限りなき欲望による狂った浪費と経済合理的な賢い消費

限りなき欲望による狂った浪費と経済合理的な賢い消費

森本紀行
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稀覯書の市場では、需要は不動で、実用性のある廉価な古書の市場では、需要の変動に供給が即応し、普通の優良古書の市場では、需要の変動が古書店を淘汰するのは、なぜなのか。
 
 稀覯書とは、本としての価値が極めて高いもので、かつ、発行されてから長い時間が経過しているか、あるいは最初から少部数しか印刷されていないために、残存部数の著しく少なくなっているものです。例えば、著名な作家の最初の作品で、無名だったが故に少部数の私家版として出されたものや、高名な詩人の詩集で、詩人の特異な趣味のもとで、製本に贅を凝らしたうえに、少部数の限定版として出されたものは典型的な稀覯書です。
 あるいは、狭い専門領域を対象とした学術書は、当然に発行部数が少ないわけですが、後に、その分野の研究者にとっての必読文献となったものは、稀覯書になります。また、古いが故に価値のあるわけではありませんが、発行されてから100年以上も経過した本には、稀覯書となっているものが少なくありません。
 
稀覯書は、稀少すぎて、入手困難なのですか。
 
 稀覯書は、常識的な考えとしては、入手困難なもののように思われますが、実際には、全く逆で、極めて高価ではありますが、それだけの金額を支払う用意があれば、あるいは、いかに高くとも、古書店の提示する価格を受け入れるのならば、容易に入手できます。
 なぜなら、古書店にとっては、価値が確立していて、価格が高く、常に安定的な需要のある稀覯書は、極めて優良な商材なのですから、何らかの理由で市場に出ることがあれば、どの古書店も、躊躇なく、在庫として仕入れるからです。こうして、稀覯書は、市場のどこかに在庫として常に存在するので、買い易い、即ち、流動性があるわけです。
 
例えば、限定版ほど、市場に多く存在するということでしょうか。
 
 ある高名な詩人は、少部数しか発行されない限定版を好んだのですが、そうした限定版の詩集ほど、市場には多くの在庫が存在しています。例えば、250部しか発行されていない戦前の詩集について、現在でも、複数部が常に市場に流通していることは、極めて奇異なことのように思われますが、実際には、価値の高い著名な限定版の詩集だからこそ、時間がたっても、世の片隅に埋もれることなく、常に市場にあり続けるのです。
 
しかし、当然に、価格は著しく高いのですね。
 
 価値が高ければ、価格も高いわけですが、稀覯書の場合には、価格に稀少性の対価を含むために、価値よりも著しく割高になっていると考えられます。あるいは、表現を変えて、稀少性も価値に含まれるとすれば、稀覯書は、本としての本来の価値に稀少性の大きな価値が付加されることで、極めて価値が高くなっていて、故に、価格も著しく高いことになります。
 
価格が極めて高いからこそ、流動性があるわけですか。
 
 稀覯書に流動性がある、即ち、稀覯書が容易に手に入るのは、蒐書家が流動性に対価を支払っているからです。つまり、必ず買おうとすれば、価格を吊り上げることになりますが、それは、高い価格を受け入れさえすれば、必ず買えることを意味しています。要は、金に糸目をつけなければ、どのような稀覯書でも買えるわけです。
 しかし、ここで重要なのは、金に糸目をつけなければ必ず買えるのは、価値の確立した稀覯書に限られるということです。つまり、価値が確立しているからこそ、市場に常に在庫があるので、必ず買えるのであり、在庫がない場合でも、高価格によって稀覯書が市場に誘い出されるので、必ず買えるということです。
 
市場に誘い出されるとは、どういうことでしょうか。
 
 稀覯書の市場は狭く、少数の蒐集家と専門古書店だけが参加していて、蒐集家には、古書店と同等、もしくは古書店以上の商品知識が備わっていますから、取引者の間に、完全な情報の対称性が実現しています。つまり、稀覯書の市場の効率性は極めて高いのです。
 そして、蒐集家は、常に、様々な事情のもとで、蔵書の整理や再編を行い、その死亡に際しては、蒐集家の遺族は蔵書を売却して整理しますが、それらの取引は専門の古書店が扱っているので、蒐集家の蔵書と古書店の在庫は緊密に結合していて、特定の稀覯書の価格に関する情報は、その結合のなかで、当該稀覯書の取引動機を誘発し、実際の取引を成約させる可能性が高いわけです。
 
そうした市場の効率性の背景にあるのは、蒐集という異常な需要ではありませんか。
 
 稀覯書の市場が効率的に機能するのは、第一に、蒐集という特殊な所有欲のもとで、地位の確立した稀覯書には、常に強い需要が存在しているからであり、第二に、蒐集家と古書店との間に完全な情報の対称性があるからです。そもそも、限りなき欲望のもとで、絶えることなく創造される需要は経済成長の動因であり、情報の対称性は市場原理の基礎なのであって、この二つが資本主義経済を根底で支えるものなのです。
 
飽和しない欲望こそ、資本主義の動因なのですね。
 
 欲望を動因とする資本主義において、欲望の飽和ほど危険なものはありません。しかし、稀覯書の蒐集のように、著しく稀少で、極めて価値が高いものへの欲望は、価格が常軌を逸して高くなろうとも、いや、むしろ、価格が極端に高いが故に、とどまるところを知らずに、どこまでも飽和することなく、膨張していきます。実は、経済の全ての分野で、こうした超高級志向が経済成長の原動力となっているわけです。
 
商品としての実用性を完全に喪失したものへの需要は、投機ではないでしょうか。
 
 投機とは、賭博が典型であるように、実用性を超越した欲望の極限形であり、自己目的化した消費、即ち浪費なのであって、まさしく、資本主義経済の真の動因です。経済が成長するのは、その全ての分野において、常に何らかの投機がなされているからなのです。
 
しかし、他方で、経済は合理的ではありませんか。
 
 欲望は理性を用いて自己を実現するので、経済は合理的に展開するのですし、投機の原資は、合理的な経済活動から創出されるほかありません。つまり、日常の合理的消費生活があるからこそ、非日常の贅沢があり得るわけで、そもそも、非日常の体験が楽しいのは、日常の生活の規律があるからなのです。
 故に、古書の市場においても、投機対象としての稀覯書の市場の対極には、実用的に読まれる古書の市場があって、そこでは、新刊書よりも安いものを求める合理的な需要が充足されているわけで、こうした市場の二極化は、例えば、超高級な料亭旅館と民宿、銀座の鮨屋と回転寿司など、経済の全ての分野にみられることです。
 
二極化が進行すれば、中間が崩壊するのではないでしょうか。
 
 絶版になった本や、再刊される見込みのない本は、膨大な量に達するわけですが、そのなかには、現在でも価値を失っていない本が非常に多く含まれていて、高価な稀覯書の市場と、新刊書に連動した廉価な古書の市場との間には、こうした普通の優良古書の市場があるわけです。
 優良古書の典型は、研究者や学生に読み継がれてきた学術書であって、かつては、専門古書店が数多くあり、大学の研究室や図書館を得意先とし、学生を安定顧客にしていたわけですが、大学を取り巻く環境の変化は、多くの古書店を淘汰しました。同様に、銀座の鮨屋と回転寿司の間には、街の鮨屋があり、超高級な料亭旅館と民宿の間には、普通の旅館がありますが、こうした中間にある店の経営は厳しくなっています。
 
中間は、経済の構造変化に対して、対応できないわけですね。
 
 超高級志向の消費需要は、経済の構造変化の影響を受けにくく、安定していますし、逆に、経済合理性を追求する消費需要に応えようとする事業においては、構造変化による需要の変化を前提とし、業態転換を含めて、その変化に対応することを事業目的としています。故に、経済の構造変化は、二極化を推し進めて、中間を崩壊させるわけです。
 こうした事態において、一方では、中間の崩壊は構造改革による経済成長そのものだとしても、他方では、中間のなかにこそ、経済を持続的に成長させる基盤があって、構造変化に対応した新たな中間のあり方があるとも考えられます。なにしろ、学生が読もうが読むまいが、優良な学術書の価値は変わらないのですから。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
希少すぎて値もつかない本 (2015.1.8掲載)
たいへんな稀覯本であるといわれる、川口弘の『ケインズ経済学研究』という本を、森本は、ある古書店の雑書を放り込んである箱の中から偶然に見つけて、所有しています。希少な学術書としての高い価値を持ちながらも、経済構造の変化によって価値が変化してしまう古書や古本市場を例にとって、市場原理を説明しています。

投資対象でないものを投資対象にする技法 (2022.3.31掲載)
アートは単に保有していてもキャッシュを生みませんので、適格な投資対象ではありません。しかしアートが動産であり、市場性があり、高価なものほど社会認知が高くて流動性があることを鑑みると、アートには担保価値があると言えます。融資の債務者が一般的には富裕層で市場価値が適切に評価され得るため、欧米等ではそれなりの市場規模があり、投資としては魅力です。

お金は眠らない (2010.8.12掲載)
作家ジョン・D・マクドナルドの「四月の悪事」(April Evil)という作品の中で、ある富豪が引退後、自分の財産を全て金融機関から引き出して、何も生み出すことができない現金にしてしまいます。投資とは資産を働かせて収益を得る営みである以上、資産がより多くの収益を産むように適切に管理をしないことは資産を殺してしまうのと同義だと言えます。
(文責:仙波)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。