金融モニタリング基本方針の画期的な意義

金融モニタリング基本方針の画期的な意義

森本紀行
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金融庁は、9月11日に、「平成26事務年度金融モニタリング基本方針(監督・検査基本方針)」を公表しました。これは、形式といい、内容といい、金融行政が全く新しい段階に入ったことを示しており、まさに歴史を画するものとして、字義通り、画期的な意義をもつものです。では、どこが、画期的なのか。
 
 私は、公表の翌日の朝、このモニタリング基本方針を読んだとき、驚きました。非常にうれしい驚きでした。金融庁がここまで踏み込んだ以上、今回は違うな、日本の金融も、やっと正しい方向へ転換できるな、真の革新が始まるな、そのような予感にとらわれました。私は、明るい将来の展望を、確かなものとして、感動をもって、しっかりと見通すことができたのです。
 特に、資産運用に長く携わってきて、自己の職務の社会的重要性を信じて努力してきたものとして、そして、それ故にこそ、理想からほど遠い現実の惨めさ、貧しさ、浅ましさに、半ば呆れ、半ば絶望してきたものとして、この度、金融庁が重点施策の第三に「資産運用の高度化」を位置付けてくれたことは、望外の喜びであり、感慨ひとしおでありました。
 また、金融庁の基本的な考え方として、金融機関は、「経済の成長や国民生活の安定に寄与することが、ひいては、金融機関自身の安定的な収益にもつながっていくような「好循環」の実現を目指す必要がある」との認識が、以前にも増して明確に、示されています。
 これは、金融庁が、金融規制という狭い視野を完全に脱却し、政府の大きな政策課題、特に経済産業政策のなかに、金融行政を位置付けるに至ったことを示すものです。もちろん、変化の方向性は、昨年あたりから現れてはいたのですが、今年の基本方針は、路線転換を鮮明にするものとして、画期的な意義をもつものと思われます。
 

体裁も変わり、力点の置き方も変わりましたね。
 
 第一に、監督と検査の統合は、基本方針自体が統合されることで、非常に明確になりました。
 第二に、金融庁の金融機関に対するモニタリングの観点は、少し以前から、「法令等で規定した基準(ミニマムスタンダード)を満たしているか」という視点から、「より優れた業務運営(ベストプラクティス)に向けた経営改善を図っていくことが重要」という視点へ、移ってきていたのですが、今回の基本方針は、それを、より鮮明にしました。
 第三に、監督や検査という用語に付き纏う「取り締まり」的な印象を消し去るべく、「金融機関との建設的な対話」という姿勢を、より明確に打ち出してきています。モニタリングという用語は、まだ、必ずしも、こなれたものではなく、そこには、旧来の「取り締まり」的な語感も残っているような気がしますが、監督と検査という用語に比べれば、より対話的になっていることは、間違いありません。
 それにしても、モニタリングという片仮名を定着させるのか、それとも、対話といえば、対等な関係を意味していることからすれば、何か、もっと、対等な対話を意味するような日本語を工夫するのか、気になるところです。
 第四に、「目指すべきベストプラクティスは、画一的なものではなく、各金融機関が自主的に創意工夫を凝らしながら目指していくもの」であることから、「金融機関が横並びの意識を排し、顧客へのサービスの質の改善に向け健全な競争が行われることを促していく」こととされました。これは、「多くの金融機関がより質の高い業務運営と金融商品・サービスの提供を行うことが日本の金融力の強化にもつながる」との基本認識からすれば、当然のことです。
 実は、「金融機関が横並びの意識」というのは、確かに昭和の古い時代に淵源があるのでしょうが、金融庁発足後、長く続いた旧来の監督と検査の姿勢が新たな横並びを作り出した側面も否定できないわけで、その意味でも、金融庁の路線転換は、重要な意義をもつものと思われます。
 第五に、これも当然といえば当然のことながら、「顧客のニーズに応える経営」が重点施策の第一位に掲げられています。金融もまた、商業の一つであってみれば、いまさらに「顧客のニーズに応える経営」という自明なことを金融庁の施策の筆頭におくこと自体、奇異ではあるのですが、そこに、ともすれば顧客不在の構図に陥りがちな金融の特性というか、病理があるのです。金融庁が、問題認識の筆頭に、この本質的な論点を挙げたことは、実は、重要な意味があるのです。
 そして、最後に、しかし、私の立場からは最も重要なものとして、「資産運用の高度化」という従来になかった重点施策を取り上げたことが目を引きます。資産運用というのは、投資信託のような業としての資産運用だけでなく、金融機関自身の資産運用をも含むものです。資産運用を、金融機関経営のなかで、一つの重要な経営課題として位置付けたことは、まさに、画期的なことです。
 

「資産運用の高度化」という課題は、金融業態毎に、業態の差を反映して、異なる表現で記述されていますが、特に、保険会社について、機関投資家としての位置づけを明確にしたことは、驚きではないでしょうか。
 
 かつて、昭和の時代には、保険会社は、機関投資家の代表格であったのです。当時、若かりし頃、保険会社に勤務していて、その資産運用に携わったものとして、今、機関投資家としての社会的機能が復興されようとしていることは、望外の喜びであり、あまりにも感慨深いものがあります。
 昭和が終わり、バブルが崩壊した後、保険会社の資産運用は、今日まで、一貫して、凋落を続けてきました。その背景には、もちろん、負の遺産の整理に要した長い困難な取り組みがあり、そのなかで、保険会社の資産運用の目的は、「将来の保険金等の支払いに充てる財源を確保」することに、純化されていきます。その結果、「国民の安定的な資産形成」という側面は、忘れられていくのです。
 ところが、今回の金融モニタリング基本方針では、保険会社の資産運用の目的として、明確に、「国民の安定的な資産形成」を位置づけたわけです。それは、最重点の政策課題として、金融機関が経済の成長や国民生活の安定に寄与することを通じて、金融機関自身の安定的な収益にもつながっていくような「好循環」の実現が目指されているからです。
 実は、歴史的には、日本の保険、特に生命保険は、高度に貯蓄的性格を帯びたものとして、発展してきました。その長期貯蓄としての資金性格が、機関投資家としての保険会社を成り立たせていたのであり、また、機関投資家としての機能が、運用収益を顧客へ配当還元することを通じて、「国民の安定的な資産形成」に貢献してきたのです。
 しかし、その同じ資産運用が原因となって、バブルとバブルの崩壊により、「将来の保険金等の支払いに充てる財源を確保」という最低限の要件充足すら危機に瀕する事態を招いたのです。その結果、金融庁発足後は、新たなる金融規制の枠組みのなかで、資産運用の目的が大きく変わり、保険会社は、機関投資家としての機能を喪失するに至ったのです。
 そして、今、その復興が宣言されたわけです。歴史は、再び、向きを転じたのです。
 

同様な歴史的な推移は、銀行等の預金取扱金融機関にも、みられるのではないでしょうか。
 
 かつては、投融資などという言葉もあったくらいで、銀行等にも、単なる融資の提供者という側面を超えて、産業金融の担い手として、あるいは機関投資家として、株式の引受等を積極的に行うなどの社会的機能があったのです。そこに、銀行を中核とした日本型金融の大きな特色がありました。
 ところが、これも、保険会社の辿った運命と同じことで、深刻な金融危機を経て、厳格な金融規制が導入されたことで、投融資は廃れて、融資の純化によって、財務の安定性を確保することに、銀行等の経営課題は、大きく傾いていったのです。
 

では、今回の金融モニタリング基本方針では、銀行等にも、機関投資家としての機能が求められることになったのでしょうか。
 
 さすがに、金融庁においては、保険会社と銀行等との業態の差は、強く意識されていると思われますので、銀行等の投融資の復活ということは、そのままでは、考えにくいことです。
 むしろ、銀行等に対しては、本業において、いわゆる「事業性評価に基づく融資等」として、「借り手企業の事業の内容や成長可能性などを適切に評価し(「事業性評価」)、融資や助言を行い、企業や産業の成長を支援していくことが求められる」とされていることに、古い時代の投融資的理念の復興が籠められているのです。
 ただし、「資産運用の高度化」のなかで、「金融機関自身による有価証券運用についても、業態等により異なる資産運用の性格を踏まえつつ、資産規模等に見合った運用やリスク管理の態勢が整備されているかについて検証する」とされているのは、保険会社だけでなく、銀行等の証券運用をも意味していると思われます。
 なお、銀行等の場合、証券投資については、いわゆるマクロ・プルーデンスの視点が重視されています。マクロ・プルーデンスというのは、各金融機関の財務の安定性と健全性を論じる視点をミクロとし、全金融機関の総体としての金融システムの安定性と健全性を論じる視点をマクロとしたとき、ミクロの集積の結果により、マクロにおいては、意図せざる不都合な事態が生じる可能性に対して、慎重な配慮を払うことです。
 要は、金融機関の行動は、多くの場合、画一的になりがちで、その結果、例えば、資本市場においては、同一方向の売りもしくは買いに、多数の金融機関からの巨額な資金が集中してしまい、想定をはるかに超える価格変動を誘発してしまう可能性があるので、その危険性について、十分な配慮をしておかないといけないということです。
 このことは、例えば、「個別金融機関にとっては合理的な行動が、総体として、経済や金融・資本市場全体に影響を及ぼす可能性についても留意する」というふうに、表現されています。
 

ということは、銀行等の証券運用においては、画一性や横並びを排した独自の資産運用方針の策定が求められるということでしょうか。
 
 例えば、中小・地域金融機関について、「金利等の水準やボラティリティの動向を踏まえたリスク・リターン分析を勘案しながら資産運用方針の策定・見直しを行っているか等、金融機関における運用態勢(運用や管理に係る人的資源の配分状況を含む)やリスク管理態勢について検証する」とされているのは、そのように理解すべきだと思われます。
 なお、同じことを、主要行に対して述べた個所では、「グローバルな市場の変化等を把握し、フォワードルッキングに資産運用方針の策定・見直しを行っているか等、主要行等における運用態勢(運用や管理に係る人的資源の配分状況を含む)やリスク管理態勢について検証する」とされており、微妙に異なる表現になっていることが注目されます。
 地域金融機関については、「リスク・リターン分析」というふうに、収益性に言及があるのは、地方においては融資の伸びに限界のある可能性があり、事実として、多く地域金融機関で、国債等の証券の保有が大きくなっている現状に鑑み、一定の対応、即ち、画一性や横並びを排した独自の資産運用により収益性を高めることを、求めたものとみられます。
 

さて、今回の金融モニタリグ基本方針のなかで、最も異色を放っているのは、「フィデューシャリー・デューティー」という言葉ではないでしょうか。
 
 私は、「資産運用の高度化」という重点施策のなかに、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」との一文を見出したとき、心底から、感動しました。
 フィデューシャリー・デューティーは、中世に遡るイギリス法の概念であり、それが当然に、米国法にも接受されたものです。実は、英国と米国では、このフィデューシャリー・デューティーの背景のもとに、業としての資産運用を発展させてきたのです。今日、この英米と、その延長にあるホンコン、シンガポール、オーストラリア、カナダなどに、資産運用の拠点と人材と技能が集中しているのは、そこでは、フィデューシャリー・デューティーが機能しているからなのです。
 フィデューシャリー・デューティーなきところ、資産運用なし、これは、私の長年の主張であり、信念でした。いつかは、この日が来る、そのとき、私が人生を賭けてきた資産運用、真の資産運用が日本で始まる、そう信じてきて、もはや、諦めかけたとき、とうとう、その日が来たのです。ああ、感に堪えない。
 
以上

 
 次回更新は10月9日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/07/03掲載「受託者としての資産運用の担い手
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨


≪ アーカイブから今週のお奨めは「人材」≫
2014/07/03掲載「人的資本投資の理論
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。