お金は眠らない

森本紀行
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金利を日割りで計算する習慣は、おそらくは、世界共通で、しかも、歴史的に非常に古いものだと思います。日割りで計算するということは、金利は、毎日休むことなく、生まれ続けるということです。お金は眠らないのです。

 話は、例によって、飛びますが、私の数少ない趣味の一つは蒐書です。あえて読書とはいわない。読むことも読みますが、読む量の何倍も買うので、読まずに積まれている本が圧倒的に多い。多すぎて、買った本を覚えていないので、たまに蔵書を検分すると、同じ本を二冊、時には三冊、見つけることがあります。必ずしも安くない本なので、その度に心が痛みます。
 ありとあらゆる分野の本を持っているのですが、文学書を除けば、残りの大半は、哲学、社会学、歴史学、法学、経済学、数学などの学術的専門書です。特殊な本なので、意外と高いわけであります。
 その中で異彩を放つ分野が、米国で戦前から1970年台の前半までに出版されたハードボイルドのペーパーバックです。レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」とか、ダシール・ハメットの「マルタの鷹」などは、例外的に有名な作品であって、とにかく、この期間、今では完全に忘れられた夥しい数の作品が出版されています。この非常に狭く特異な分野の本を、私は集めているのです。
 その中の有力な作家ジョン・D・マクドナルド(有名なロス・マクドナルドとは別人です)に、「四月の悪事」(April Evilというのですが、邦訳はないと思います)という作品があります。もちろん、サスペンス小説として良くできたものなのですが、私の関心は、別な哲学的なところにあります。
 この小説、骨だけとりだせば、富豪の家に凶悪な強盗が押し入るという犯罪を描いたものです。なぜ悪漢が目をつけたかというと、この富豪、全財産を現金にして自宅の金庫に保管していたからです。現金にしている理由というのが、お金を働かせないためなのです。
 成功した実業家として蓄積した資産、その資産は、現役時代には、生きて働いて、自己増殖していたのです。しかし、実業家は、引退後、自分の財産も引退させ、働けないようにしたのです。銀行預金にしたら、利息を生んでしまう。働いてしまうのです。だから、札束の現金です。

利息を生んで自己増殖しているからこそ、資産なのです。資産とは、子を産むものです。あるいは、資産とは、キャッシュフローを生むものです。

 このことは、このコラムなどで、繰り返し論じてきました(例えば、7月 1日のコラム「キャッシュフローの現在価値としての資産価値」をご参照ください)。
 ですから、札束の現金は、実は、もはや資産ではない。何も生み出さないから。この実業家、資産を金庫に監禁し、事実上、殺してしまったのです。
 ところで、この小説、素晴らしい結末がついているのです。強盗は、お金を盗み出すことには、一応は、成功します。ところが、追跡をかわすために、小船に乗って海上へ逃げるのです。ちなみに、舞台は、フロリダの海辺の町です。そして、数日後、海に漂う小船の中で、渇きによって死んでいるのを発見されるのです。
 皮肉なのは、巨額な現金を持ちながら、海の上では、水一杯買うこともできなかったことです。現金は、資産ではない、つまり利息を生む力はないとしても、物を買う力、決済手段としての購買力はもっているのです。しかし、絶海に漂う小船の中では、その購買力すら、失っていたのです。
 本来、資産家というのは、本当の意味における職業的投資家なのです。なぜなら、投資が生み出す利息配当金等の運用収益で生活しているからです。もしも、生活の糧を得る手段を職業というなら、資産家の職業は、投資です。
 投資とは、資産を働かせて、収益を得る営みです。資産は、製造業における製造装置であり、酪農業における乳牛です。機械がよく動いて製品をより多く生み出すように、機械を手入れし、乳牛が牛乳をより多く生み出すように、牛の世話をする。それと同じように、資産が、より多くの子(運用収益)を産むように、手入れをする。これが、投資なのです。

資産を働かせるというのは、資産を資本に転化させることです。資本は、投資の元手です。元が子を産むのが、投資です。

 だから、「元も子もなくなるから資産を守れ!」(2009年4月23・30日のコラム)ということになるのです。
 金利は、資産が何もしなくても、資産であること、そのことの理由のみによって、生み出される最低限の資本利潤です。投資の原点です。しかし、資本は、常により高い利潤率を求めて、移動して行きます。それが、資本の本質であり、資本主義経済の本質です。そして、もちろん、投資の本質です。
 ですから、この小説の富豪は、資本を金庫に閉じ込めたのです。資本は、働けないどころか、動くこともできない。資本に罰を与えたのです。この富豪(不動産で富をなしたという設定なんですが)、実に奇怪な反資本主義の哲学者というほかありません。
 一方、資本は、より高い利潤率を求めつつ自己増殖していくと、資本の限界利潤率がゼロに収束していくのではあるまいか、とも思われるのです。マルクス的な問題です。その意味で、日本の長期にわたる極端な低金利の定着というのは、実は、怖いことなのです。資本の蓄積の結果として、資本に働き場所がなくなったということなのですから。

資本は馬鹿ではないから、じっとしていて、死んだりはしないのです。

 日本に機会がなければ、日本の外に出ていけばいい。実際、出て行っているはずなのですが、それをはるかに上回る円の買いがあるのでしょうね、なにしろ、すごい円高なのですから。本当に困ったことです。円高は、日本の資本の蓄積の評価なのでしょうか。この日本に資本の蓄積、その形成に大きな役割を演じたのは、輸出産業でしょう。
 また、話は飛びますが、ハードボイルドに欠かせないのは、私立探偵です。レイモンド・チャンドラーの創り出したフィリップ・マーロウ、ダシール・ハメットのコンチネンタル・オップ(コンチネンタル探偵社の探偵という意味)、ロス・マクドナルドのルー・アーチャーなどは有名です。
 そして、もう一つ欠かせないのは、自動車。ロス・マクドナルドは、ルー・アーチャーを主人公とした長編を、1949年から1976年までの間に、18冊書いたのです。私は全18冊を読みました。お気に入りです。この中にも、たくさんの自動車が登場します。
 もちろん、米国ビッグ・スリーのものが多いのですが、意外とドイツ車も登場します。自動車の選択は、それに乗る登場人物の性格や属性の描写に重要な役割を演じるので、タフな探偵には、それなりの車、金持ちには、また、それなりの車を配するのです。
 さて、日本車なのですが、ロス・マクドナルドの小説で、日本車が登場するのは、私が読んだ限り(ルー・アーチャーものの短編や、その他の長編など、ほとんどを読破しているのですが)、最後のルー・アーチャーもの長編、即ち、1976年に発表された「ブル-・ハンマーThe Blue Hammer」だけです。日本車も、このころにはやっと、米国で、それなりの地位を築いていたのですね。

その車、TOYOTAです。これに乗るのは、駆け出しの若い弁護士。

 私は、なるほど、そうかと思いました。もちろん、金持ちや探偵の乗る車ではなかったのです。それから、34年。日本の自動車産業の努力により、日本車の米国における位置も大きく変わりました。その努力が、ある経済的因果関係により、日本の資本の蓄積と円高に帰着したわけでありましょう。
 それにしても、もしも、ロス・マクドナルドが今も生きていたら、どのような登場人物をTOYOTAに乗せるのでしょうか。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。