昔のデパートの食堂のような投資信託の未来

昔のデパートの食堂のような投資信託の未来

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
金融庁は、金融機関に対して、顧客本位の徹底を求めていますが、古来、商業の基本が顧客本位であることは世の常識ですから、常識を説くことが斬新な施策になるということは、世の常識は金融の非常識なのでしょうか。
 
 金融庁は、重要施策として、顧客本位の徹底を金融機関に求めているのですから、顧客本位を顧客の利益に適うことと解する限り、金融機関の行動には、顧客の利益にならないものや、顧客の利益に反するものがあり、しかも、それが個別の金融機関における例外的な逸脱事象ではなく、金融機関全体に一般的に観察される傾向であるとの現状認識を表明しているわけです。
 この施策は、顧客の利益を守ることが金融機関を監督する金融庁の使命なのですから、さも当然のようではありますが、そもそも、金融規制自体が顧客の利益を守るように設計されているはずなのであり、金融庁の現状認識は、それが機能していないことを自認するものとして異例であって、生真面目な金融庁ならではのことなのです。
 
規制によっては、規制の目的を実現できないという矛盾ですね。
 
 金融庁が初めて顧客本位を施策に掲げたとき、金融界の大多数は投資信託の販売実態の是正策だと受け止めたと思われます。背後には、顧客本位に反する代表的な事例として、不適切な投資信託の販売があったのです。
 例えば、高齢者を対象に、年金を補完するものとして、分配金の表面的な水準の高い投資信託が大量に販売されていたわけですが、その投資対象は、金利の高い低格付社債や高金利通貨等の著しく投機的色彩を帯びたものだったのです。しかも、より深刻な問題として、そこには、法令違反の事実は皆無で、法令違反の可能性を疑わせる事案すら極めて僅かしかなかったのです。
 つまり、法令等は、販売手続きを厳格に規制できても、それが形式的に遵守されている限り、販売される投資信託の品質に関しては、規制しようもないということです。要は、飲食店の衛生管理は厳重に規制できても、そのことによっては、味はよくならないのです。
 
味をよくするのは競争ではないでしょうか。
 
 飲食店が味を競うのは、美味しくなければ商売にならないからであって、それを顧客本位の実践だと考える飲食店など、あるはずもありません。しかし、そこは、金融の常識、世の非常識であって、金融庁は、美味しい投資信託の提供をもって、ことさらに、ビジネスモデルの構築といい、顧客本位の実践というわけです。
 そこで、金融庁は、規制が無力である以上、そして、顧客本位がビジネスモデルである以上、規制の強化として顧客本位を推進するのではなく、顧客本位の実践を金融機関自身の自主自律に委ねて、顧客本位に反しているかどうかの審判は、金融庁が下すのではなく、美味しい店は栄え、不味い店は淘汰されるように、顧客の選択行動が下すという仕組みを採用したのです。
 
表向き、多数の金融機関が競争しているようにみえますが、金融庁は競争原理が働いていないとの現状認識をもっているのでしょか。
 
 金融機関は、ラーメン屋ほどではないにしても、過剰ではないかと思われるほどに多数あって、激しい競争を繰り広げているようにみえます。しかし、奇怪なことに、投資信託の販売について、味の違いによって業績に差がつくという現象は全くみられないのです。この事実は、規制が機能しない事実と並んで、金融庁を大いに困惑させるものだったに違いありません。
 さて、競争がないから競争による品質の改善がみられない、故に、競争を促すことで品質の改善を図る、この金融庁の戦略は正しいとしても、ラーメン屋なら必ず味の競争が起きて、そこに理屈も施策も必要ないのに、投資信託については、なぜ味の競争が起きないのか、この難問について答えを用意しておかない限り、金融庁の施策が功を奏することはありません。
 
なぜ競争が起きないのでしょうか。
 
 金融庁の仮説は、情報の非対称性です。ラーメンの味は食べたら直ちにわかります。しかし、投資信託の場合、収益率の差はラーメンの味の違いほどに明瞭のように思えますが、実際には、測定期間を変えれば順位は大きく変動しますし、多種多様な投資対象や投資手法があるなかでは、単なる収益率の差は、ラーメンと寿司の違いになってしまって、味の優劣としては意味をなさないという事情があります。
 そこで、金融庁は、見える化と称して、統一的に比較できる指標を工夫しているほか、各金融機関に対して、自分の味のよさを自分自身の創意工夫によって顧客に訴えるように促しているわけです。要は、味の競争以前の先決問題として、味のよさを訴えることの競争を促すということです。
 
本当に、情報の非対称性だけが原因でしょうか。
 
 顧客が味覚音痴だから味の競争が起きないと考えている人は、少なくないどころか、投資教育を熱心に語る人の多くは、そう信じているに違いありません。しかし、顧客本位という以上は、顧客の味覚の正常さを信じるべきで、金融庁のように、投資信託の健全なる発展を妨げているのは、その不味さだと考えるべきです。
 
不味い投資信託が競争によって淘汰されないのなら、投資信託は全体として不味いと考えるほかありませんね。
 
 おそらくは、金融庁は、全体として不味い投資信託業界のなかにも、美味しい投資信託や投資信託を美味しく食べさせる店は隠れていて、見える化によって、その情報が流通するようになれば、真の競争が生じて、投資信託業界は全体として美味しくなっていくと考えているのです。
 
競争だけで十分でしょうか、投資信託の運用にしても、販売にしても、美味しさは専門性を磨くことによって実現されるのではないでしょうか。
 
 かつてデパートが繁盛していたとき、その食堂は常に満員盛況でした。しかし、明らかに、それは美味しかったからではなく、デパートが繁盛していたことの附随効果であって、デパートを訪れる顧客の多種多様性に応じて、食堂には専門性は全くなく、ありとあらゆる種類の料理が並んでいたのです。そして、当然に、美味しいものを求める人は、デパートの食堂ではなく、専門の料理店に行っていたはずです。
 投資信託の現状というのは、まさに昔のデパートの食堂であり、金融庁が問題としているのは、その食堂の味なのであって、問題の本質は、多くの金融機関にとって、投資信託は本業の付随業務にすぎない位置づけになっていて、不味くても成立することであるわけです。故に、金融庁としては、見える化を推進することで、少数の良質な専門料理店が注目されるようになれば、業界の構造は変わっていくと考えているのだと思われます。
 
デパートの食堂で食事することは、大切な娯楽だったのではないでしょうか。
 
 美味しい店においては、確かに料理は不味くはないのでしょうが、料理の味だけではなく、その盛り付け、食器、飲み物の合わせ方、内装、そして何よりも接客のよさが総合されて、美味しさが形成されているのです。故に、昔のデパートの食堂は、休日の家族の娯楽場として総合的にみれば、非常に美味しかったはずです。
 同様に、金融庁は、その特有の生真面目さからして、投資信託の味に重点を置いて顧客本位を定義しているのですが、もっと広義にとらえるのならば、顧客本位に反するようにみえる事例においても、顧客は、金融機関との総合的な取引関係のなかで、自分の利益が損なわれたとは自覚していない可能性を排除できません。
 
金融庁からすれば、それは顧客に甘えているにすぎないわけですね。
 
 金融機関として、甘えることのできるほどに親密な顧客基盤を有することは、大変に立派なことですが、顧客に甘えていては、料理の腕が上がらないのも間違いないことです。故に、金融庁として、顧客に甘えることなく料理の腕を磨けというのは正しいとしても、同時に、なぜ甘えることができるのか、その不可思議な顧客基盤の構造について、科学的な調査を行うことも必要です。
 
曲がりなりにも金融機関として存続できている以上は、顧客本位に反しているはずはない、これも説得力のある仮説だということですか。
 
 例えば、投資信託の販売において優秀な成績をあげている金融機関の職員がいるとして、その人の行動特性を科学的に分析したとき、顧客を騙すことの高度な技法が露見すると危惧するよりも、何らかの仕方における顧客本位の実践方法が明らかになると期待するのが自然です。ただし、ここでの本質的な問題は、その旧来の顧客本位の持続可能性であって、金融庁の考えるように、最終的に事業の持続可能性を規定するものは料理の腕なのです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
何が投資信託の普及を妨げているのか (2019.10.10掲載)
個人貯蓄の構造が、預貯金中心から投資信託中心へと転換が進まないのは、国民の肥えた舌に合う投資信託がないのか、国民の味覚が発達していないのか。金融庁が取り組むべき先決課題は投資信託を美味しくすることか、国民の味覚を鍛えることかとの論考です。

銀行と顧客のなれ合いを断て (2017.7.13掲載)
顧客は銀行に甘えているから、より良い投資信託を探そうという努力をせず、銀行は顧客に甘えているから、真の顧客の利益に適う優れた投資信託を販売しようとの努力をしない。
こういう相互に甘え合う状態のもとでは、日本の資産運用の質が向上するはずはありません。金融庁が大胆な路線転換を行った理由はここにあると論じています。

投資信託の毎月分配は顧客を騙すためなのか (2018.4.19掲載)
毎月の分配金が、年金受給者等の顧客ニーズの一つの側面に適っていることは否定できませんが、毎月分配型の投資信託においては、一方で表面的には高水準の分配金が支払われていても、事実上元本の一部解約になっているケースがあります。顧客が分配金を投資成果だと誤認していれば、金融機関として顧客を騙す積極的な意図はないとしても、誤認を放置することにより顧客本位の業務運営に反することになると論じています。
(文責:杉本)

ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録 
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。