信用格付は無用を超えて有害ではないのか

信用格付は無用を超えて有害ではないのか

森本紀行
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社債には信用格付のあるのが普通ですが、格付は参考意見にすぎないので、もともと必須の要件ではなく、むしろ、格付を不要とする環境の整うことが望ましいのではないか。
 
 社債は、有価証券の本質として、そこに付属した情報だけで、投資対象としての価値が評価され得るものです。故に、社債の発行は規制されていて、発行体には、投資家の価値判断が可能になるように、情報の開示が義務付けられ、かつ、開示されるべき情報の範囲は、投資家の合理的な判断形成に必要にして十分なものとして、定められているわけです。
 他方で、発行体は、社債の発行に際して、信用格付業者に依頼して、格付を取得するのが普通です。信用格付業者は規制されていて、金融規制当局の監督下にあるものの、信用格付の内容自体は規制されていません。なぜなら、規制上は、信用格付は専門家の表明する参考意見にすぎないとされるからです。つまり、信用格付は、規制上は、不要なのです。
 
発行体からすれば、信用格付を取得することで、投資家層が拡大し、社債の消化が円滑になると期待しているのではないでしょうか。
 
 信用格付業者は、事業として、社債に対する信用格付の付与を行っているわけで、その費用を発行体に請求しているのですから、発行体としては、何らかの利益がない限り、格付を取得するはずもありません。では、その利益は何かといえば、常識的に考えて、開示情報だけで投資判断を形成できない投資家に対して、専門家の参考意見を提供することで、投資家層の拡大を図ることです。
 つまり、信用格付の付与は、制度上は、参考意見の提供にすぎなくとも、現実的には、投資家の判断に大きな影響を与え得るとの前提のもとで、収益事業として成立しているわけです。しかも、問題なのは、信用格付が影響を与えているのは、理屈上、専門的知見を欠いていて、開示情報だけでは自分自身の価値判断を形成できない投資家、もしくは、自分自身の価値判断形成を省略している投資家だということです。
 
信用格付の利便性によって、社債投資が容易となり、幅広い投資家が市場に呼び込まれるのは望ましいことではないでしょうか。
 
 規制当局からすれば、一方では、投資家層の拡大に資する効果を評価して、信用格付自体を規制しないにしても、他方では、信用格付が投資家の行動を左右する影響力については、深刻な弊害のあり得ることから、注意深く監視せざるを得ないはずです。
 そうした弊害の代表事例は、2008年のリーマン破綻に端を発した金融危機です。この危機の原因とされるのは、信用リスクの大きな住宅ローンを原資産としながら、高い信用格付をもった資産担保証券が大量に発行されていたことで、背景には、格付手法が逆読みされて、格付が高くなるように、資産担保証券の組成がなされていた事実がありました。つまり、危機の原因は、原資産を見ずに、格付だけを見た投資家の存在だったのです。
 また、逆に、多くの投資家が格付を信用リスク管理指標にしている現実のもとでは、格付の引き下げが大量の売却を誘発し、市場の攪乱要因になり得ることも大問題です。
 
信用格付に依存する投資家の行動を相殺するものとして、信用格付業者と同等、もしくは、それ以上の専門的知見を備えた投資家の役割があるのではないでしょうか。
 
 理論的に、社債投資の専門家である投資運用業者にとっては、自らの調査分析力で独自の投資判断を形成している以上、参考意見としての信用格付は不要であって、逆に、信用格付との見解の不一致こそ、付加価値源泉になっているはずです。なぜなら、信用格付を基準に行動する投資家の存在が社債価格の変動をもたらすことによって、信用格付を見ない投資家は、より高く売り、より安く買う機会を得るからです。
 つまり、社債市場においては、信用格付に従う投資家の集団と、信用格付にとらわれることなく独自に投資判断をする投資家の集団とがあって、両集団が対峙することで、社債の価格形成がなされていると考えられるのです。このとき、両者の力が拮抗していれば、市場は効率的となる、即ち、価格の適正性が維持されるわけです。
 しかし、既に、2008年の金融危機が示しているように、信用格付に従う投資家の力の優越は、否定し得ない現実です。背景には、社債市場においては、金融機関が投資家として大きな役割を演じていて、金融機関は、総じて、信用格付に基づく類似した信用リスク管理手法を採用していることがあります。こうした現実は、実は、社債市場の効率性に対して、重大な疑義を提示するものなのです。
 
市場の非効率は、専門的知見をもつ投資家にとって、有利な機会を提供するものではないでしょうか。
 
 非効率とは、価値と価格との不一致のことで、英語でバリュー(value)という言葉は、本来は価値そのものを意味しますが、投資の世界では、価値よりも価格が低いときに、その差を表現するものとして使われています。投資の機会とは、非効率な価格が効率化する過程、即ち、価値に一致していく過程にあるのであって、バリューは、解消することによって、投資の利益になるわけです。
 しかし、バリューについては、バリュートラップ(value trap)があり得ます。トラップは罠で、バリューの解消しない事態、即ち、非効率な状況の継続する事態が罠に喩えられているのですが、信用格付に従う投資家の力が優越する社債市場では、バリューは解消せずにトラップに陥りやすいばかりか、逆に、バリューが拡大してしまうことすらあると考えられます。
 
では、社債市場では、専門的知見は活きないのでしょうか。
 
 バリュートラップは、社債市場では、株式市場におけるほどには深刻な問題にはなりません。なぜなら、社債には満期があるからです。つまり、満期償還になれば、自動的に、バリューは解消するわけです。この社債に満期のある事実は、自明で無意味のようではありますが、実は、社債投資にとっては、決定的に重要なことなのです。
 
より重要なのは、信用格付のもつ影響力を低下させることではないでしょうか。
 
 社債における本質的問題は、多くの投資家にとって、信用格付は、参考意見以上のものであり、投資判断の基準そのものとして機能していることです。そもそも、資本市場の効率性は、相互に独立した多数の投資家が自己固有の判断に基づいて売買することによって、実現するものです。こうした投資家は経験、知識、投資目的などが相互に異なっていて、その投資家の多様性こそが市場原理を支えるものなのです。
 そこに、いかに専門家の意見とはいえ、信用格付が支配的見解として通用することは、市場原理に反しています。しかし、規制の盲点があって、参考意見は規制され得ず、また、投資家が参考意見を利用する方法も規制され得ず、ましてや、規制によって、投資家が信用格付に基づかない独自の判断を形成するように、強制することもできないのです。
 
利益誘因の問題でしょうか。
 
 社債の発行体にとって、信用格付を得ることには、社債の消化を円滑にするという効用があるわけですが、発行費用を増加させるという不効用もあり、また、より高い格付を得るためには、信用格付業者の格付手法に合わせて、経営指標を維持しなければならず、それが経営の拘束にもなっています。
 そこで、アメリカでは、無格付社債を発行する企業も少なくありませんが、専門的知見を有する投資運用業者にとっては、無格付であるが故に割安ならば、それでいいわけです。こうして、格付の有無は、社債の価値に影響を与えないのに、価格には影響を与えますから、バリューを創造してしまうわけですが、そのバリューを発行体と投資家とで分け合うところに、無格付社債の存在意義があるのです。
 
全ての社債が無格付になったら、どうなるでしょうか。
 
 現状、社債に関する高度な専門的知見をもつ投資家は、信用格付が不自然に創造する機会に投資していますが、信用格付がなくなれば、他の投資家と専門的知見を競うだけのことで、むしろ、そうした知的競争の状況こそ資産運用の自然な姿なのですから、要は、単に、自然に還るだけのことです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
責任なきところ投資成果なし (2017.11.16掲載)
専門家だから責任を負う、責任を負うから成果につながるという、エンダウメント・モデルを考えれば、信用格付に投資判断を丸投げし、責任を放棄することが成果に結びつかないことは容易に想像できます。

インカムと時間とキャピタルストラクチャ (2010.2.10掲載)
投資の原点は事業への投資であり、事業または裏付けとなる資産の価値を計ることでその投資対象の価値も計ることができます。サブプライム問題では信用格付のあり方が問題視されましたが、いかに工夫を凝らしても、その価値のない原資産から創出される社債等に、投資価値は生まれ得ないということです。

リスクテイクを徹底すれば投資で損をしないのだ (2022.6.30掲載)
投資におけるリスクは価値棄損のリスクであり、ボラティリティなどに惑わされることではありません。信用格付も同様に考えることができ、格付変化による価格変動があっても本源的価値を冷静に見極めることで、投資機会を見出すことができます。
(文責:岸野)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。