『美術骨董品投資の秘訣』の話

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック

前回は『切手でもうける本』の話でした。今回は美術骨董品でもうける話です。

1953年に、三宅久之助という人が著した、『美術骨董品投資の秘訣』という本があります。著者がどんな人だったかは不明ですが、自序に、「私は戦後派の商売人であるが、素人愛好家二十五年、美術商七年の体験から生まれた、現在の私の考えを、飾り気なく、ありのままに語ったつもりである」とあります。
 ところで、この本、実業之日本社が、「実業之日本利殖叢書」と銘打ったシリーズの一冊として刊行したもので、シリーズの他の本は、株式などの普通のテーマなのですが、この本だけは異色を放っています。それにしても、「利殖」という言葉、最近はあまり使いませんが、いい響きですね。

実のところ、怪しい本なのかな、と思って買ったのですが、サッと目を通したところ、これがよく書けています。

うれしい驚きです。感心するのは、美術骨董品が、投資対象として有価証券等と異なる点を分析し、一点一点が異なっていて一般的・客観的価格の標準がないこと、および「子(利息、配当、地代、賃貸料等)を生まない点」の二点を挙げていることです。極めて理論的な整理です。『切手でもうける本』には、このような理論的分析が全くなかった。そこが、あの本の怪しいところだったのですが、こちらの場合は、子を産まないものが、どうしたら投資価値を生み得るのか、という視点で書かれているのです。
 当然に、子を産まない以上、価格の値上がり益が投資収益になります。ゆえに、どのような美術骨董品が値上がりしやすいか、ということが論点になってきます。著者は、そのような投資対象としての美術骨董品が持たねばならない基本性格を挙げているので、そのうちのいくつかを紹介しましょう。いずれも慧眼というべきです。
 まずは、「金持ちが欲しがるもの」という基準です。甚だドライな視点というべきです。「芸術的価値高きが故に、相場必ずしも高からずで、価値と価格(相場)とは、常に一致はしない」と述べられています。投資として、もっと一般的にビジネスとして、美術骨董品を考える限り、基本中の基本といわざるを得ません。
 次に、「一般の認識」を挙げています。当然に、一般社会からの認知度の高いものほど、「広く強い需要」をもち、「その需要も相当長続きする」のです。ついで、「必需性のあるもの」を挙げています。美術骨董品は、生活必需品ではないので、生活の必要から値上がりすることはない。しかしながら、中には、必需性を帯びるものがある。例えば茶道具。茶道は現代の社交です。そこでは、古道具が好んで使われる。現在の茶道において使われる古道具は、現在も確実な需要があるというのです。
 そして、何よりも興味深いのは、「近代性のあるもの」という斬新な視点です。このところブームになった現代美術の話ではありません。古美術・骨董品の話です。著者によれば、古美術においても、人気が高いものは、「永久に近代性を包含する不易性を備えている」ということになります。
 これらの視点は、要は、美術骨董品に対する需要が、社会の一般的な需要として確立しているかどうか、という点に帰着するのだと思います。投資対象としての基本要件は、その投資対象の裏にある、需要の広さ、強さ、持続性です。様々な趣味的領域や好事家の収集対象の中で、美術に関連した分野は、明らかに別格です。現代美術も古美術も、現時点において、確かな社会的需要に裏打ちされていて、将来も、そのようなものであり続けるであろうことが期待できるからこそ、投資対象としての価値を持つのだと思われます。残念ながら、切手収集には、そこまでの社会的一般性を認めがたいといわざるを得ません。

ところで、古銭についても、切手と同様に考えていいのだと思うのですが、ここにも、それなりの規模で、収集家向けの事業が存在します。

古銭を取り扱う業者の団体で、日本貨幣商協同組合というのがあって、ウェブサイトもあります。ここに、「貨幣を投資対象とする事への日本貨幣商協同組合の見解」というものが掲載されています。一読、その良識に敬服せざるを得ません。「投資をして継続的に利益を得るためには、開かれた大きなマーケットの存在が不可欠ですが、現在貨幣に関しましては、株式市場や商品市場のようなマーケットは存在しておりません」というあたりは、卓見です。
 「開かれた大きなマーケット」の存在こそが、投資対象としての基本要件であるわけです。それにしても、この見解は、2007年3月の日付になっていますが、そこに「昨年来、貨幣への投資を呼びかけるダイレクトメールが盛んに送付されております」とありますので、かような勧誘は、2006年に始まったようです。こんなところにも、バブルの芽があったのですね。しかし、1960年代の切手バブル(前回コラム参照)と違って、業界の良識が、それを防ぐ方向にあったのは立派です。良識あるところに、バブルなし、です。

さて、「開かれた大きなマーケット」なのですが、美術品の市場が、「大きなマーケット」であるのは間違いないようですが、「開かれたマーケット」であるかどうかは、疑問です。

マーケットが開かれていない限りは、いかに大きな需要に裏打ちされていても、美術骨董品を投資対象にすることはできません。ここに問題があり、可能性があるのです。
 実のところ、美術骨董品の市場は、少しも開かれた市場ではないようです。だから、投資対象にはしにくい。そこが問題です。逆に、美術骨董品の市場を開かれたものに転換できるならば、そこに大きな投資の可能性が生まれます。ここに、チャンスがある。
 ゲームは大きな産業です。いまや、確かな社会の需要に裏打ちされたものです。株式市場にも、ゲーム関連企業が上場しています。ゲームが産業なら、ゲームそのものも投資対象にできます。実際に、ゲームそのものから生まれるキャッシュフローを投資商品化したものがあります。美術が産業化されれば、美術品そのものが投資対象になり得るのは、ゲームと同じことです。
 鍵は、アートはビジネスか、ということです。次回コラムは、7月2日更新ですが、そこで、ビジネスとしてのアートを考えてみたいと思います。

次回の更新は7/2(木)となります!
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。