市場型リスク管理の限界

森本紀行
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市場型リスク管理というのは、市場におけるリスク資産の売買によるポジション調整を前提にしたリスク管理、即ち、「リスクを売るリスク管理」です。

 もはや、自明すぎて、改めて考え直すこともなくなったことなのですが、資産運用の世界では、市場の存在を前提にしていて、市場から必要なリスクを買い、市場で不必要なリスクを売ることを通じて、自己のポートフォリオの最適性を維持することが、資産管理の本質と考えられてきました。つまり、市場型リスク管理こそが、リスク管理であったわけです。
 ところが、今回の世界的金融危機は、この自明視されている前提に対して、再考の必要性をせまっています。いうまでもないのですが、市場型リスク管理では、買うほうはともかくも、売ることができなければ、リスク管理が成り立たないのです。今回、売れない、といことが現実化したのだから、リスク管理の根底が揺らいでしまったのです。
 売れない、というのは、第一に、圧倒的に売り方優勢で、需給均衡せず、仮に売れても極端に低い価格になってしまうということ、第二に、資産の本源的価値の評価が困難になって、市場での値付けができなくなるということ、この二つの問題をいうのです。
 第一の問題は、グローバル化の一つの帰結で、世界中の金融機関が、構造的に同質なリスク管理方針の中で、同一方向への投資行動を行いがちであることに起因します。金融機関以外の機関投資家についても、運用管理スタイルのグローバルな同質化の傾向があり、問題をより深刻化させているとみられます。
 第二の問題は、複雑な仕組みの資産担保証券ABS Asset-Backed Securities)において、原資産価値の変動が証券価値の変動に跳ね返る影響です。一つの原資産のプールを担保に、複数の権利区分された証券(いわゆるトランチ tranche)を発行するのが普通なので、原資産の価値変動に対して、個別証券(特に下位のトランチ)の理論価値変動が著しく大きくなる場合が多いことが、問題なのです。今回の金融危機のように、原資産価値が大きく変動し、原資産価値の測定自体も容易でなくなると、もはや、各トランチ間の相対理論価値などは、ほとんどの市場参加者にとって、全くわからなくなってしまうのです。そうなれば、市場は機能しません。価値のわからない証券に、値が付くわけなど、ないのです。

そもそも、証券とは、券面に織り込まれた情報を基準にして売買されることを基本とする、金融取引の仕組みなので、本源的価値の安定と、変動の予見可能性(つまり、価値変動をもたらすような情報の完全開示)が、絶対必要要件です。

 しかるに、明らかに、一部のABSは、要件を欠いているのです。
 市場型のリスク管理を行うためには、その技術的方法論を緻密に論じる前に、そもそも、市場型リスク管理が機能する範囲の中でしか運用してはいけない、という絶対条件を充足しなければならないのです。危機の経験を踏まえて、改めて、市場型リスク管理が機能する基礎的条件、つまり、市場型リスク管理の限界を、検討しなければならないのです。
 市場型リスク管理の限界といっても、要は、売れる条件、ということに帰着するのですが、売れる条件といえば、上の議論から明らかなように、証券の保有主体が偏らずに分散していることと、証券属性の安定性と予見可能性に、つきます。
 例えば、日本の公開株式市場は、どうでしょうか。持合いの解消とグローバル化が、保有主体を分散化させていますし、四半期ディスクロージャーは、株式価値の予見可能性を高めている(一方で、長期的経営ビジョンが見えにくくなるという批判は、あるかもしれませんが)と、思われます。一方で、日本の国債は、どうでしょうか。保有主体の顕著な偏りが気になりますね。このあたりについては、前回のコラム「日本の国債の投資価値」で、論じておきましたので、ぜひ、ご参照ください。

米国の社債市場に投資するならば、その広大な市場の全体が、つねに基礎要件を充足するとは限らないことに、留意しなければなりません。状況によっては、売れない可能性の高い証券も、たくさんあるのです。

 例えば、広くABSに分類されるエージェンシ-・モーゲージ(Agency Mortgage)などは、高度に標準化された高品位の証券であって、属性も安定している。一方、サブプライムのようなものは、属性変化の予見が困難です。普通社債でも、一方の極で、上場企業の発行する高格付け短満期債などは、属性が非常に安定しているし、属性変化の予見可能性も高い。しかし、他方の極で、非公開の発行体の低格付け中長期債ということになれば、リスクが大きいという論点以前に、リスク管理可能性自体が揺らぐ場合もある、ということになるのです。
 いま、「リスクが大きい」という表現を用いました。この、リスクの大小ということも、曖昧な概念です。おそらくは、厳密に考えていくと、リスク管理可能性との対比で、はじめて「大小」がでてくるのだと思います。そもそも、どんなに小さなリスクでも、管理できないリスクは、とってはいけないからです。これは、当然ですね。
 リスク管理能力といいましても、基本中の基本は、リスク管理可能性に関する判断です。その判断にも、それなりの知見と経験がいる。この基礎的なリスク管理能力の大小が、特定の市場環境におけるリスク管理可能性の大小、つまりは、その環境下における投資できる範囲の広狭を決める、ここが重要な論点なのでしょう。

実のところ、証券運用は、市場環境と、個別銘柄の価値評価と、その銘柄を選択する技術に帰着します。先ほど、複雑なABSの問題性を指摘しました。

 このことは、いつも、全ての複雑なABSに投資できない、ということをいっているのではありません。逆に、状況によって、個別銘柄のレベルで、投資できる人だけが投資できる、といっているのです。
 わかりにくいものは、本源的価値があったとしても、不当な廉価で叩き売られる場合があります。そこに、投資機会があることは、間違いありません。ABSの原資産プールの評価にまで遡及し、トランチ構造を解析した上で、個別証券の価値評価をできる技術を持った運用者(弊社の徹底したリサーチによっても、そんなに多くは、見つけられないです)、つまり、リスクを管理できる運用者には、大きな投資機会なのです。低格付社債についても、同じことです。発行体そのものに関する徹底した分析に基づけば、人が買わないが故に不当に安い社債を買える機会もあるのです。
 買ったものを売れるか、という点については、もちろん、売れるでしょう。市場機能の循環的変動を考えてください。今回の危機でも、最悪期をすぎれば、流動性は急激に回復してきます。なぜなら、売り一方の需給不均衡も、いつかは均衡に向かい、証券属性の急変が一段落すれば、それなりに、価値評価が可能になってくるからです。危機は機会というのは、真理なのです。

もしも、今回の危機の初期段階で、「売れなくなるリスク」を理由に、一群のABSを売却し、危機回復の初期段階で、本源的価値と「売れる可能性の回復」を理由に買い戻したとしたら、理想的な運用になっていたでしょう。

 もちろん、後講釈です。しかし、もしも、資産運用の技術ということをいうならば、理想を目標にするしかない。
 そのためには、市場機能そのものが変動するという前提で、市場機能との関連における市場型リスク管理のあり方を、再考することが必要です。さらには、市場型ではないリスク管理の方法論にも、目を向けなければならないと思います。
 実は、このコラム、「市場型リスク管理の限界とリレーションシップ型リスク管理」というタイトルで書き始めたのですが、後段の「リレーションシップ型リスク管理」へ到達する前に、一回分の紙幅が尽きてしまいました。
 ちなみに、もとの冒頭の書き出しは、「市場型リスク管理というのは、市場におけるリスク資産の売買によるポジション調整を前提としたリスク管理、即ち、「リスクを売るリスク管理」ですが、リレーションシップ型リスク管理は、リレーションシップ(社会関係性)の中で、逃げない、即ち、売らない前提での、「リスクをとるリスク管理」です」となっていたのです。
 次回は、この「リスクをとるリスク管理」としての、リレーションシップ型リスク管理を論じたいと思います。


森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。