頑張れ、日本株アクティブ運用!

森本紀行
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株式運用は、アクティブ運用が基本です。

アクティブ運用が付加価値を生まないので、パッシブ(インデクス)運用にする、というようなことをよく耳にします。私は、そのような考え方に、断固反対です。
 私は、「アクティブ運用が付加価値を生まないのは、アクティブ運用ではないからだ」という禅問答的な主張を持っています。もっと禅問答的にいえば、アクティブとパッシブを対比させるような考え方が、アクティブ運用をだめにしている、と思うのです。インデクスとの距離を意識するアクティブ運用は、実は、必ずしも資本市場に対してアクティブではない。そんなアクティブ運用は、禅問答を超えて、哲学的に飛躍していえば、「亀を抜けないアキレス」なんです。その辺の主張は、2009年10月29日の「インデクス運用は、常識に照らして、まともな行為なのか」という、挑戦的タイトルのコラムで展開しているので、ぜひ、ご参照ください。
 ところで、「亀を抜けないアキレス」の逆説(パラドクス)は、ご存知ですよね。念のために解説すれば、亀が先を歩いている。どうも亀には「走る」という言葉は使いにくい。走るでも、歩くでも、這うでも、なんでもいいのですが、とにかく先に亀がいる。後ろからアキレスが走ってきて、亀を抜こうとするが、決して抜けない。これが逆説です。
 どうして、そんなことになるかというと、アキレスが亀の現在地まで進む間に、どんなに短い時間でも、必ず一定時間を要す。その時間中に、亀は、どんなに短い距離でも、必ず一定距離進む。アキレスが、その先へ進んだ亀の位置へ行こうとすると、その時間中に、亀は、さらに先へ・・・・ということで、アキレスは、亀を抜けない。
 この哲学史上名高い「エレアのゼノンの逆説」について、哲学者であるところの私の解釈は、こうです。アキレスが、亀を見ないで、亀にとらわれないで、全く自由に走れば、あっという間に亀を抜くということです。一続きの切れ目ない運動を、亀を基準にして切断するので、亀を抜けなくなるのです。
 哲学に深入りしている場合ではない。株式のアクティブ運用の話です。要は、インデクスは亀なのです。インデクスを基準にしたアクティブ運用は、亀にとらわれた、亀を抜けないアキレスなのです。本当のアクティブ運用は、自由に走るアキレスです。自然に、結果的に、意識することなく、亀のインデクスを抜きます。
特に、日本のインデクスは、とんでもなくノロマな、歩みを止めた亀です。今の平均株価の水準は、25年以上も前のものです。25年も前へ進めない亀です。亀は千年ですか。千年でどれだけ進むのか。とても、そんなに長く付き合えない。

日本株式のインデクスは、日本株式市場の平均株価です。

市場は個別銘柄の集合です。個別銘柄は個別企業の株式です。個々に具体性を持った企業の発行する株式です。個々の企業の株式の価値は、個々の企業の生きた具体的な経済活動の結果で、変動します。その無数の、個別具体的な人間の生きた活動の結果の集積が、インデクスの変動をもたらしています。
 結果としてのインデクスは、抽象的な統計値です。実体はありません。投資は、抽象的な数字に投資するものではあり得ません。投資は、個々の企業の経済活動への投資です。銘柄の選択です。結果としての、平均としての、インデクスが上がらなくても、あるいは下落していても、個々の企業の株価は上昇し得ます。
 投資家が、真剣に、良い銘柄を買い、悪い銘柄を売ることで、市場全体の効率性が保たれる。この効率性が保たれることが、インデクス運用の理論的支柱です。インデクス運用が、成り立つためには、企業の株式価値の絶対評価に基づいた、多数の投資家の多数の売買が必要です。即ち、多数の投資家が、端的に良いものを買い、端的に悪いものを売る、この単純で、しかし、真剣な行為の集積(まさに真のアクティブ運用の活発な働き)が、市場の効率性を支えているのです。
 インデクス運用は、そのような他人の真剣な投資行動の結果を、ただで手に入れる行為です。インデクス運用が主流になったら、市場は死にます。インデクスとの相対価値で銘柄選択をする、普通のアクティブ運用も、インデクスの効率性が保証されている限りでのみ有効だという意味で、インデクス運用と同じ構造問題を抱えています。歪んだ物指では、正しく価値を測定できない。亀を抜けないアキレスです。
 市場理論は、市場参加者が各自の独立した判断で銘柄選択をすることを通じて、市場参加者の平均的オピニオンとしてのインデクスの効率性を、保証するシステムです。もちろん、ある投資家のインデクスに対して割安・割高という判断も、自己の独立した判断ですが、基礎に外部の物指(効率的でないかもしれないインデクス)があるのは事実です。やはり、基本は、絶対的に割安・割高という、完全に独立した多数の投資家の判断の集積なのです。
 真のアクティブ運用は、自律独立した投資家の、独自の投資基準に基づく銘柄選択です。隣を気にせずに、独立独歩、我が道を行く、厳しい業です。アキレスにして、なぜ亀を意識する必要があるのか。ただ前を見て走れば、あっという間に、亀を抜く。

さて、日本の株式市場において、真のアクティブ運用の可能性はあるのか。

ない、となったら、もう、日本の株式への投資は、社会的に意味のあるビジネスとしては、成り立つまいと思います。可能性があるどころか、日本の株式市場は、見ようによっては、宝の山です。その宝を掘り当てるのが、真のアクティブ運用だ、という意味で、私は、非常に大きな期待を寄せています。
 まず、方法論的には、市場平均が、傾向的に上がることなく、大きな幅で上限振動いているだけ、という長期的事実からして、二つのことがいえるでしょう。第一に、市場との連動性は、むしろマイナスであるから、銘柄数を、連動性が低下する程度にまで、減少させること。そして、銘柄を減らすことで、各銘柄の調査を深化させることです。
 第二に、平均の振幅が大きいことから、振幅の下に位置するときは、市場平均そのものが絶対的に割安になる、つまり、個別銘柄レベルでは宝の山になるという、その機会をとらえなくてはならないこと、いわゆるオポチュニスティック(opportunistic 機動的というには嫌ですね。端的に機会opportunityを捉えるということです)という考え方です。この二つとも、教科書論に真っ向から反対するものですね。

また、銘柄選択基準という実質論的には、やはり、二つのことがいえるでしょう。

 第一に、世界の中の日本、あるいは日本の中の世界です。日本は、全世界規模で展開する日本のグローバル企業群の主たる上場地にすぎない、という視点です。売り上げも利益も、大半が海外に依存する企業は、法律的に日本企業であっても、経済的には世界企業です。地球を基盤に、無限の成長可能性をもつ企業群です。
 第二は、なんだかんだいいまして、構造改革でしょう。変わるものは変わり、滅びるべきは滅び、伸びるべきは伸びる、その新陳代謝の仕組みが市場原理ではないですか。変革がないから、日本企業に魅力がないのではなくて、変革を促すような厳しい評価を、銘柄選択を通じて、市場にぶつけないから、変革が起きないのではないでしょうか。

こうした真のアクティブ運用の具体化としては、極端に銘柄の数を絞り込む集中運用、大株主として経営関与も行う(変革を、経営陣と共同して推進することであって、イメージの悪い似非「アクティビズム」ではありません)運用、キャッシュの保有も許容する運用、などなど、いろいろ考え得るのですが、一つ例をあげれば、やはりグローバル運用の中の日本株でしょう。

 グローバル株式の中の日本株は、主としてグローバル企業を中心に少数の銘柄に絞られ、機会(オポチュニティ)の増減に応じて日本への配分額も変動します。真のアクティブ運用の要件を、概ね、満たすのです。
 実際、最近は、日本株をグローバル株式へ統合するのも、普通になってきましたね。ただし、問題は、同金額を日本株からグローバル株へ切り替えると、所詮、日本は世界の一割だから、日本株の実金額が、十分の一になってしまうことですね。何か悲しい。できれば、日本株の独立した運用は残したい。だから、「頑張れ、日本株アクティブ運用!」なのですよ。頑張れ。グローバルな視点での、独立した日本株運用だって、あり得ますよね。
 新年2010年1月13日に、「頑張れ、日本株アクティブ運用!-掘り出せ、世界に通じる日本の価値-」を開催します。ぜひ、ご参加ください。よろしく、お願いいたします。

以上

次回更新は12/10(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。