価値の変動と価格の変動

森本紀行
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資産の価値は、キャッシュフローを創出する力です。キャッシュフローを生まないものは、無価値とまではいいませんが、少なくとも、機関投資家にとっての、「適格な」投資対象ではありません。

 この論点については、実は、私は、過去何度も、このコラムや月例のセミナを通じて主張してきました。例えば、2008年8月21日のコラム「絵画・切手・ワインは「適格」な投資対象か」や、4月のコラム「元も子もなくなるから資産を守れ!」(23日前編、および30日後編)、4月の月例セミナ「本源的投資収益としての利息配当金 ~時価(キャッシュフローの現在価値)からキャッシュフローそのものへ~」(セミナーレポート、およびアンケートレポートを参照ください)などは、比較的正面から、この問題を取り上げたものです。
 本来、資産の理論的価値は、その資産が生み出す将来のキャッシュフローの総額の現在価値であるべきです。これは、会計上の資産査定等における基本的な考え方として、広く受け入れられているものです。例えば、単なる土地(更地)は、何らかの収益物件を、その土地の上に構築できる可能性がない限り、資産価値はないことになります。よく知られているように、金(ゴールド gold、金の地金です)は、ほぼ、唯一、キャッシュフローを生まない資産として認知されている、例外です。
 この理屈からいえば、キャッシュフローを生む力に変動がなければ、資産の本源的価値は変動し得ないのです。一方、当たり前ですが、キャッシュフローを生む力が増せば、資産価値は上昇し、逆にキャッシュフローを生む力が低下すれば、資産価値は下落するのです。

例を日本の国債にとりましょう。金利は日々変動します。それに応じて、国債価格も日々変動しています。しかし、既発の国債の価格が、いかに変動しようとも、発行時に固定された利息の金額自体は変動しようがありません。

 つまり、国債を保有していれば、その価格は変動しますが、利息額と償還額、即ち、保有している国債から生み出されるキャッシュフローの総額は、変動しません。故に、保有国債の価値は変動しません。
 国債について、信用リスクをないものと看做してよいならば、即ち、利息と償還金額の支払いを確実なものと看做してよいならば(普通は、そう考えられています)、国債を満期まで保有する限り、国債の価値は、購入時から満期時まで、残存期間以外は、変わらないということです。その間、市中金利の変動に伴う価格の変動があったとしても、価値は変わらないのです。価格は変動しても、価値は変わらない。であれば、時価評価する必要がない。これが、国債の満期保有区分という会計処理の根拠でしょう。
 収益不動産についても、テナントの稼働率が変わらず、賃料が変わらないならば、不動産の価値も変わらないはずです。一方で、その不動産の周辺で、類似物件の売買の起きる可能性は、あります。そのとき、その売買価格を参考価格として、当該不動産の時価評価に用いるべきかどうかは、なかなか、難しい問題です。

なぜ難しいかというと、周辺類似物件の実際の取引価格が大きく変動しているとすれば、それは、理論的には、その地域のオフィス需要の変動を反映しているはずだからです。

 であれば、「テナントの稼働率が変わらず、賃料が変わらない」というのは、たまたま、現在が、そうであるだけで、将来的には、賃料収入は変動する、故に不動産価値も変わる、と考えられるからです。
 ところが、不動産のように、同じものが二つとないものについては、一つ一つの売買に、売り手と買い手の個別事情が強く反映します。不動産市況の変動を反映した理論価値の変動と、取引の個別事情の反映にすぎない価格変動とは、現実には、区別しがたい。このとき、判断を要する理論価格よりも、客観性のある取引価格を採用する方向へ誘引が働くのは、当然でしょう。
 同じ事情は、社債などの信用リスク評価には、もっと深刻に働きます。今回の金融危機は、社債等の信用リスクに関連した金融商品の市場を直撃し、大きな混乱の中で、理論価値と市場価格との乖離を非常に大きくしたものと、考えられるのです。多くの投資家が、資金繰りや資本不足などの固有の事情と、社債等の価値変動とは直接に関係のない事情により、大量売却したことから、価格は大暴落したのです。

一方、金融危機は実体経済に反作用し、多くの社債等で実質的な信用リスクが増大したのも、事実でしょう。

 それでも、理論価値の下落幅に比し、市場価格の下落幅は、はるかに大きかったように思われます。特に、極端な需給不均衡の中での、非常に買いが薄い中での、取引価格に、どれだけの意味があったかも、よくわからないのが実情なのです。
 時間が経過すれば、二つのこと、即ち、理論価値の下落と、市場価格(「市場」ということにどれだけの意味があったかわかりませんが、とにかく、事実としてついた取引価格ですね)の下落との差は明らかになります。つまり、理論価値の下落は回復できてなくとも、市場価格の下落は、概ね回復してくるのです。
 理論価値自体が大きく毀損したと考えられる一部の資産担保証券ABS asset backed securities)等と、市場要因による価格下落を受けたに過ぎない証券との差は、今では明らかです。問題は、金融危機のさなかにも、明らかに認識し得ていたか、ということです。
 ここで重要なことは、理論価値の測定が可能である限り、市場価格の変動は、価値変化と関係のない単なる振幅(まさに市場リスク)にすぎないので、長期的に無視し得る、即ち、理論価値の変動だけに注目した、長期の視点での運用ができる、ということです。つまり、理論価値変動に関係のない価格変動を、「市場のノイズ(雑音)」として捉える、一種の余裕、あるいは、理論価値に変動がないのだという確信をもつこと、これが、プロの運用者に求められるものだ、ということです。
 その確信は、思い込みではありません。真のプロとしての確信は、資産の価値の、即ち、将来キャッシュフローを稼ぎ出す力の、徹底した調査分析からしか、生まれません。そして、その確信の強さが、理論価値よりも安い市場価格で買う(当然に、逆に、理論価値よりも高い市場価格で売る)という、機会(オポチュニティ opportunity)を巧みに捉えた運用、まさにプロの運用を、可能にするのです。
 株式も同じです。株価は、理論的には、将来キャッシュフロー(償還しないので、永遠に続く将来配当)の現在価値です。理論株式価値の変動は、配当原資になる事業キャッシュフローの期待値の増減というファンダメンタルな条件に規定されているはずです。一方で、市場価格としての株価は、おそらくは、理論価値変動よりも、よほど大きな振幅をもっています。市場価格変動は、ファンダメンタルな条件の変化よりも、その変化の期待値という、投機的もしくは心理的な要素や、テクニカルな需給要因によって、より多く規定されているだろうからです。
 株式運用の代表的なものは、バリュー運用です。バリューとは、Value、まさに価値です。バリュー運用は、理論価値(本源的価値 intrinsic value)よりも安い(つまり、割安な)市場価格で、株式へ投資することです。株価が安くなっても、割安とは限りません。本源的価値が低いのであれば、株価も低い、要は、万年割安になるだけです。

資産運用は長期の視点で、とは誰にでもいえます。

 しかし、その具体的意味は、何でしょうか。長期の視点で資産の価値を把握するからこそ、短期的な市場価格変動に惑わされないのです。本源的価値の徹底した分析自体が、長期の視点に立たなければ、できない行為です。その結果、本源的価値の変動を認めるならば、即座に、行動しなければならない。市場価格の変動に過ぎないことに対しては動かず、本源的価値の変動には即座に動く、これが、真の長期運用です。
 時価の変動が問題なのではありません。その時価変動の内容について、本源的価値要因と市場要因とを識別できることが重要なのです。二つが区別できるからこそ、危機が機会(オポチュニティ)になるのです。危機のときは、理論価値と市場価格が大きく乖離するからです。危機の中で、割安なもの(バリュー)を拾えるのは、真の運用者のみです。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。