成仏できそうもない金融機関の変態的顧客本位

成仏できそうもない金融機関の変態的顧客本位

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
金融界では、顧客本位は儲からないとされますが、世の常識として、顧客本位こそが持続可能性のある利益の源泉なのですから、世の常識は金融の非常識であって、金融も非常識な形態において顧客本位になっているはずです。
 
 世のなかには、儲けることは悪徳であり、儲けないことが美徳であると考える人もいるでしょうが、そういう人も、事業経営においては、儲かることが美徳であり、儲からないことは悪徳であることに反対できないはずです。なぜなら、儲けることが悪徳だとしても、それは儲かることとは異なっていて、事業者は、社会的な付加価値を創造する限り、結果的に儲かる、即ち、価値創造に要した費用に加えて、投じた資本に見合った利潤を必ず回収できるからです。
 
成仏理論は誤りなのですね。
 
 司法制度改革によって、2004年4月に68校の法科大学院が開校し、2006年5月に最初の新司法試験が実施されるのに先立って、雑誌「法学教室」は、2006年4月号の巻頭に、「成仏」という表題の小論を掲げました。筆者は、当時、東京大学法学部教授であった高名な高橋宏志氏です。
 改革の一つの柱は法曹人口の拡大でしたから、「成仏」には、「食べていけない新人法律家が一定数出ると予想する」として、「人々の役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。その上に人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できるというものであろう」と書かれていました。これが弁護士の世界では非常に有名な成仏理論の原典です。
 しかし、優れた法学者も経済理論には疎いようで、真に「人々の役に立つ仕事」をする限り、そこに社会的価値の創出があるわけですから、単に「人々から感謝される」だけではなく、経済の合理性として、「飢え死にすることはない」どころか、実現した価値に応じた所得があるはずです。つまり、儲かるはずなのです。
 
役に立つ弁護士は自然に儲かるとして、儲けようとする弁護士は儲からないのでしょうか。
 
 儲けることにおいては、儲けが目的となっていますが、儲かることにおいては、儲けは結果です。結果的に儲かることについて非難されないのは、社会的付加価値の創造が事業活動の目的になっているからですが、儲けることを事業活動の目的とすれば、批判を免れません。しかし、それは、世論が古風な道徳臭を放っているからではなく、儲けることを目的とする事業構想には持続可能性がないからです。
 近江商人の三方よし、もしくは顧客本位というのは、道徳なのではなくて、事業目的を社会的付加価値の創造、「成仏」の表現を使えば、「人々の役に立つ仕事」とすることにより、持続的に儲かる仕組みを構築することです。あるいは、真の商業道徳において、儲けようとするなと説くことは、道学先生の説教なのではなくて、儲けようとして、実際に儲け得たとしても、儲けは持続しないという意味にすぎません。
 
儲けようとしないで、実際に儲かっていない弁護士は、役に立っていないということですか。
 
 少なくとも事業経営においては、社会的付加価値を創造すること、即ち、世の役に立つことが善で、世の役に立たないこと、即ち、価値を創造できないことが悪なのですから、儲けようとしないことが善であるためには、何らかの価値が創造されなければならず、価値が創造される限り、結果的には儲かるはずです。
 つまり、事業経営においては、儲かっていることが社会の役に立っていることの指標なのですから、儲けようとしていないにしろ、儲けようとしているにしろ、事実として儲かっていない弁護士は、世の役に立っておらず、役に立っていないから、儲からないのです。
 
儲けようとしないことは、多くの場合、自分勝手な自己満足なのですね。
 
 儲からない弁護士は、いい仕事をしているのに社会は認めてくれないとの不満をもっているはずですが、それは自分本位な勘違いであり、あるいは、「成仏」がいうように、「喜んで成仏できる」との悟りの境地にいるのだとしたら、それは自分本位な自己満足です。
 特に、この自己満足は、儲からなくても社会的意義が高いことをするという高邁な理念を掲げる事業家に共通のものですが、事業である以上は、儲からないのは、社会的意義がないからで、それを無理に継続すれば、自己満足は益々高くなり、自己犠牲の陶酔にすら陥るでしょうが、当然に、どこかで社会に迷惑をかけることになります。
 顧客本位とは、こうした自分本位な勘違いや自己満足を是正するものにほかなりません。
 
金融庁が金融機関に顧客本位の徹底を求めるのは、どういう理由からでしょうか。
 
 もはや明瞭ですが、金融庁のいう顧客本位の徹底とは、儲かる仕組みを作れという意味です。事実、金融庁は、顧客本位だけではなく、持続可能性のあるビジネスモデルの構築も求めていて、これらが同じことの二つの異なる表現であることは明らかです。しかし、理屈上は明らかなことでも、実感をもって受け入れられるかは別問題で、金融界には、顧客本位は儲からないという意見が根強くあるのです。
 
金融では、悪いことをしないと儲からないということですか。
 
 金融庁が顧客本位といったとき、投資信託の販売手数料が大きな問題となっていました。つまり、個人投資家の味方を自認する巷の評論家は、口を揃えて、販売手数料は提供されている役務の内容に比して不当に割高であり、投資信託の販売の実態は手数料稼ぎのための回転売買であるとの金融機関悪者論を展開していたわけです。
 それに対して、金融機関は、短絡的にして極めて愚かな反応として、顧客本位を著しく矮小化して、投資信託の販売手数料の引き下げ問題ととらえ、事実として、引き下げを行うことで、金融機関自身の自己評価としても、悪者論を認めてしまったのです。
 しかし、これは異常な事態というほかなく、金融庁として、監督下の金融機関について、悪者論を許容できるはずもなく、顧客本位の名のもとで意図したことは、手数料稼ぎで儲けようとしても持続可能性のないことに対する注意喚起だったのです。故に、金融機関の正しい反応としては、顧客が喜んで販売手数料を払ってくれることで、結果的に儲かるように、提供する役務の高度化に努めるべきだったわけです。
 
儲かる仕組みとしての顧客本位について、金融庁に具体的な施策があるのでしょうか。
 
 儲かる仕組みを考えることは、金融庁の機能の埒外であり、そもそも、役人が考えた儲かる仕組みは儲かるはずもなく、金融庁の仕事は、金融機関が考えた儲かる仕組みに対して、必要な支援と指導を行うことにすぎないのです。しかし、金融の常識は世の非常識であって、金融機関は、金融庁の施策のなかに、儲かる仕組みとしての顧客本位を読み解こうとするので、非常識を超えて、滑稽の極みに陥るのです。
 
金融庁の施策を読み解くから、顧客本位は儲からないことになるのですか。
 
 顧客本位はビジネスモデルであり、金融の全ての領域を含むのですが、例えば、金融庁が融資先企業への経営支援の重要性を強調すると、地域金融機関は、採算を度外視して地域経済のために貢献しろという意味に解するので、顧客本位は儲からないという反応になります。更には、儲からなくとも、社会的責務として顧客本位に徹するという悲壮な決意になるのですが、これぞ自己満足のもとの似非顧客本位にほかなりません。
 金融庁は、持続可能性のあるビジネスモデルとして、顧客本位の重要性を強調しているのであって、投資信託の手数料稼ぎも、自己満足の顧客支援も、ともに持続可能性がないという意味では、顧客本位ではなく、そもそも、金融庁の施策以前の問題として、事業の常識に反しているのです。
 
では、金融機関は、どこに真の顧客本位を見出すべきでしょうか。
 
 金融機関は、事業の常識に反したことに注力していても、なぜか存続できているわけで、その事実の裏には、強固な事業基盤があり、事業基盤が強固なのは、何らかの特異で非常識な形態において、顧客本位が貫徹しているからだと考えるほかありません。故に、金融庁の施策に顧客本位を求めるのではなく、自分の足元の顧客本位の秘密を解明することで、金融庁には見えない顧客本位が見えてくるはずです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
弁護士はフィデューシャリーとして喜んで成仏すべきか (2016.4.21掲載)
フィデューシャリー・デューティーの中核は顧客本位の業務運営とその役務への合理的報酬にあり、役務を果たす限り、正当な所得があるはずです。弁護士を例に挙げ「成仏理論」が経済の合理性に適わないことを指摘しています。

金融界よ、法令遵守の迷妄から目覚めよ (2017.8.3掲載)
法令遵守は最低限の要件に過ぎず、形式的な法令遵守は弊害をも生じさせてしまいます。金融機関が企業価値を成長させるには、顧客との共通価値の創造のため、顧客に寄り添った創意工夫が必要であると論じています。

金融のフィデューシャリーを目指す働き方改革 (2017.10.26掲載)
顧客本位の実践の主体は金融機関内の顧客に接する個々人であり、この実践が進むことで表層的な顧客本位を掲げる組織への改革が進み、金融制度の根本的な構造改革や働き方改革へと繋がっていくことを論じています。
(文責:長澤)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録  
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。