投資と事業経営の優劣を決するのは資金調達力だ

投資と事業経営の優劣を決するのは資金調達力だ

森本紀行
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事業経営に資金は不可欠ですが、必要なときに必要な資金を確実に調達できれば、手元資金を最小化できて、経営効率が高くなります。要は、経営能力とは、資金調達力に集約されるのではないか。
 
 国家であろうが、民間企業であろうが、いかなる事業主体にとっても、事業経営に資金は不可欠であり、その資金の調達が困難になれば、確実に経営危機に陥るわけであって、金融危機と呼ばれる事態は、金融機能の提供が一時的に停止することにより、多くの事業主体において、同時並行的に、資金調達が困難になることなのです。
 金融危機においては、資産価格の大幅な下落が生じます。なぜなら、金融機能が停止するなかで、事業者としては、資産売却によって資金調達せざるを得ないからです。このとき、当然のことながら、売却され易いのは換価性の高い債券や株式等の有価証券であり、多くの事業者が同時に有価証券を売却すれば、その大幅な価格下落は避け難いわけです。
 金融機関においては、大量に保有する有価証券の価格下落が評価損を生じさせ、それが自己資本の減少につながるので、維持可能な信用リスク総量が急減して、金融機能の提供が困難になるばかりでなく、社債等を売却せざるを得なくなり、更なる有価証券の価格下落を誘発して、一段と自己資本が減少していきます。この悪循環においては、有価証券の価格下落は、金融危機の原因なのか結果なのか、判然としなくなりますが、この混沌とした状況こそ金融危機の本質なのです。
 
危機とは、実は、極めて割安に有価証券を買える好機ではありませんか。
 
 資金調達を必要としないもの、即ち、既に現金を手元に保有するものにとって、金融危機は、株式や債券を著しく低価格で取得することのできる絶好の機会です。投資の格言に、現金は王様というのが古くからありますが、これは、大小様々な危機的状況が常に生起することを前提にして、現金保有こそが投資の機会をとらえるための基本戦略だという意味です。
 しかし、一般に普及している投資理論に従う限り、現金は最も期待収益率の低い資産として、その保有の最小化が基本とされるので、投資家は、価格の下がった投資対象を買うためには、価格の下がった保有資産を売却して購入資金を作らなければならず、相対的に下落幅の小さいものを売却し、相対的に下落幅の大きいものに買い替える程度の戦術しか実行できません。
 
投資理論に再考の余地はないのですか。
 
 現金を保有することは、非危機的状況、即ち、正常な状態における投資の機会を放棄することによって、機会損失を発生させますが、その損失の対価として、危機的状況における極めて有利な投資機会に参画できる権利を得ることになります。故に、理論的には、平常時における機会損失の期待額と、危機時に得られる利益の期待額とは、等価になるはずで、その等価性を解くものこそ、オプション理論なのです。
 しかし、理論的なことは、必ずしも現実的ではありません。理論的な等価性を求めるためには、危機の生起確率と、危機時における有価証券等の価格の期待下落率を求めなければなりませんが、それが実務的に不可能であることは、試してみるまでもなく、明らかだからです。故に、一般に普及している投資理論の優位が動かないのです。
 
資金を借入れて投資できないのでしょうか。
 
 資産価値を担保にして資金を借入れることは可能です。例えば、総資産価値の60%が借入れ上限にされているとし、危機において、全ての資産が平均的に70%に減価したとすれば、危機以前の資産価値の42%の資金を借入れることができます。その資金を用いて、価格が30%下落しているものに新規投資し、危機終了後、全ての資産が平均的に元の価格に戻るとして、危機時に取得したものを全て売却して得られる利益は、総資産価値の18%になります。そこから、金利を支払ったとしても、非常に大きな収益が得られるわけです。
 しかし、問題は、金融危機のさなかに、資金の借入れは不可能だということです。そもそも、金融機能が停止している、即ち、金融機関の貸す能力が停止しているからこそ、金融危機なのです。そこで、中央銀行の出番になるわけです。
 例えば、2008年の金融危機に際して、米国の中央銀行は、投資家や金融機関に対して、資産担保融資の巨額な枠を設定することで、資金供与を行いました。中央銀行としては、資産価格が早期に上昇に転じたことで、危機脱出の目的を達したわけですが、実のところ、中央銀行が資金供与を発表しただけで、資産価格は上昇に転じて、融資枠の多くは利用されなかったのでした。
 
事業経営においても、危機は、企業買収、事業買収、様々な資産の取得において、極めて有利な条件を得られる絶好の機会ですね。
 
 何らかの方法で、危機において資金調達できれば、それも大きな金額を調達できれば、極めて有利な価格で様々なものを買収できるので、しかも、平時においては決して買収し得ないものも買収可能になることがあるので、事業経営の展開力は著しく大きくなります。おそらくは、事業経営の要諦は、危機において、いかにすれば資金調達できるのかという難問に答えることなのです。
 
危機に先立って、平常時に、借入れできる権利を確保しておけないのでしょうか。
 
 危機において借入れる権利は、非常に有利な投資機会を現実化できるものとして、大きな経済的価値をもちますから、その取得には、当然に、手数料の支払いを伴います。この手数料を合理的に算定するためには、オプション理論を用いて、権利を行使して得られる利益の期待額との間にある等価性を求めなければなりませんが、現実は理論から遠く隔たっていて、その算定は不可能ですから、危機に行使できる借入れる権利は実用化され得ません。
 
コミットメントラインが実用化されているはずですが。
 
 コミットメントラインとは、銀行等が事前に一定の融資枠を設定し、その範囲内であれば融資に応じることで、手数料を徴収する契約です。この契約においては、手数料と債務者の得る利便性の経済価値との間に等価性があるわけですが、等価性は、融資条件に様々な制約を付さない限り、算定可能にならないはずですから、危機的状況には、当然のことながら、適用され得ないのです。
 
危機において、逆に、自らの事業価値が上昇すれば、何らかの資金調達が可能になりませんか。
 
 現金と国債は、国家の信用を背景にして、危機においても価値が下がりませんし、国債は、金融規制において信用リスクのない資産とみなされることや、安全性を求める資金が流入することを背景にして、逆に、多くの場合、価格は上昇します。故に、国家は、危機においても、資金調達に全く不都合を生じないので、金融政策にしろ、財政出動にしろ、危機対応の施策を展開できるわけですが、この国家の特殊な地位は、国家に固有のもので、いかなる民間事業者も決して得ることはできません。
 しかし、危機からの脱却過程においては、政府の危機対応の施策によって、金融機関の貸す能力が急速に回復してきますから、事業の収益構造が危機の影響をうけにくいなど、危機に対する強い耐性をもつ事業者にとっては、より早く資金調達が可能になってきます。まさに、ここに、限られた事業者にとっての勝機が生じるわけですが、この一瞬の勝機をつかめる事業者は、更に限られるということです。
 
決断力が全てですか。
 
 事業経営における危機対応は、防衛よりも攻撃にこそ重要な意味があるのだと思われます。つまり、危機において急に即時の経営判断ができるはずもなく、平時において事前に様々な選択肢が周到に検討されているからこそ、危機において即時の決断と速やかな行動が可能になるということです。
 これは資産運用にも当てはまることで、一般の投資理論に従う限り、危機時には何らの行動もなし得ないわけですが、危機からの回復過程において、投資の機会を適切にとらえるためには、平時において、様々な投資戦略の可能性を検討しておく必要があるのです。
 
売却規律ですか。
 
 一般の投資理論のもとでは、何かを買うためには、何かを売らなくてはなりませんから、必ず売りが先行します。つまり、投資においては、売ることが買うための資金調達なのです。売却規律とは、いかなる環境においても、その環境のもとで売るべき最適の対象が特定されていることであって、売却規律が徹底されているからこそ、適時に適切な投資行動が可能になるわけです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
現金の価値、機会と危機、そして「オポチュニスクティック」ということ (2008.10.30掲載)
金融危機下のように資金調達が困難な状態では、「売らざるを得ない」相手から資産を買うには現金を手元に持っておく必要があります。現金は最も低いリターンの運用方法と認識されていますが、金融危機においては買う力を増すという意味で、別の魅力があります。相対価値でなく、絶対価値評価のもとでは、市場自体が割高になれば現金化することはオポチュニスティックな運用ともいえるのではないかと述べています。リーマンショック当時に書かれたコラムになりますが、金融危機時における現金の価値について論じたコラムです。

市場型リスク管理の限界 (2009.11.12掲載)
資産運用の世界では、市場で必要なリスクを買い不必要なリスクを売ることができる、市場の流動性を前提とした市場型リスク管理が資産管理の本質とされてきましたが、リーマンショック時には市場で売ることができず、市場型リスク管理の根底が揺らいでしまいました。リーマンショック時はABSが深刻な問題を引き起こしましたが、ABSはなぜ売れなくなったのか、市場型リスク管理が機能する条件とは何かについて論じています。

市場機能を支えるリレーションシップ型リスク管理の意義 (2009.11.19掲載) 
市場型リスク管理は「リスクを売るリスク管理」ですが、リレーションシップ型リスク管理は、リレーションシップ(社会関係性)の中で、逃げない、即ち、売らない前提での、「リスクをとるリスク管理」です。市場参加者がリスクをとるということは市場機能の維持に不可欠で、価格変動ではなく資産の本源的価値の評価に立脚した投資行動をすることがプロフェショナル・サービスとしての資産運用業だと述べています。
(文責:酒見)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。