公的年金は、制度の再調整を繰返すことによって、持続可能になっていますが、その持続可能性は、資産形成と老後の働きという国民の自助努力によって、更に高まるわけです。
英語のペイアズユーゴー(pay as you go)は、もはや日本語になっていて、様々な意味に使われますが、言葉の原義は、消費に際して、即座に現金で支払うこと、即ち、負債を残さないことですから、どの意味も、この原義から派生したものとして、理解可能です。
例えば、即座という条件を緩和して、会計年度内にすれば、政府の財政規律として提唱されるペイアズユーゴー原則が導かれます。これは、予算策定において、新たな支出については、その財源を既存の支出の減少と増税だけに求めることで、国債の発行残高を増加させない、即ち、新たな負債を残さないという原則です。
また、一会計年度を延長し、更に、負債を残さないことという条件を緩和して、将来の一定期間内において、収支の均衡を図ることとすれば、公的年金の財政運営方式としてのペイアズユーゴーが導かれます。ここでは、年金受給者の生活保障という観点から、給付水準が適正化されるように、そして同時に、現役の勤労層の負担能力を考慮して、保険料が適正化されるように、巨額な年金積立金を活用しつつ、全体の収支均衡が図られています。
もちろん、社会経済環境の変化により、収支均衡は崩れていきますから、均衡の回復を図るために、定期的に制度全体の再調整を行い続けていく点にこそ、公的年金のペイアズユーゴーの本質があります。要は、ペイアズユーゴーのペイ(pay)は、政府による年金の支払いと、国民による保険料の支払いの二つのペイを意味し、アズユーゴー(as you go)は、二つのペイが均衡するように、時間の経過とともに動態的に繰返される再調整を意味しているわけです。
ペイアズユーゴーは、人の生涯における収支均衡の動態だと解すれば、人生そのものになりませんか。
即物的に表現すれば、人は、働くことで収入を得て、生きるために支出して、常に生じる収支の不一致を様々な方法で均衡させつつ、死んで行きます。多くの場合、死後に残される負債や資産は、生涯所得に比較すれば、大きくはないでしょうから、人は、概ね、生涯収支を均衡させて、死ぬわけです。公的年金についても、人口減少の極限において、日本国が消滅するまで、ペイアズユーゴーによる収支均衡を維持すれば、人の生涯収支の均衡と同じことになるのでしょう。
金融機能とは、人生の途上における収支の不一致を均衡させる道具なのですか。
支出が収入を上回るときに、銀行等の提供する各種ローンが利用されて、収入が支出を上回るときに、銀行等の預金に剰余が滞留するわけですから、金融機能とは、まさに、人生のなかで生じる収支の一時的不一致を均衡させる機能なのです。
そして、資産形成と呼ばれる金融機能は、若いときに所得の余剰を蓄積して運用し、老後生活が始まってから豊かな消費のために取り崩していくもので、そこでは、資産の形成と取り崩しとの間に非常に長い時間の経過があるために、価格変動が大きくとも、期待収益率の高い投資信託等が活用されるのです。公的年金との対比でいえば、資産形成は年金積立金の機能に対応しているわけです。
金融機能の適切な利用のためには、家計規律が必要ではないでしょうか。
当然のことながら、借金をすれば、元利合計を弁済しなければなりませんから、弁済能力を超えては借金できません。将来所得の見通しとの関係において、借金を適正範囲内に収めるためには、家計の規律が絶対に必要です。また、NISA貧乏という奇怪な現象があるようですが、NISA、即ち、資産形成を奨励するための税制優遇措置があるからといって、現在の所得を過剰なまでに資産形成に投じて、消費を抑制しすぎることも、一種の家計規律の欠落です。
実は、公的年金のペイアズユーゴーにおいても、決定的に重要なのは規律ある運営であって、規律なくしては、収支の均衡は維持できないのです。実際、いわゆるポピュリズムのもとで、勤労層の保険料負担を引き下げて、同時に、年金受給者の給付を引き上げれば、制度の破綻の避け得ないことは明らかです。公的年金が決して破綻しないのは、規律あるペイアズユーゴーのもとで運営されているからです。
ペイアズユーゴーには、その日暮らしという意味もあるようですね。
ペイアズユーゴーにおいては、借金が可能である前提だからこそ、新たに借金しないことが規律として機能するのです。そこで、条件を変更して、家計の実情に照らして借金が不可能である、あるいは、生活規律として借金をしないことにしているとすれば、ペイアズユーゴーは、消費可能な手元の現金の範囲内で、消費することになります。
このとき、手元の現金が多くなければ、確かに、その日暮らし的になります。そして、更に、手元に僅かな現金しかなくて、生存を維持するための必要最低限の消費しかできないときは、まさしく、その日暮らしになるわけです。しかし、この場合は、ペイアズユーゴーであるよりは、むしろ、ハンドトゥマウス(hand to mouth)、直訳すれば、辛うじて手に入れ得たものを即座に口に入れる生活なのです。
手元に現金が十分にあれば、その日暮らしは優雅ですね。
その日暮しは、言葉の意味からすれば、日々の所得で、日々の消費を賄うことであって、確かに、ハンドトゥマウス的な生活として、否定的に解され得るものですが、豊かな消費を賄うのに十分な所得があるという前提ならば、即ち、常に潤沢な現金が手元にあって、優雅に暮らせるということならば、肯定的に、あるいは哲学的に解されて、目的のない生活、あるいは、目的に拘束されない真に自由な生活になります。
さて、豊かさとは何か、自由とは何かについての難解な哲学論をおいておき、俗で簡単な論点を指摘すれば、その日暮らしの優雅さにおいては、金融機能は不要だということです。なぜなら、目的、即ち、資金使途のない金融機能の利用はあり得ないからです。
この点は、優雅な暮らしのできない普通の人にとっても同じで、資金使途なき借金があり得ないように、資金使途なき資産形成もあり得ないわけで、故に、政府は、豊かな老後生活のための原資の形成という目的を提示しているのです。NISA貧乏が不合理なのは、それが資産形成のための資産形成、即ち、投機に堕しているからです。
その日暮らしの優雅さにおいても、老後生活の計画は必要ではないでしょうか。
その日暮らしの人といえども、国民年金に加入せざるを得ないわけですが、基礎年金だけでは老後生活はできません。しかし、その日暮らしの優雅な人は、その基礎年金すら必要としないはずです。なぜなら、財産所得で暮らしているのでない限り、好きなように活動して、それが社会に評価されて、所得を発生させ得る人だからです。例えば、芸術家、芸人、職人のように、高度な専門的能力を有する人です。
要は、その日暮らしの優雅な人にとっては、好きなように生きることによって、あるいは、自分に内在する能力を自然に発揮することによって、所得が発生するので、生きることと働くことが一致するわけですから、生きている限り、その日暮らしができるわけです。これに対して、普通の人においては、生きることと働くこととが不一致なので、働かなくなった後の老後の生活の原資が問題になるのです。ならば、普通の人も、必ずしも高度でなくとも、専門的能力を身に着ければいいのであって、政府の進める働き方改革には、そうした意味もあるはずです。
公的年金は、資産形成と老後の働きという国民の自助努力によって、より持続可能性が高くなるわけですね。
公的年金は、ペイアズユーゴーのなかで制度の再調整を繰返すことによって、持続可能になっているわけですが、再調整の選択肢は、資産形成と老後の働きという国民の自助努力のもとで、広がり得ると考えられるのであって、故に、政府は、自助努力を奨励する施策を展開しているのでしょう。
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(文責:加藤)
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。
