原子力発電はバンカブルではない

原子力発電はバンカブルではない

森本紀行
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片仮名を使わない執筆方針の哲学にもかかわらず、敢えてバンカブルですか。バンカブルとは、バンク(銀行)の融資対象になり得るということですね。ならば、原子力発電はバンカブルではないとの表題の趣旨は、原子力発電を行う企業に銀行として融資を実行することは不可能である、という意味でしょうか。
 
 このような難しい問題について、いきなり結論から入るのは、適当ではないでしょう。まずは論点の整理から始めましょう。基本的視点として、銀行として融資できるかどうかは、銀行が原子力発電にかかわる危険を受け入れることができるかにかかっています。
 原子力発電事業には、極めて微小な確率とはいえ、巨額な損害賠償債務を発生させる事故の可能性があります。この危険は、最高度の科学技術によって十分に制御可能なものと考えられるのですが、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、それでも危険がゼロにはならないことを実証しています。
 いうまでもなく、現在の脱原子力発電を巡る問題の焦点は、この微小な危険の生起確率にかかっているのです。さて、どの種の危険を許容でき、どの種の危険を許容できないかは、最高度に社会学的、人類学的、ほとんど哲学的な次元に属することです。加えて、感情的な要素の混入も避けがたい。ゆえに、一般論としての危険許容度を議論することはできません。
 産業政策的には許容できる、あるいは許容すべき危険でも、原子力発電所近隣住民にとっては許容できない危険、その価値的に次元の異なる比較不能な危険性については、政治的に決断するしかありません。だからこその政治なのですが、その政治が冷静で困難な国民的議論の道を避けて、感情的要素に訴えた安直な選択を行おうとしていることには、強い懸念を感じます。
 さて、本論に戻れば、銀行の立場から見て、原子力事故の微小な危険が、原子力事業者に対する融資の障害になるのか、銀行にとって許容できない危険になるのか、ということが問題であるわけです。当然ですが、銀行には銀行固有の判断基準がありますから、産業界全体が原子力発電支持でも、また国策として推進されることだとしても、だからといって、それだけで融資が可能になるのではありません。
 まず、銀行の、というよりも広く金融一般の立場からいえば、予測不能な特殊な危険を伴う案件については、他の融資先や投資対象のなかのごく一部の対象としての位置づけであるか、あるいは、その特殊な危険が損害保険契約等によって損失補償される手当がなされているか、このどちらかの条件が整わない限り、取り組めないということです。
 ところが、原子力発電の場合、電気事業者の事業の一部として行われ、電気事業者に対する融資や社債・株式投資による投融資総額は、金融界全体として、巨額なものとなっています。到底、他の投融資先との分散効果によって吸収できるものではありません。また、原子力事故については、極めて不十分な最低限の保険制度が用意されているだけで、その付保額は、大規模な事故の場合、意味をなさない程に小さなものです。このように保険としての対応が難しいのは、民間の保険事業としては、到底引き受けきれない種類の特殊な危険だからです。
 ということで、原子力事業は原理的にはバンカブルではない、ということになります。
 

それはおかしいですね。事実として、銀行は原子力事業者に巨額な融資を実行していますよね。
 
 原理的にバンカブルではないものを、社会的にバンカブルにしてこそ、金融の社会的機能というものであり、産業金融の王道です。電気事業は産業基盤であり、生活基盤ですから、社会的必要性の著しく高いものです。そのなかで、国策として、電源構成の多様化のために取り組まれてきた原子力発電です。その原子力発電を含む電気事業の総体に対して必要資金を供給してこそ、銀行の社会的使命が果たせるというものです。
 ところが、金融の理屈からいえば、原子力発電事業はバンカブルではない。そこで、原子力発電事業をバンカブルにするための制度的工夫が検討されたのです。これは、民間銀行の経営の問題としてではなくて、国策としての原子力発電事業の問題として、政治の次元で検討されたことです。その検討結果が、「原子力損害の賠償に関する法律」のなかに織り込まれていると考えられるわけです。
 この法律のなかで、原子力事業者の責に帰すことにつき社会的妥当性を欠くような「異常に巨大な天災地変」に起因する事故については、原子力事業者を免責とし、仮に免責事由に該当しない場合でも、原子力損害賠償履行についての政府支援義務を定めることで、原子力事業者が原子力事故によって経営破綻することのないように法律的手当てがなされたのです。この法律の規定を前提にしてこそ、原子力事業者に対する融資が可能になったのです。
 事実、東京電力は、法律に基づいて政府からの支援を行うために設立された原子力損害賠償支援機構の支援のもと、経営破綻することなく、上場企業として存続しています。ゆえに、東京電力に対する銀行の債権も、全く正常な債権として元利金の支払いが継続しているのです。まさに、東京電力をバンカブルにしてきた仕組みは、きちんと機能したわけです。
 もっとも、きちんとといういい方には、抵抗がないわけでもない。本来は、「異常に巨大な天災地変」による免責であったのではないか、仮に免責を否定したとしても、東京電力国有化に至る政府の支援の枠組みが適当なものであるかについては、大いなる疑問がある。しかし、百歩を譲って、東京電力がバンカブルであるとの前提についてのみいえば、事実として、東京電力向け債権は正常債権にとどまったのですから、最低限の政府責任が果たされ、最低限の金融秩序は守られたといっていいでしょう。
 

守られたのは最低限の秩序に過ぎなかったのかもしれませんね。東京電力については、法的整理論や、銀行に対して債権放棄を求める意見などが、政府の外ばかりではなく中からも、無視し得ないものとして主張されましたからね。
 
 金融界の立場からいえば、原子力事業をバンカブルなものにしてきた法的枠組みに対する信頼が揺らいだのは間違いないですね。なにしろ政治自体も不安定な状況では、金融界としては、原子力事業はバンカブルであるとの前提について、もはや絶対的なものとしては受容れ難いでしょう。加えて、原子力政策や電気事業政策全体の見直しの方向性によっては、原子力発電はバンカブルではないとの前提に立たざるを得なくなるかもしれません。
 そうなれば、困るのは金融界ではなくて電力業界です。原子力発電を将来的に縮小していくとしても、あるいは最終的に全廃するにしても、現実的な問題として、相当の長期にわたって原子力発電が継続する、あるいは継続させなければならないことは間違いないでしょう。継続できるためには、資金が要ります。やはり、原子力発電は、継続する限りにおいて、バンカブルにしておかなければならない。
 

改めて、原子力発電をバンカブルなものにし直す制度的仕組みが必要だということですね。具体的に、どのようなことが考えられるでしょうか。
 
 注目すべきは、11月7日に東京電力が公表した「再生への経営方針」です。このなかで東京電力が再生の条件として前提にしていることは、「一企業一業界の負担限度を超える費用についての新たな支援措置」を政府に求めることです。つまり、「原子力損害の賠償に関する法律」の根幹である原子力事業者の無限責任を修正し、原子力事業者の責任に上限を設けて、それを超えるものを政府の無限責任にするという趣旨の提案です。
 このように原子力事業者の責任に上限を設けることは、かねてより、合理的な方法として検討されてきたことです。東京電力の事故を契機に、「原子力損害の賠償に関する法律」の改正が検討され始めたわけですが、今回、「一企業一業界の負担限度を超える費用についての新たな支援措置」が実施されれば、法律改正を先取りすることになるのでしょう。
 もともと、無限責任だから不確実性があまりにも大きくて保険制度を作りにくかったのですが、管理不能な不確実性を政府へ移転させて有限責任とすれば、保険も付けられますので、原子力発電事業は、前よりも、ずっとバンカブルなものになるでしょう。
 

原子力発電事業の国有化という案もありますね。
 
 それは、全く逆に、原子力発電はバンカブルではないことを真正面から認める案です。バンカブルでなければ、民間事業としては成り立ちません。そうであれば、国営事業として継続するしかない。そのような単純で思い切った案ですが、捨てがたいですね。
 もともと原子力事業を民間の電気事業者の事業としたのは、当時の財政難の状況にあった政府の決定です。民間事業であるためにはバンカブルでなければならない。ですから、「原子力損害の賠償に関する法律」が作られたのです。国営事業とするならば、最初からバンカブルである必要もなく、「原子力損害の賠償に関する法律」も不要です。これぞ究極の案ですが、さて、国民は納得するのですかね。
 国民が納得しなくても、原子力発電事業の国有化は不可避かもしれません。なぜなら、現在の電力会社の状況をみると、原子力発電事業を行っている限り、電気事業の全体がバンカブルなものでなくなっているからです。単にバンカブルでないどころか、二重にバンカブルではありません。
 現状、東京電力の処理方式が不確定である限り、原子力事業はバンカブルではありません。加えて、原子力発電施設がほとんど稼働しないので、電源構成のゆがみが大きくなって、電気事業全体の収益基盤が壊れてしまい、電力会社そのものがバンカブルではなくなっているのです。困ったことです。この状態が長引けば、電気安定供給も危機に陥ります。本当に困ったことです。この危機的状況を解決する一つの方法が原子力事業の分離ですが、政府以外に誰も引き取らないですから、それは原子力発電事業の国有化を意味することになります。
 また、もしも時限を切った原子力発電施設の計画廃炉(その可能性もゼロではないですね)になれば、施設の経済価値の再評価を行わざるを得ない。そのとき、巨額な減損と除却費用(想像もつかない巨額なものでしょう)の計上により、原子力発電を行っている電力会社は全て巨額な債務超過に陥ると思われます。バンカブル以前の話です。破綻です。これを避けるためには、簿価によって政府へ施設を移転して、政府責任で廃炉にするしかないでしょう。
 

原子力発電がバンカブルでないとき、脱原子力は、なおさらバンカブルではありませんね。
 
 そうです。次回は、脱原子力はバンカブルではない、というお話をいたしましょうか。
 
以上


 次回更新は12月27日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。