アーティストの起業論に学ぶ起業のアート論

森本紀行
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村上隆氏の『芸術起業論』(幻冬舎)は、現代日本を代表するアーティストが、散文の形態でアートを展開したものです。

なぜアートかというと、どうとでも読める深みがあるからです。これは、アーティストの自己そのものをぶつけた長編散文詩であり、創造活動の社会的関連性を歴史的文脈で深く鋭く考え抜いた成果として、ほとんど哲学書であり、徹底したマーケット分析に基づく起業理論として、優れたビジネス書です。本の表紙に小さく「超ビジネス書」とあります。本文には、どこにも超ビジネス書などという言葉は出てこないので、これは、版元の幻冬舎の仕掛けですね、おそらくは。こんな小さな仕掛けもアートらしくていいです。
 感心するところ、共感するところ、たくさんありました。いきなり、些事に脱線しますが、表紙の村上隆氏の写真、丸メガネです。私も丸メガネです。こだわりです。しかし、こだわるにも苦労がある。あまり売っていないから。どなたもご存じないでしょうが、「丸メガネ研究会」というものがあります。このような狭く深い分野を無数に集積できるインターネットって、本当にすごいと思います。ここにある「丸メガネの人物史~現代編~」には、ちゃんと、村上隆氏も入っているようですね。

元に戻って、この本については、色々と取り上げたいことが山ほどあるのですが、ここ数回のコラムの流れからいうと、前々回6月26日のコラム「『美術骨董品投資の秘訣』の話」で紹介した、美術骨董品が投資価値をもつ要件としての「金持ちが欲しがるもの」という論点からいきましょう。

村上隆氏の有名な主張は、現代アートの市場は欧米の富裕層(金持ち)を主要な買い手として成立しており、その買い手(ビジネスの言葉でいえば、お客様)の嗜好に合わないものは売れない、というものです。私、偶然に発掘した『美術骨董品投資の秘訣』に、現代のスター、村上隆氏に先行する慧眼のあったことを喜びます。
 さて、そのお客さんが期待するものは何かというと、村上隆氏は、次の三点を挙げています。
「新しいゲームの提案があるか」
「欧米美術史の新解釈があるか」
「確信犯的ルール破りはあるか」
 特に、この第二の論点がすばらしいと思います。私も、実は、2008年12月11日と18日のコラム「フランスにいて浮世絵がわかるか、日本にいて日本株がわかるか」の中で、外国人が「発見」した浮世絵の価値は、実は日本人には、わからないものだった点を、日本株式運用との関連で論じました。閉鎖された日本にいては、欧米美術史の流れの中で、自国の浮世絵を位置づけることはできませんでした。当然です。一つの偶然から浮世絵が海外に流れ出したことで、欧米美術史の中での位置付けを得た、それが、アートとしての浮世絵の誕生です。ですから、現在の浮世絵の評価は、日本の浮世絵としての評価ではないのです。欧米美術史の中での浮世絵の評価なのです。同じように、日本株も、世界の中に位置づけることで、初めて価値が生まれるのだということをいいたかったのです。
 村上隆氏がアーティストとして行ったことは、浮世絵の偶然を、必然に変えることだったのです。つまり、高度に戦略的に欧米美術史を研究し、そのコンテクストの中に、自己のアートを位置づけることで、「お客さん」のコレクションの先端に、見事に場所を得てしまったのです。だから、高値で売れるのです。
 欧米美術史の単なる延長では、売れっこないのです。つまらないから。「新しいゲームの提案」、「新解釈」、「確信犯的ルール破り」が必要なわけです。村上隆氏は、そのような革新的要素(欧米美術史の流れの中での革新的要素)を、日本のマンガ文化、オタク文化の要素を取り入れながら、「スーパーフラット」というコンセプトに纏め上げてゆくのです。恐ろしく深く戦略的でありながら、高度に技術的な戦術を巧みに使うアーティストです。見事です。

ところで、独自の用語法から既にお気づきのように、村上隆氏にとって、アートのマーケットは、厳格なルールで構成されたゲームなのです。

しかも、長い歴史の厚みをもったゲームなのです。一朝一夕では変えようがない。ゲームなのだから、ルール違反は認められない。ルールを熟知し、ルールに忠実でありながら、確信犯的なルール違反を取り込むことで、新しいゲームのルールを提案していく。そのような厳しい努力が、マーケットに認められていくためには必要なのです。マーケットに新しい要素を加えなければ、アーティストの存在意義はない。しかし、新しさは、マーケットのルールに徹底的に忠実であることの先にしかないのです。単なるルール違反は、新しくない。否定されるべき違反に過ぎない。アートでもない。

村上隆氏が、自己のアートを語るに、『芸術起業論』というタイトルをつけたのには、深い意味があるはずです。

アートでお金を儲ける、というような浅薄な意味で捉える向きもあるようですが、とんでもない誤解です。アートの存在形式そのものが、ビジネスの世界の起業の本質なのです。起業がアートなのです。
私は、4月9日のコラム「徹底的に起業を科学する(前編)」と、16日の後編で、起業の科学を論じたのですが、今回は、起業のアートを論じます。実際、村上隆氏の論理をそのままに、「アートのマーケット」を、ビジネスの世界のマーケット一般に置き換えれば、これは、立派なビジネスとしての起業論です。
起業を志す人は大勢います。どの分野で起業をするにしても、起業する以上、既存のマーケットに対して何か新しいものを持ち込もうとするわけでしょう。しかし、どのマーケットにも、長い歴史により形成されたルールがあります。見えるルール、見えないルール、複雑に錯綜するルールの体系が現存する。それに対する批判的切り口で起業するのが普通でしょうが、それがもしも、単なるルール違反ならば、否定されるだけです。起業は失敗する。マーケットに認められる新しさ、村上隆氏の表現を借りれば、「新しいゲームの提案」、「歴史の新解釈」、「確信犯的ルール破り」の要素がなければ、起業は成功しないのです。起業の成功にとって、「社会の構造変化を巧みに捉えた確かな事業構想」が必要なのは当然ですが、その具体的内容について、村上隆氏の提起する三要素を明らかにしていくことは、非常に有益であろうかと思います。

また脱線しますが、実は、起業を科学した同じ4月16日に、私は特別レポート<a href="http://www.fromhc.com/report/2009/04/post-4.html">「徹底的に投資を科学する」</a>を書いております。

であれば、投資もアートすべきでしょう。投資の舞台である巨大なグローバル資本市場は、歴史的に形成された複雑を極めたルールの体系です。しかも、アート以上に激しく革新が進行する市場です。全世界の叡智を結集して、毎日のように、「新しいゲームの提案」と「確信犯的ルール破り」が行われているのです。しかし、意外と、「歴史の新解釈」は、疎かにされているような気がします。そこで私は、歴史的コンテクストを投資に持ち込もうと思って、連続して三つのコラムを書きました。2月12日と19日の「オバマ大統領就任演説の投資にとっての意味-格差から平均へ」、2月26日と3月5日の「オバマ「大統領就任演説とプロシクリカリティの問題」、3月12日と19日の「金融危機にみる日本型金融モデルの理念と小泉改革の功罪」です。読んでみてください。
元に戻って、村上隆氏ですが、ビートたけし氏との共著『ツーアート』(光文社知恵の森文庫)も面白いです。この本、どう書いたのでしょうかね。往復書簡と対談の中間みたいな感じですが、作り方自体もアートですね。また、村上隆氏のウェブサイトもいいですよ。

以上

次回更新は7/16(木)になります!
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。