オバマ大統領就任演説の投資にとっての意味-格差から平均へ(後編)

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック

オバマ大統領の就任演説は、世界全体に大きな感動を与えたようです。

私も随分と感心しました。改めて演説を読み返してみても、一段と感心するのみです。そこで、今回は、このオバマ演説を取り上げようと思います。今後の投資のありようを考えるについて、演説の示唆するものを考えてみようと思うのです。
 演説の中で、オバマ大統領が市場(the market)について触れた箇所があります。即ち、「市場が善か悪か(a force for good or ill)ということも、問題ではない。市場の持つ、富を創造し自由を拡大する力は、比類なきものだ」、と述べられているのです。今回の金融危機、経済危機にもかかわらず、我々の資本主義システムが前提としている市場原理が、有効かつ有益であることを再確認したものです。私も、この点、同感でして、前々回のコラムでも、日本の分水嶺を語ったとき、市場原理が機能していることへの信頼を表明しておきました。
 さて、感動は、ここにあるのではなくて、それに続く部分にあります。即ち、今回の危機は、「市場は、もしも監視を怠るならば(without a watchful eye)、統制を失う(spin out of control)可能性があり、また、市場が繁栄するもののみの味方となるときは(when it favors the prosperous)、国(a nation)自身の繁栄は、長続きし得ない」ことを教えているという、まさにこの箇所です。これは、演説の冒頭に近いところで、今回の経済危機の原因として、一部の人々の「貪欲と無責任」(greed and irresponsibility)を挙げているのにも、対応するのでしょう。
 先進経済圏における戦後経済成長の牽引力が、大衆消費社会の形成にあったことは、いうまでもありません。福祉国家政策によって、国民全体の平均所得を引き上げることで消費需要作り出し、それが経済に還流する仕組み、これこそが成長の原理であったはずです。しかし、1980年ころからでしょうか、米国ではレーガン大統領、英国ではサッチャー首相が登場し、1970年代の困難な時期からの脱却を推進する過程で、平均から格差へ視点が動いていきます。即ち、規制緩和と競争原理の促進により、繁栄するもの(the prosperous)の更なる繁栄を可能にすることが、成長源泉と化してくるのです。日本では、遅ればせながら、ここまで遅れたならば、むしろやらないほうがずっと良かったという時期になって、小泉内閣が「構造改革」と称して打ち出した路線です。
 それから時代は一巡りして、このオバマ大統領の宣言です。格差から平均への再転換です。オバマ大統領は、これに続けて、経済の成功は、単にGDPの大きさによるだけではなくて、「繁栄がおよぶ範囲」(the reach of our prosperity)に、そして「意欲ある全ての人々に機会を拡大させていく能力」(our ability to expand opportunity to every willing heart)に、よるのだと述べています。さらに、これは、「慈悲」(charity)によるのではなくて、「共通な利益(our common good)への確実な道筋」だからなのだと付け加えています。繁栄するもの(the prosperous)からの富の再配分を、繁栄するものの「慈悲」(charity)によるのではなくて、「共通な利益の」の実現手段として、政治の責任によって行うことを述べているのです。

それにしても、今回の危機までの米国では、資本市場の規制緩和が進み、金融商品の取引は、量的にも、質的にも、飛躍的に成長してきました。

その急激な成長過程で形成された歪み、不公正、貪欲、無責任などが、危機を生んだわけです。そこへオバマ大統領が登場し、価値観の転換を宣言したのですから、資本市場の進む方向も大きく転換するに違いありません。あるいは、金融政策として、積極的に資本市場の構造改革が行われるのではないか、と期待されるのです。資本市場の構造が変われば、資産運用も変わります。では、どこが、どう変わるのか。
 おそらくは、あちらこちらが大きく変わるので、見当がつきません。とりあえず、「慈悲」(charity)という言葉から連想されること述べておきましょう。繁栄するもの(the prosperous)からの富の再配分のシステムとして、富裕層の寄付による財団の活動があります。教育、福祉、文化、様々な分野で活発に活動する財団の資金は、財団資産の運用によって賄われます。高収益を挙げてきた大学財団の資産運用は、日本でも有名になってきましたね。それから、いわゆるファミリー・オフィス(family office)というのもあります。その名のとおり、富裕な一族の資産を管理運用する会社です。これらのファミリー・オフィスも様々な慈善活動をしています。

(⇒後編はここから)1兆円を超える財団がたくさんあり、100億円以上の規模のファミリー・オフィスが数え切れないほどある、というのが米国の格差社会を象徴する事実なのです。

そして、米国の資産運用ビジネスでは、財団やファミリー・オフィスは非常に大きな地位を占めているのです。特に、ヘッジ・ファンドとプライベート・エクイティ、その他オルタナティブと称される投資のあり方は、財団とファミリー・オフィスなしには、成り立ち得なかったと思います。危機は、まさにここを直撃しました。
 今後、相続税の課税強化や財団の非課税要件の強化などにまで、改革が及ぶのならば、大きな影響がでます。しかし当面は、そこまでのことは想定できませんので、資産運用の世界での財団やファミリー・オフィスの重要性は、すぐには変わらないでしょう。ただし、オバマ大統領が掲げる化石エネルギーからの転換、教育と医療の改革などを実現するためには、大きな投資が必要なわけですが、財団やファミリー・オフィスの投資哲学と、どのように適合していくかは、興味あるところです。
 実は、リスクの大きな投資のためには、富を平均的に分布させるよりは、富裕層に集中させるほうが理論的には望ましいのです。それが、1980年代のレーガン大統領やサッチャー首相の改革で、相続税の減税と累進税率の大幅な緩和が、目玉として実行された理由です。まさに、格差をつけることで、一部に富を集積させてリスク耐性の強い大きな資本を形成し、それがテクノロジー投資などの新規分野に大胆に投資されていくことで、経済を成長させようというのです。原理は簡単です。1兆円が1億人に各1万円分布していても、投資資金にはなり得ません。それを、千人に各10億円という形に集積させれば、大きなリスクにも耐えうる投資資金になるのです。
 よく知られているように、米国におけるベンチャーキャピタルの規模と機能は、日本のものを圧倒的に凌駕しています。そのベンチャーキャピタルの有力な投資家は、財団とファミリー・オフィスです。また、起業にあたっては、エンジェルと呼ばれる富裕層の資金支援が重要な役割を演じています。まさに、80年代改革の効果であって、その後の米国の経済成長に、きわめて大きな貢献をしたのは、間違いありません。
 実は、少し横道にそれますが、年金基金も、そうした将来成長への投資資金の集積としてこそ、意味があるのです。将来の老後生活を支えるのは、将来の経済成長です。個人レベルでは零細な老後資金・生活資金を、大きな基金へ統合することで、その成長へ投資できるようにする仕組み、それが年金基金なのです。

話を戻しましょう。今後、エネルギの転換一つとっても、巨額な投資をしていかなければならないことは、自明です。

そのためには、さらなる資本の集積を推進したほうが望ましいようにも思えます。一方で、オバマ大統領は、行きすぎた富の集積には、反対しているようです。おそらくは、改革の方向性は、二つあるのだろうと思われます。一つは、圧倒的に巨大な投資主体としての政府の積極的関与、もう一つは、財団や富裕層、年金基金、金融機関などの投資主体に対して、共通の目的(unity of purpose、common purpose)の実現に向けた責任(responsibility)ある投資行動を求めることです。いずれも、資産運用には大きな影響がでます。
 政府による投資の例は、過去、大恐慌対策として行われたルーズベルト大統領のニュー・ディール(New Deal)政策があります。まさに、福祉国家政策の最初の成功例であり、基本的には、レーガン大統領によって抜本的に路線転換されるまで続いた思想です。もちろん、古い政策へ戻るということはありえませんから、オバマ大統領の下で、全く新しい政府の機能が考えられてくるのでしょう。単に、財政赤字の拡大が、米国国債市場のマイナス要因になるというだけのことではないはずです。国債発行だけではない、政府関与の下における多様な資金調達額方法が工夫されるのではないか、とも期待されます。資産運用の立場からは、新しい投資対象の創出になります。
 また、責任ある投資という考え方は、従来から、一部ではいわれてきた「社会的責任投資」(socially responsible investment)という考え方を、質的にも量的にも、本質的に変えてしまうような気がします。社会的責任ということが、一つの投資の手法の問題としてではなくて、全ての投資に通じる哲学の問題として取り上げられるということなのでしょう。どんな哲学でしょうか。そして、その哲学を資産運用に実現していく、具体的方法論は何なのでしょうか。私にもわかりません。しかし、新しい価値の実現へ向けた投資の役割を考えることは、実に楽しいことではないでしょうか。危機の向こうには、明るい未来があります。必ずあります。
 オバマ大統領は、演説の中で、米国の偉大さを再確認した後、偉大さは自然に与えられたものではなく(greatness is never given)、働きによって勝ち取るものだ(it must be earned)と、述べています。投資の未来も、投資家自身の働きによって勝ち取らねばなりません。

 次回更新は、2/26となります。よろしくお願い致します。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。