをについて、話しましょう。

 少し古いものではありますが、下にある関連論考も、合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、
9月15日(木)になります。


≪ 関連コラム ≫
2011/09/15掲載 電力株は買いか、東京電力はどうだ
2010/11/18掲載 日本株投資の魅力
2010/08/26掲載 「相場格言」拾い読み
2010/01/07掲載 「買収できない日本企業の株式の投資価値
2009/12/24掲載 「日本株で中国投資
2009/12/03掲載 「頑張れ、日本株アクティブ運用!
2008/12/18掲載 「フランスにいて浮世絵がわかるか、日本にいて日本株がわかるか(後編)



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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。