ツケで飲むことの仮想通貨的考察

ツケで飲むことの仮想通貨的考察

森本紀行
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ツケというのは代金を帳面に書き付けておいて後で請求することですが、いまどき、ツケで飲ませる店も、ツケで飲む人も少ないのでしょう。しかし、ツケは全く形を変えて復活する可能性が高いと思われます。形を変えてというのは、いわゆる仮想通貨という名のもとに一括されている諸概念の適用の一つのあり方としてという意味です。

 仮想通貨という言葉は、そこに一括されている諸概念を代表するものとしては、必ずしも適当ではありません。例えば、私が飲み屋の勘定を払わずにツケにして帰る場合、私という人間が仮想通貨の機能を演じているのですが、どう考えても私という実在は仮想でも通貨でもないからです。
 では何が適当な言葉かというと、記号あたりが無難であろうと思われます。仮想通貨は、どのような形態をとろうとも、それが有意味であるためには、何らかの価値の表象、より具体的には何らかの標章(token)でなければならないと考えられ、ならば、それらを更に一般化して記号と呼んでおけば間違いなかろうと思われるからです。そして、記号を暗号(cryptograph)にすることは、暗号化技術が高度だとしても、技術的な問題にすぎないわけです。

ツケは、帳面に書き付けられた日付、名前、金額等でしょうから、間違いなく記号ですが、そのどこが仮想通貨的なのでしょうか。単なる債権の表示ではないでしょうか。

 確かに、クレジットカードで支払うことは少しも仮想通貨的ではありません。私はカード会社に対して債務を負い、飲み屋はカード会社に対する債権を取得して、後日、私の負債は預金口座から同一金額が引き去られることで消滅し、飲み屋の債権はカード会社が同一金額を支払うことで消滅するだけのことです。
 同様に、常識的に考えれば、ツケは、カード会社を媒介することなく直接に、私の飲み屋に対する債務と飲み屋の私に対する債権を発生させるだけのことです。しかし、ツケは私の個人的な信用に基づいている点で、クレジットカード払いとは本質的に異なります。クレジットカードは、全く逆に、私の個人的信用が意味をなさないことから、カード会社によって信用補完をするものなのです。

ツケの重要な論点は、飲み屋と顧客との間の情報の対称性ですか。

 常連客だからこそ、ツケがきくのです。飲み屋は、常連客について、会話からは、勤務先と肩書をはじめとした多くの属性情報を把握し、消費行動の履歴からは、年収を推定しています。常連客も、店内や厨房の状況、繁閑、店員の数、品書きの単価等から、飲み屋の業況に関する判断を形成しています。こうした情報の対称性がない限り、ツケ払いはなされ得ないのです。

ツケがきくから通うという効果もありますね。

 ツケには、ポイントの発行と同じように、顧客に利便性等の利益を与えて、常連客を囲い込む効果があります。そして、このポイント制度も、おそらくは、より高次で、より広義な仮想通貨の枠組みのなかで再構成されていくのではないかと予想されるところです。なお、ポイントの発行に顧客の消費行動履歴の把握という目的のあることは、ここで敢えて付言するまでもないでしょう。

しかし、ツケは、仮想通貨による決済ではなく、飲み屋の債権であることに変わりはないようですが。

 その通りでしょうが、帳面に書き付けるということは、反対取引で消し込むことも可能にする便法だろうと予想されます。例えば、私が酒屋で、飲み屋が私の顧客だとしたら、私の飲み屋に対する売掛債権と、私の飲み屋に対するツケの負債とは、帳面上で相殺し得るわけですが、相殺は、おそらくは、決済だろうと思われます。しかも、この相殺が反復継続的に行われていれば、債権債務の相殺というよりも、物々交換と呼ぶほうが適切になるでしょう。
 もともと、通貨は、物々交換に通貨を介在させることで取引の利便性を劇的に向上させたところに、本質的な意義を有していたわけですが、情報技術の進化によって、通貨を媒介することなく物々交換を実現するところに、仮想通貨の一つの革命的な意味があるのではないでしょうか。
 通貨を介在させる取引では、物の移転とは別に通貨の移転が反対方向におきるので、通貨の移転を決済というのですが、物々交換では決済は不要であって、必要なのは交換比率だけです。しかし、無数の物があるわけですから、無数の交換比率ができてしまいます。そこで、通貨で交換比率を一元化してきたのですが、情報処理技術の進化で無数にある交換比率を管理できるなら、物々交換に戻してもいいということです。

帳面への書き付けと消し込みが通貨表示で行われる限り、通貨による決済にすぎないようですが。

 では、仮想通貨を発行してみましょう。早速、誰が発行するのかという問題を生じますが、とりあえず飲み屋に発行させましょう。名称はYOIとする、というよりも、より正確にはYOIという記号を創出するということです。そして、勘定はYOIで表示される、つまり、客が飲み食いすると、その分だけYOIが発行されるとします。私は、ツケを払うために、YOIを取得しなければなりませんから、酒をYOI建てにして飲み屋に売ることにします。
 通貨で仕入れた酒をYOI建てで売るとき、当然に通貨とYOIとの交換比率を考えざるを得ませんが、そのときに私が参照するのは、私のYOI建てのツケを通貨換算するとしたときに私が想定する比率ですから、ここで私が計算していることは、要は、酒と飲食との物々交換比率について、飲み屋と交渉しているのと全く同じことです。

それは、物々交換ではなくて、YOIを媒介とする交換ではないでしょうか。

 肉屋、魚屋など、飲み屋の取引業者の全てが飲み屋の常連客だとしたら、全員が私と同じ計算をして、YOI建ての納入価格を決めるはずであって、その計算の総体は、大量の物々交換比率決定の総体になるはずです。その結果、非常に複雑な経路により、YOIと通貨との交換比率が規定され、かつ、その比率は日々変動していくわけでしょう。
 従って、これは、YOIを媒介とする交換の総体ではなくて、逆に、物々交換の総体を通じてYOIの通貨価値を決定する手続きだと考えられるのです。

ならば、飲み屋を中核とする経済圏のなかでのみ通用する仮想通貨があり、そこでは全ての取引が仮想通貨を通じてなされていると考えるべきではないでしょうか。

 通貨は、通貨を流通せしめる政治権力の存在を前提にし、政治権力の及ぶ範囲を経済圏として、通用しています。仮想通貨は権力の存在とは無関係に発行されるので、同じ論理構成をとることはできず、むしろ全く逆に、仮想通貨の通用する範囲として経済圏が構成され、その仮想通貨の独自の力により経済圏が拡大していくとき、それが真の仮想通貨になるのです。
 例えば、この飲み屋が超人気店になったら何が起きるでしょうか。YOIと通貨との交換比率において、YOIが騰貴し、そのことは、飲み屋の納入業者にとって利益機会になるでしょう。そして、飲み屋が繁盛すればするほどYOIの残高は拡大しますから、飲み屋を中核とした経済圏の共通利益が生じ、私を始めとして全ての納入業者は、飲み屋が超人気店として君臨できるように、仕入れにおける差別優位を競うようになり、そこに好循環による成長経路が描けてくるはずです。

地方創生との関係で仮想通貨が論じられる所以ですね。

 行政区分としての地方が現に存在するなかで、敢えて地方創生というからには、その地方は新たな経済圏のことでなければなりません。その経済圏は、上の例の飲み屋のような何らかの価値創造の場を中核にして、そこに共通利益をもつものが参画することを通じて、形成されてくるはずですから、地理空間としての地方であるはずもなく、仮に、経済圏の中核がどこかの小さな村にあるとしても、そこに参画するものは、日本の内外に広く拡散することになるでしょう。
 この経済圏のなかでは、共通言語として新たな記号が作られなければなりません。その記号こそ仮想通貨なのです。この記号は、人工言語ではなく、自然言語としての特性をもつでしょう。即ち、使用を通じて自生的に形成される言語なのです。

ところで、YOIの発行権限は飲み屋が独占するのでしょうか。

 発行という概念自体、緩く広く考えなければなりません。自生的記号としての特性を保持するなら、飲み屋の権限によってYOIが発行されるという論理構成ではなく、顧客の飲食がYOIを創造すると考えるべきです。当然に、次の論点は、YOIが創造される飲み屋の数を増やす方法は何か、増やすためには、新しい飲み屋を認証するという中央集権的手続きが必要になるのではないかということです。
 さて、原点に返れば、ツケは情報が対称的になっている常連客の間だけで可能になるものでした。つまり、YOIは常連客のなかだけでしか通用しないのですが、逆にいえば、常連客はYOIを自由に使えるということです。従って、酒屋の私が多角化でイタリアンのレストランを開業したら、そこではYOIを発行できるわけです。
 イタリアンだけに、ワインやチーズなど、従来とは違った領域へ商圏が拡大していき、そこに新たな常連客を生じます。こうして、様々な領域において、常連客の全てが同様な努力をすれば、経済圏は、飲み屋を起点に、飲み屋を超え、飲食産業を超えて、産業連関をたどって、加速的に拡大していくでしょう。ここで、重要なことは、YOIの流通をたどることで、拡大する産業連関の構造を把握できることです。
 次の論点は、常連客といわれるための資格要件ですが、これは必ずしも難しくはなく、常連客は必然的にYOIの利用履歴が長く、かつ多いのですから、逆転させて、一定以上のYOIの利用履歴をもつ人を常連客と定義すればいいでしょう。なお、ここまでくれば、常連客という呼び方は適当ではなくなりますから、YOI保有者として一般化しておきます。

では、飲み屋がツケをYOI表示で書き込んでいる帳面は、飲み屋が独占的に管理するのでしょうか。

 もはや、いわずと知れたことですが、飲み屋の帳面は、常連客の全員が全く同じものを保有するのでなければならず、これが分散型台帳の考え方なのです。これは当然のことで、飲み屋が中央集権的に一つの台帳を管理して常連客の取引を統一的に記帳していくとすれば、それは、もはや、自生的経済圏ではなくなってしまうからです。
 つまり、YOI保有者で構成されるYOI経済圏では、全てのYOI保有者は、全く同じ情報をもち、自らの経済活動によってYOIを創造し、同時に消費することで、YOI経済圏の自生的な拡大成長に参画するわけです。そして、その成長を通じて、YOIは通貨に対して騰貴していきます。あるいは表現を変えれば、YOIと通貨との交換比率の変化がYOI経済圏の成長の尺度だということです。

YOIを発行することで通貨を調達するという資金調達もあり得るでしょうか。

 YOI保有者が経済活動を通じて自然にYOIを創造するという段階から、YOIを新規に発行することでYOI保有者、即ちYOI経済圏の参加者を創出するという段階への進化は、自然な展開でしょう。しかし、全く何もない最初期の段階においてYOIを発行し、それによってYOI経済圏を作るという構想の妥当性については慎重であるべきでしょう。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/03/30掲載「地域経済を連結すると信用金庫になる
2013/09/13掲載「カネにモノをいわせる報酬の払方
2013/04/18掲載「オプション取引は賭博か
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。