企業年金の積立不足

森本紀行
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再び、企業年金の積立不足が深刻な問題として表面化してきました。

 企業年金の資産運用は、1990年4月1日の最初の自由化以来、緩やかに変わっていくのですが、変化が加速するのは、1996年以降です。その1996年10月に、日本経済新聞社が、「年金の誤算」という本を出版します。その副題は、「企業を脅かす巨大債務の危機」というものでした。実は、資産運用の変化の背景には、深刻化していた積立不足があったのです。この本は、その状況を記者が取材して纏めたものなのです。
 1990年代を通じて潜在的に進行していた積立不足の問題が、現実の問題として決定的に企業収益を直撃したのは、退職給付会計が、2000年4月1日より始まる会計年度から適用開始されたためです。企業固有の年金退職金債務について積立不足を認識するだけでも大変なことだったのに、厚生年金基金では、公的年金の代行部分についても、債務評価しなければならないことが、大きな負担となりました。そこで、産業界からの強い要望のもと、2002年4月1日、確定給付企業年金法が施行され、いわゆる「代行返上」が認められたのです。

脇道にそれますが、当時の株式市場では、「代行返上売り」ということがいわれました。

 代行債務に見合う資産を現金化して国へ返すので、その分、資産の売却しなければならない。当時は、日本の株式の組入比率は高かったですから、それなりに大きな影響があったわけです。平成の戦後最長という景気回復期について、政府の公式見解では、始まりを2002年2月においています。ところが、株式市場は、一貫して下げ続け、底を打つのは、2003年の4月です。
 この相場を作った悪役の一人は、間違いなく、代行返上です。しかし、それだけではありません。代行返上後の企業年金基金の多くが、政策的な株式の組入れ比率を引下げたことも、原因でしょう。退職給付会計上の数値の変動を抑制する方向へ、運用の保守化が進んだと見られるのです。株式市場の下落は、企業年金の資産運用を直撃し、一段と積立不足を悪化させることになりました。2002年度は、本当に大きな痛みをともなった、変革の年だったわけです。
 痛みは、資産運用だけの痛みではありませんでした。より深刻な痛みが、加入員・受給者へ及んだのです。積立不足が深刻化すると、年金の財政が危機に陥り、はては破綻します。事実、多くの基金が解散に追い込まれ、残った基金の多くで、給付の減額が行われました。「年金の誤算」が「年金の危機」になったわけです。
 遅くとも1996年には明らかになっていた積立不足問題について、極めて大きな痛みを伴いつつ、最終的な(少なくとも、当時は、最終的と思えた)対策が断行されたのが、この2002年です。そして、2003年以降の投資環境の回復に伴い、2006年には、概ね、問題の山は越えたのでした。

10年です。個人的な問題に、また脱線しますが、私自身の40台の10年なのです。

 長いのか、短いのか、私にはわかりません。間違いなくいえることは、10年の間に、すっかり、変わってしまったということです。企業年金の資産運用も、年金退職金の企業における位置付けも、何かも大きく変わりました。変わったとはいえても、よくなった、と明快にいい切れないのは、この間に失われたものへの愛着があるからだろうと思います。
 1996年当時、私は、企業年金の資産運用のコンサルタントをしていました。超多忙でした。前掲の「年金の誤算」という本にも、当時の私の超多忙振りを伝える自分自身のコメントが載っています。なつかしい。超多忙でしたが、楽しかった。しかし、2002年には、必ずしも、楽しくなくなりました。だから、コンサルタントを廃業しました。思えば、1990年の最初の年金資産運用自由化に合わせて、単身始めた事業、努力して、それなりの社会的位置付けにまで持ち上げた事業ですが、廃業したことについては、当時も今も、何の未練もありません。

さて、話を戻して、10年も掛けて一応は解決したかに見えた積立不足が、2008年の世界的金融危機により、またも大問題になろうとしています。

 資産価格の大幅な下落が原因ですが、もう一つの背景は、現在進められている国際財務報告基準(International Financial Reporting Standards、IFRS、国際会計基準)と日本基準との統一化(コンバージェンス)による影響です。会計基準の変更が、積立不足の企業の財務諸表に与える影響を、大きくするのではないか、という懸念です。
 前回の企業年金の危機のときも、重要なテーマは、退職給付会計の導入でした。そして、もっと本質的なテーマは、日本の人口動態の問題であり、低経済成長の定着でした。現役の加入員が増えない(もしくは減る)のに、年金受給者は確実に増える。制度を作ったときの人的構成の前提が成り立たない。だから、「年金の誤算」といわれたのです。資産運用の悪化は、問題を判りやすい形で、顕在化させただけです。その資産運用環境についても、重要なことは、低成長が超低金利をもたらしたことです。これも、二重の「誤算」です。第一に、高金利を予定していた運用収益の不足、第二に、低い割引率を適用することによる債務評価額の増加です。
 今回の積立不足問題(また危機にならなければよいのですが)についても、どうやら、論点は変わらないようです。ただし、意味は変わりました。今度は、退職給付会計の基準の変更です。年金受給者は増え、今後さらに増えます。掛金収入よりも、給付支出が多くなる状態が、現実化している。差分は、運用収益で払うのですが、その収益が不安定であれば、給付という制度の目的の維持そのものが、不安定になる。いよいよ、給付のための資産運用ということが必要になってきた、まさに、そのときに、資産額が急減してしまったのだから、事態は深刻です。
 超低金利は、完全に定着してしまいました。前回は、金利低下に対応することの移行コストが大きかったのですが、今回は、低金利を前提に将来を見込む限り、低金利自体が問題になることはない。それはそうなのですが、総合型厚生年金基金のように、簡単に低金利を見込むわけにいかない場合も多く、期待運用収益の低迷は、大きな問題なのです。

1996年当時、私は楽しかった、と書きました。それは、困難な問題の解決へ向けて、大きな変革が進行し、その変革の前線で、仕事ができたからです。

 変革が正しかったことは、今も確信しています。しかし、2000年以降の投資環境の悪化は、変革の結果を、危機の打開になるよりも、一時的に危機を深刻化させる方向へ、働かせてしまったのです。その「一時的に」が、社会的に深刻な問題を生んだのは、前述の通りです。もはや、楽しいわけがない。それでも、新たなる危機には、新たなる変革を、という風に、積極的に考えました。その結果生まれたのが、当HCアセットマネジメントです。
 2002年11月創業ですから、もうすぐ7年。また、同じような困難な状況が再帰してこようとは、正直、思いませんでした。しかし、創業の理念に従い、いまこそ、新たなる変革を、と申し上げたい。変革に際しては、過去を振り返るのが有効なのです。その意味で書いたのが、8月6日のコラム「資産運用の本来の目的と「簿価主義・含み益経営の正しさ」」です。また、同じ目的で、9月17日には、「日本の年金資産運用の歴史」というセミナをします。ぜひ、ご参加ください。
 また、これまで、資産運用を根本的に見直す目的で、たくさんのコラムを書きました。そのうち代表的なものは、以下の通りです。あわせて、ご参照いただければ、幸いです。

2008年9月18日「投資の本質と乳牛の値段の関係
2008年10月30日「現金の価値、機会と危機、そして「オポチュニスクティック」ということ
2008年11月26日「鮨屋の定番と、企業年金資産の長期運用の一貫性
2009年4月23・30日「元も子もなくなるから資産を守れ!
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。