公的年金資産運用改革論の誤謬

公的年金資産運用改革論の誤謬

森本紀行
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公的年金資産の運用改革については、緊急の政策課題としてとり上げられたことから、やれ、リスクをもっととれ、日本株を買い増せ、インフラ投資に振り向けろ、はたまた逆に、資金の性格からしてリスクをとるのはいかがなものかなど、勝手な議論が横行していますが、さて、資産運用の本来あるべき論理としては、どう考えるべきなのか。
 
 公的年金資産の残高は、現時点で、約130兆円にも達しています。その管理運用は、その名も、年金積立金管理運用独立行政法人(長い名前なので、英語名称を略して、GPIFといいます)が行っています。従いまして、公的年金資産の運用改革というのは、要は、この巨額な資産を管理運用するGPIFという法人について、その組織運営のあり方を抜本的に見直すということなのです。
 その組織改革に伴い、資産運用の現在のあり方が見直されるのは当然でしょう。その結果、例えば、資産運用方針が新たに策定され、そのもとで、日本の株式への投資額を増やしていく、あるいは国内外のインフラに積極的に投資していくなど、具体的な投資行動に結果することになるのかもしれません。
 そのようなGPIFの投資行動の変化については、誰でも好きに予想すればいいことでしょうし、株価の上昇を期待する人からすれば、予想どころか、株式の投資額を増やすべきだという要求になることも自然なことでしょう。巷の議論といいますのは、多くは、このような自分の利益の立場からする勝手な議論にすぎません。
 GPIF改革論について、決定的に重要なことは、投資政策判断の責任の所在が明確にされない限り、いかなる資産運用方針の見直しも不可能であることです。理屈上、今、安倍政権によってなされようとしていることは、個別具体的な運用内容の変更ではなく、先決事項として、GPIFという組織のあり方の見直しでなければなりません。
 なぜなら、投資政策判断が形成されていく組織上の責任配賦の構造について、抜本的な改革がなされない限り、いかなる資産運用内容の変更案も合理的には形成され得ず、その妥当性を社会的に証明し得ない、つまり説明ができないからなのです。
 

そもそも、政策課題としてGPIF改革が浮上した経緯は、どうなっていたのでしょうか。
 
 本当の経緯などというのは、もはや、誰にもわからないのでしょう。ただし、安倍政権の政策の体系全体の整合性のなかで、逆算的に経緯を考察するに、GPIFに限らず、政府部門や公法人、また企業等の私法人の全体について、抜本的な統治改革の必要性が強く意識されていることの延長にあるのだと思われます。
 統治改革を成長戦略のなかの最重要課題とすることは、非常に理にかなったことです。なにしろ、日本のように、人的資本、知的資本、金融資本等の膨大な蓄積の結果として、逆に成長が塞がれてしまったということは、非常に皮肉なことであって、ここで改めて成長戦略を考えるとしたら、資源の再配置以外に方法はないわけです。
 成長軌道から逸れたのは、公的部門と私的部門を合わせた日本全体として、これまでの統治構造のなかで、おそらくは過去に安住するような非効率な資源配置が定着してきたからなのであって、その改革のためには、その非効率な資源配置を改革するしかなく、そのためには、統治構造を変えるしかない、それが安倍政権の掲げる構造改革ということの本質だと思われます。
 こうした成長戦略の仕組みのなかで、約130兆円という巨額の資金の運用の効率性の検証と、その資金を管理運用する公法人の統治構造に着目されないわけはなく、それが、GPIF改革という具体的な政策課題に結果したのです。
 

統治改革というのは、要は、大胆に決断できることと、決断の正当性を保証することですね。
 
 例えば、GPIFにおいて、日本の国債の保有を20兆円減らし、同額を日本の株式へ振り向ける、そのように決断することは、責任をとる人が決断すればいいだけのことですから、いともたやすいことでしょう。しかし、それが少しもたやすくないのは、二つの問題があるからです。
 第一に、結果の重大さを考えれば、誰も決断の責任をとらないでしょうから、そもそも、決断が成り立たず、故に、運用内容の本質的な変更がおきず、基本的に前例踏襲の域にとどまるということです。第二には、決断の理論的根拠に関して、その正当性を証明することは困難であろうということです。
 実は、この二つは、同じことです。結論を導く論理の正当性が証明できるなら、その限りで、決断という手続き上の責任は果たせるので、結果の責任については、少なくとも法律上は、問題になる余地はないということになるからです。
 実際、今、本当にGPIFが20兆円を日本株式に振り向けたら、株価上昇に期待する安倍政権に迎合して年金資産の運用の本筋を外すものだ、必ず、そのような批判がおきますが、それに対して、根拠の正当性を証明できるでしょうか。それが現実に難しいので、決断もできないということでは、お話にならない。ですから、きちんと決められるような統治改革が必要なわけです。
 

GPIF改革が政策課題としてでてきたときから、残念ながら、本来の統治改革の主旨とは異なる見解というか、さもGPIF資産を別の目的に流用するとみられても仕方ないような案が、飛び交うようになってしまいましたね。
 
 例えば、以前、産業競争力会議で、ある議員が、「GPIFの海外株式運用分12%を全て日本株式に振り向け、他機関投資家も協同して、低資本効率企業に対して強く働きかけて合従連衡を要請していく」という案を出されていましたが、これでは、GPIFの本来の機能から逸脱して、別の政策課題の実現のために、GPIF資産を流用することになるのですから、公的年金資産の運用方針としては、その変更を論理的に正当化できません。
 GPIFの資産運用は、公的年金の給付の原資であるという資産性格と、その性格に基づく社会的機能の視点からしか、決定し得ないのです。つまり、GPIFの資産運用政策は、政治から独立でなければならないのです。
 

政策としてGPIFの統治改革を進めることは、むしろ、GPIFの独立性を保証することであって、GPIFの運用内容に介入することが政策であってはならないのですね。
 
 そのとおりです。ところが、現実には、GPIFの運用改革をめぐる大方の議論は、GPIFの運用の内容を論じています。そうではなくて、今、断行されなければならないことは、GPIFが完全に独立し、GPIFの本来の機能に即して資産運用方針を決め、その決定の正当性を保証し、規律をもって決定を実行に移していく、まさに、そのような統治のあり方を確立することなのです。
 もしも、公的部門に同様な組織を見出すとしたら、それは日本銀行しかないようです。日本銀行型の組織へ、それが、GPIFの改革路線のあるべき方向ではないでしょうか。
 なお、念のために付け加えますが、政治的に独立したGPIFにおいて、その本来の機能に即した投資運用政策を立案したときは、資金の理論的性格上、日本の長期的な名目的経済成長に連動した資産価値の増殖、即ち購買力の保存が目標になるでしょうから、もし、安倍政権の経済政策が長期の視点において正しく将来を展望しているなら、そこには、多くの点において、自然な政策の一致が生じるはずです。しかし、あくまでも、結果として、そうなるということであって、目的として、そうするということではありません。
 

いかに統治改革をしても、約130兆円という規模では、所詮は、効率性の改善は期待できない、故に、分割民営化すべきというような意見もあるようですが。
 
 分割の正当化根拠としては、競争原理の導入ということがいわれるのですが、そこには、競争すれば運用成果が改善するという根本的な誤謬があります。資産運用というのは、まさか、徒競走じゃあるまいし、体力や気合いや根性を競うようなものではないのです。それは、芸術家や板前の技と同様に、他者と競争して質が良くなるものではなく、対象と真剣に向き合うことによって、質が良くなるものです。そこには、自分自身との競争以外に、競争はないのです。
 また、現代の資産運用は、対象範囲があまりにも拡大し、一つの領域においても、あまりにも高度な専門化と細分化が進行しているので、GPIFのような投資家の仕事は、投資分野を選択し、各分野への投資配分比率を決定することに限られてくるのです。実際の運用は、各分野において、実績のある優れた運用会社を選択し、そこへ委託することによって、実行されるわけです。
 そのようなGPIFの運用の現実を鑑みるに、情報と経験の集積こそが大切なことであって、情報と経験の集積が有効に活かされるような内部組織の改革こそが、最重要課題となるのです。
 

外部から優秀な人材を登用しろ、という声も聞かれますが。
 
 外国人を含めた外部人材の登用の問題は、GPIFに限らず、他の多くの分野においても、政策課題として、挙げられています。それらに共通しているのは、「優秀な外部人材」といういい方です。では、内部にいる人材は、どうなっているのでしょうか。内部人材は、外部人材よりも、劣るということでしょうか。
 人材をめぐる議論には、根本的な誤謬があるのです。自明極まりなきことですが、日本には十分な数の優秀な人材がいるのです。問題なのは、人材の質ではなく、人材の配置と人材の使われ方の非効率なのです。つまり、人材ではなく、統治構造が問題なのです。
 もしも、人材の配置の効率化を図るなら、結果的に、多くの人材が所属先を変えることになるのでしょう。はなはだ結構なことです。しかし、だからといって、それらの人材が、新しい所属先で、適切な仕事を見出すとは限らない。先決事項は、人材の再配置よりも、人材の使い方の改革です。
 また、主として問題となっているのは、官公庁や大企業のような大組織の人材配置の非効率です。ならば、先決事項は、大組織間の人材移転よりも、一つの組織のなかでの人材配置の効率化です。
 GPIFに外部から「優秀な」人材を取り入れることを目的とする改革など、実に、愚かなことです。GPIFの機構改革を行い、権限の大胆な下部委譲を行い、最上層に適切な統治構造をもち込み、職務に適した処遇の適正化を図れば、GPIFに今いる人材は、大いに活性化され、見違える仕事をするでしょう。
 そして、その改革の結果、いくつかの箇所に、人材の補完が必要な場所が見えてくるでしょう。そのとき、そこへ、外国人だろうが日本人だろうが、内部人材だろが外部人材だろうが、最適な人材を、最適な報酬で、登用すればいい。ただ、それだけのことです。
 
以上
 
 来週から連休です。そこで、一度お休みをいただいて、次回更新は5月8日(木)にいたします。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/04/17掲載「大胆予測、2020ニッポン国際金融センター
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託
2013/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託
2013/01/24掲載「官民ファンドの機能―安倍政権の緊急経済対策の検討
2013/01/31掲載「政府による「リスクマネー供給」の可否―安倍政権の緊急経済対策の検討


≪ アーカイブから今週のお奨めは「投信改革」≫
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。