ジャパンディスプレイは産業革新機構なしでもあり得たか

ジャパンディスプレイは産業革新機構なしでもあり得たか

森本紀行
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株式会社ジャパンディスプレイは、ソニー、東芝、日立製作所の中小型ディスプレイ事業を統合して、2012年4月1日に発足した新しい会社です。新しい会社ではありますが、この事業分野では、既に世界的に有力な会社です。この事業統合の核になったのは、「官民ファンド」の代表格の産業革新機構、さて、これは「官」ならではの仕事なのか。
 
 安倍首相は、緊急経済対策のなかで、「官民ファンド」に重要な位置づけを与えています。産業革新機構は、一種の投資会社であって、まさに、「官民ファンド」の代表的存在なのです。もっとも、「官民ファンド」とはいっても、投資資金の出所は、ほぼ全て政府ですから、どちらかといえば、「官ファンド」ですけれども。さて、産業革新機構に期待される機能ですが、それは、ジャパンディスプレイの創出によく現われているような気がします。つまり、資本の再編による産業構造の革新です。
 もともと、ソニー、東芝、日立製作所の各社それぞれの中小型ディスプレイ事業は、技術水準や商品の国際競争力の次元において、一定の価値を有していたのだと思われます。しかし、その三つの事業を統合すれば、無駄な重複を排除でき、規模の経済による費用の合理化が実現でき、技術面における相互補完もできて、顧客基盤も拡大できるだけでなく、不毛な価格競争からも脱却できて、商品の付加価値における真の競争に注力できるようになる。
 こうして、国内三社の狭い競争から脱却し、国際的な舞台における競争に注力できる体制を作ることで、日本産業の国際競争力を強化していく。まさに、1+1+1が3よりもずっと大きくなるわけで、これこそが日本産業の革新なのであり、「官民ファンド」としての産業革新機構の機能なのです。
 

しかし、そのような資本再編は、資本主義社会においては、純粋な資本の論理によって実現されるべきものであって、産業革新機構というような政府機関によって行われるのは、明らかに資本主義の理念に反してはいないでしょうか。
 
 理屈のうえでは、その通りなのだと思います。金融の世界では、産業革新機構がジャパンディスプレイの創出に際して演じたような役割は、純民間のプライベートエクイティの運用会社が果たしています。日本ではともかく、少なくとも、米国においては、そうです。実際、産業革新機構が「官民ファンド」と呼ばれるゆえんは、それがプライベートエクイティの投資ファンドに他ならないからです。ただし、資本の出所が、純民間ではなくて、政府であるところに特色があるだけです。
 資本の出所の問題にすぎないとはいえ、資本の再編などということは、資本主義の動力に相当するところですから、そこに政府資金が入ってしまったら、おかしいのではないかという批判は、当然にあり得ることです。資本主義の本質を歪めるものではないのか、政府の民間事業への過剰介入ではないのか、産業革新どころか産業保護ではないのか、などなど、ありとあらゆる論難を受けるであろうことは、政府も産業革新機構も、おそらくは、承知のうえだと思われるのです。
 

批判を承知で、なぜ、産業革新機構ができたのでしょうか。なぜ、それが安倍政権の経済政策の中核に座るのでしょうか。
 
 表題の問いにつきます。ジャパンディスプレイは産業革新機構なしでもあり得たか。おそらくは、あり得なかったのです。ですから、資本主義の原点のような場所においてすら、政府機関である産業革新機構が必要なのです。
 

日本の産業界においては、政府主導によらなければ、資本再編は進まないということでしょうか。
 
 さあ、そこまでいうことには抵抗がありますね。ただ、政府の力でなくてもいいのですが、よほど大きな力が働かない限り、簡単には、大胆な産業界の再編は進まないというのが現実ではないでしょうか。資本主義の建前はともかく、現実は、そうなのではないでしょうか。ジャパンディスプレイ創出に際しては、経済産業省と政府の後ろ盾のある産業革新機構の力が強く働いたであろうことは、想像されます。
 もちろん、日本の大企業といえども、自律的に、事業の再編は進めているのです。特に、最近では、厳しい経済環境も後押しして、再編は加速してきているようです。しかし、産業革新機構がなかったら、仮にジャパンディスプレイが生まれたとしても、それは、ソニー、東芝、日立製作所の各社が中小型ディスプレイ事業を分離したうえで、三社の共同子会社という形で発足したのではないかと想像されるのです。
 現実にできたジャパンディスプレイは、確かに、三社がそれぞれ10%出資していますが、経営関与ができないような少数持分にとどまっています。残りの70%は産業革新機構が握っていて、経営責任が非常に明瞭になっている。ここが、従来型の日本の産業界のやり方と違うところです。
 

なぜ、日本では共同子会社方式になりやすいのでしょうか。
 
 選択と集中というようなことは、いわれて久しいような気がします。しかし、選択と集中を徹底すれば、選択に外れた事業からの撤退も大胆に行わないといけない。問題は、撤退という意思決定が、日本的な経営体質のなかでは、難しいことではないでしょうか。
 ソニー、東芝、日立製作所の三社は、事実上、中小型ディスプレイ事業から撤退したのですが、それでも、完全に撤退したことにはなっていなくて、各社とも、新会社の10%を所有しています。しかし、これは、事実上の撤退です。経営の主導権が、産業革新機構に完全に移転しているからです。
 もしも、産業革新機構がなければ、例えば、各社が三分の一を所有するような共同子会社になったのでしょうけれども、それでも、事実上の撤退には違いなかったのです。しかし、見かけ上は、事業統合であって、撤退ではない。この撤退にならないことが、事業再編のなかの重要な要素になっているのではないでしょうか。おそらくは、撤退ということが事業の失敗と受けとられることを避けたいのでしょう。
 しかし、冷静に考えれば、撤退は、事業の再編にすぎないのであって、失敗ではない。事実、三社の中小型ディスプレイ事業に価値がないということではなかったのです。巨大な三社の多数の事業のなかに埋没していたからこそ、三社のなかでは価値が発現しなかった。それは、三社の内部的な経営問題であって、客観的に中小型ディスプレイ事業に価値がないということではないのです。
 事業再編というのは、まさに、このような状況の打開のためにあるのですから、事業再編に伴う撤退は、失敗した事業、価値のない事業の整理ではない。そもそも、価値のない事業は廃止するしかないわけで、価値があるからこそ、再編の対象になるのです。そこを、冷静に考えたほうがいいですね。
 

なぜ、旧来の共同子会社方式ではいけないのでしょうか。価値があるからこそ、完全には手放せないわけですから、それでいいではないですか。
 
 少しも、いけなくはないでしょう、子会社の経営がきちんと行われるのであれば。共同子会社方式の致命的な欠点は、経営責任の所在が不明確になってしまうことです。事業再編の理由は、事業の価値の問題ではなくて、経営の問題であったはずです。ですから、経営のあり方を変えないと、意味がないのです。そのためには、単なる事業再編では十分ではなく、資本の再編による経営の刷新が必要なのです。
 実際、共同子会社方式の事業再編の事例はたくさんあるわけで、ルネサスエレクトロニクスも、そういう例だったのです。これは、三菱電機、日立製作所、NECの半導体事業を統合して生まれた会社で、典型的な共同子会社方式の事案でしたが、案の定、うまくいかなかったのです。ところが、これも、産業革新機構を中核とする株主連合に大規模な第三者割当増資を行うことで、結果的に、産業革新機構が69%を所有する会社に再編されたのです。
 三菱電機、日立製作所、NECは、新生ルネサスエレクトロニクスの少数持分を持つにすぎなくなり、まさに、完全に撤退したことになります。こうなるなら、最初から、共同子会社ではなくて、完全に資本的に独立した会社として、ルネサスエレクトロニクスを創出しておけばよかったということでしょう。
 ただし、問題は、それだけの巨額な資本を供給できるプライベートエクイティの投資ファンドが、当時も今も、日本にないことです。ゆえに、巨額な政府資金を投じた「官民ファンド」としての産業革新機構が、どうしても必要だったのです。
 

資本の力による経営の刷新こそが、資本主義の核心部ですね。その経営刷新が、政府機関にできるものでしょうか。
 
 産業革新機構は、役人の集合ではなくて、主に民間出身の専門家の集団です。役人であるとか、政府機関であるとか、それは外形の問題であって、内容の良し悪しとは関係がない。要は、結果ですね。ここに、産業革新機構の重責があります。世の批判には、口では応えられない。結果と実績で、産業革新機構の正当性を証明するほかないのです。
 

経営の革新のためには、大きな力がいる。その力は、強い指導力と、強い資金力ですね。その二つの強い力を兼ね備えたものは、今の日本には、産業革新機構しかないということですか。

 日本の現実として、それは認めざるを得ないのではないでしょうか。もっとも、それでいいのかと問われれば、よくないといわざるを得ない。しかし、事実は事実として受け入れるほかはない。安倍首相も、これでいいとはいっていない。あくまでも、「呼び水」といっているのですから。「呼び水」というのは、二つの意味があります。一つは、経営行動の変革を促すことであり、第二は、資金の出所として、純粋な民間資金が流れるようにすることです。
 その意味では、とにかく、ジャパンディスプレイなどの産業革新機構の投資案件の成功を祈念するほかない。画期的な成功事例は、日本の産業界の経営行動に大きな影響を与えると思われます。同様な事案が続々と生まれ、既存の共同子会社方式のものも、完全な資本分離と経営責任明確化の方向へ、急速に再編されることを望みたい。
 そのなかで、難しいのは、資本の調達ではないでしょうか。米国や英国を例にとれば、1980年代の初頭にはじめられた資本市場整備のための金融制度や税制の抜本的改革があるからこそ、今日、巨大なプライベートエクイティの運用会社による純民間の資本再編ができているのです。日本の場合、そのような金融制度改革はできていない。事実として、多数の大規模なプライベートエクイティの投資ファンドを作りだすだけの民間資本の力はないわけです。ここが、政府として、次に早急に工夫しなければならない重要なところでしょう。
 
以上


 次回更新は4月4日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。