銀行等の預金取扱金融機関は、ディスインターミディエーションによって、自分だけに可能な固有領域を確保して、預金に従来とは全く異なる戦略上の意味を発見するのです。
世のなかには、手元の資金が不足しているものと、逆に、手元に余剰資金をもつものがいて、当然の成り行きとして、両者間で資金を融通するので、金融と呼ばれる機能が発生するのです。このとき、都合よく、貸し手と借り手が一対一で出会うこともあるでしょうが、そうした偶然に委ねていたのでは、経済活動は活性化しませんから、社会的制度として、余剰資金を一か所に集積しておく必要があります。その集積地こそ、総体としての預金取扱金融機関です。
銀行や信用金庫等の預金取扱金融機関は、本業として、預金に滞留する余剰資金を資金不足の主体に融資することで、金融仲介機能、即ち、資金の余剰と不足を仲介する機能を演じているのです。つまり、預金取扱金融機関には、余剰資金が集積するだけではなく、資金需要をもつ主体に関する情報も集積するので、余剰資金は資金需要者に効率的に供給されるのです。
なぜ、余剰資金は預金に集積されるのでしょうか。
預金は現金の現実的な存在形態なので、余剰な現金は預金に滞留するのです。この現象は預金の粘着性といわれます。もちろん、現金は、紙幣の形態でも存在しますが、紙幣を保有することを箪笥預金と俗称するように、現代社会においては、預金形態で存在するのが原則なのです。
また、現金は、換価性の高い債券や上場株式等の有価証券、あるいは、より広義な言葉を用いれば、金融商品に変換され得るのですが、資本市場、即ち、金融商品の取引市場が十分に発達していなければ、そうした金融商品への変換、普通の言葉でいえば、投資も十分に普及せずに、預金に滞留せざるを得ません。日本の現状では、未だに資本市場の機能が小さいために、巨額な現金が今も預金に滞留し続けているわけです。
では、預金は、投資によって、資本市場に流出すべきなのでしょうか。
経済成長の初期段階においては、富の蓄積が不十分であったので、資金の不足は余剰を超過していました。故に、経済政策的に、預金取扱金融機関を高度に規制し、高い参入障壁を築くことで、実際の効果としては、厚く保護して、そこに預金形態で余剰資金を集積させて、産業界の強い資金需要を満たしたのです。つまり、この段階では、預金取扱金融機関の金融仲介機能は、極めて効率的に働いていたわけです。
しかし、経済は、成長するに従って、成長率が低下していって、いずれは、成熟段階に達します。この成熟経済においては、富の蓄積が高度に進行しているので、資金の余剰と不足が逆転して、資金は余剰超過になっています。故に、経済政策的には、預金取扱金融機関の保護は不要となり、むしろ、潤沢な余剰資金を自由に解き放って、資本市場において活発に働かせたほうがよくなるわけです。実は、日本経済は、かなり前に、成熟経済の段階に達しているのです。
なぜ、余剰資金は、預金から資本市場に移転すると、活性化するのでしょうか。
余剰とは、要は、資金使途が未確定ということですが、具体的な使途が確定していく可能性や時期については、千差万別ですし、余剰であることの程度についても、資金が失われても少しも構わないという極端から、決して失われてはならないという反対の極端まで、多様に異なり得ます。しかし、そうした多様な余剰資金は、預金に集約されると、元本保証があって、随時引き出し可能という性格に一様化してしまいます。
預金取扱金融機関は、この一様な性格の預金を原資として、産業界の資金需要に応えるわけですが、資金需要の裏には、不確実性を伴う事業活動があって、預金を原資とする限り、不確実性の大きな事業活動から生じる資金需要には、対応できないわけです。これに対して、資本市場においては、不確実性の大きな事業から生じる資金需要は、不確実性に対して強い耐性をもつ余剰資金の投資需要に出会うことができるのです。
成熟経済においては、大胆な構造改革によって、成長の持続性を維持するほかなく、構造改革に伴う資金需要には、多くの場合、背後に事業の大きな不確実性を伴うわけですから、金融の主舞台を預金取扱金融機関から、資本市場へ移転することは、経済政策として、非常に重要な意味をもつのです。なお、この政策の名称は資産運用立国というのですが、これは、余剰資金を預金から解放して、投資資金として活性化することで、経済の持続的成長を実現するという意味です。
日本の現実として、なぜ余剰資金は預金に滞留しているのでしょうか。
仲介は、英語では、インターミディエーション(intermediation)ですが、資本市場においては、資金の余剰と不足は、預金取扱金融機関の仲介を経ることなく、直接に出会うので、預金から資本市場への資金の流出は、仲介を不要にするという意味で、ディスインターミディエーション(dis-intermediation)と呼ばれます。日本では、かなり前に成熟経済の段階に達して以降、長らく貯蓄から投資へという標語が掲げられてきましたが、貯蓄とは預金であり、投資とは資本市場への資金移動のことですから、この標語の意味はディスインターミディエーションなのです。
さて、長らく標語が唱えられてきたのは、ディスインターミディエーションが起きず、依然として、貯蓄は主として預金に滞留し続けているからです。この点について、評論家などは、日本人の金融に関する知識不足を原因にあげて、投資教育の必要性を説いてきたのですが、おそらくは、それよりも重要な原因は、経済が成熟段階に達して以降、極端な低金利が定着したことだと思われます。つまり、いかに金利がなくとも、元本保証のある預金は、ほとんど金利がなく、元本保証もない資本市場の投資対象に比して、十分に魅力的であったのです。
では、金利が上昇に転じた今、ついにディスインターミディエーションが起きるのでしょうか。
ディスインターミディエーションが不可避であることは、おそらくは、金融界の共通認識でしょうが、その時期、程度、速度、影響については、誰にも何も分らないでしょうし、金融庁や日本銀行にも、予測できないでしょう。なにしろ、金利は、半世紀近く、低下基調にあり、しかも、その後半は、ゼロの水準に張り付いてきたのですから、金利の上昇ということ自体、金融界にとって未経験なのであって、ディスインターミディエーションについては、参照すべき情報が全くないわけです。
そうはいっても、検討すべき論点を指摘できるはずですが。
政府は、資産運用立国というように、名称のうえでは、資本市場において資金運用する側を中心にしていますが、理屈上、資本市場の真の主役は、そこで資金調達する側なのであって、産業界として、魅力のある投資対象を創出しない限り、資本市場に資金は流入しないのです。故に、株式の価値を高めて、そこに投資資金を呼び込むために、政策として、上場企業のコーポレートガバナンス改革が掲げられているのです。しかし、改革は始まったばかりで、社債の活用など、企業の資金調達の高度化には、まだ多くの課題が残されています。
また、預金取扱金融機関において、預金流出に対する不安感からか、預金獲得競争が展開されていることは大きな問題です。そもそも、法律上、顧客の最善の利益を勘案する義務が課せられているなかで、中短期の国債の利回りが預金金利を大きく上回る状況のもとで、はたして熱心に顧客に預金を勧め得るものでしょうか。
今、預金取扱金融機関に求められていることは、目先の預金獲得競争ではなくて、ディスインターミディエーションを前提としたうえでの抜本的な事業構造改革です。このとき重要なのは、預金取扱金融機関は、ディスインターミディエーションによって、事業領域を失うのではなくて、全く逆に、自分だけに可能な固有領域を確保することです。その固有領域のなかで、預金は従来とは異なる戦略上の意味をもつはずです。
・銀行等の信用創造は成熟経済では革新を生み得ないのだから(2025.11.27掲載)
信用創造は預金を元手とした融資がベースになるため、革新に必要なリスクマネーの供給には不向きと考えられます。今後資本市場中心の金融へ移ってゆくとするならば、銀行もそれに応じ改革を迫られることになるのではないでしょうか。
・金利上昇で預金獲得に努力する銀行は愚かなのか(2026.1.15掲載)
預金取扱金融機関にとって重要なテーマである預金の獲得と融資機能のあり方について、金融機関同士の競争や金利上昇の影響を踏まえて考察しています。
・金利上昇は銀行等の預金取扱金融機関に有利なのか(2026.4.23掲載)
金利上昇が銀行に有利とされる通説を検証し、国債評価損や預金過剰といった構造問題、資金需要の不確実性を指摘します。金利の正常化が必ずしも経営改善につながらない現実と、金融機関の潜在的リスクに迫ります。
(文責:林)
次回更新は、6月18日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。
