投資信託の毎月分配は顧客を騙すためなのか

投資信託の毎月分配は顧客を騙すためなのか

森本紀行
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投資信託の毎月分配については、長期の資産形成という目的にとって不要であり、有害ですらあるという見解が支配的で、金融庁も批判的な姿勢を示しています。しかし、事実としては、顧客に人気のある投資信託の多くは毎月分配型なのです。では、投資信託の実際の利用目的は資産形成ではないのか、資産形成が目的なら顧客が方法を誤っているのか、それとも業界の都合で顧客を間違った方向に誘導しているのか。

 毎月分配型の投資信託については、金融庁をはじめとして否定的見解が有力ですが、実は、多くの異なる側面からの問題があって、一般論として片づけることはできませんし、論点が違えば解決策も違うわけですから、単に毎月分配を止めればいいということにもならないのです。
 問題を整理すれば、概ね三点に集約されるでしょう。第一は、毎月分配を可能にするために運用内容に歪みが生じることであって、運用成果を分配するという本来の主旨を没却して、毎月分配を強行するために運用を犠牲にするという本末転倒の事態を招来してしまうことであり、第二は、表面的な毎月分配を真の投資収益と誤認させる効果をもつこと、そして、第三は、投資信託の目的を長期的な資産形成におくならば、毎月分配は不要というよりも目的に反して有害であることです。

それらは全て毎月分配に起因する現象面の問題であって、根源的な問題は、毎月分配が顧客に人気のあることを利用している投資信託業界の営業姿勢にあるのではないでしょうか。

 今の金融庁は問題事象の根本原因に遡って検討する姿勢を明瞭にしていますから、それに倣えば、確かに、表層の問題を論じる前に、人気筋の毎月分配を主力にする販売会社の営業政策と、それに呼応している投資運用業者の商品政策に遡って根本原因を検討しておく必要があります。しかし、そうすると直ちに、より根源的な問いとして、なぜ毎月分配に人気があるのか、その人気に業界として応えることは当然ではないのか、なぜ業界が批判されなければならないのか等々の疑問が生じてしまいます。
 実のところ、金融庁は、行政手法のあり方として問題事象の根本原因に遡るとしながらも、実際には、問題事象である毎月分配の根本原因に遡ることなく、投資信託の目的を長期的な資産形成に定めたうえで、その目的に反するとの理由で一気に毎月分配を断罪し去った感があるわけです。しかし、もちろん、これは資産形成の普及という政策意図、別の見方からすれば毎月分配に対する国民の強い選好を矯正しようとする教育的意図のもとでなされたことなのです。

毎月分配が問題事象だとして、その根本原因が金融界の営業政策にあるとしても、更に先の根本原因が国民の選好だとしたら、それを理由に金融庁が金融機関を批判するのはおかしくないでしょうか。

 そうした不平が金融界にあることは、まずは間違いないでしょう。しかしながら、金融庁の立場からすれば、国民の資産の安定的な成長を行政課題とするときには、国民の選好の合理性について問題提起することは使命であり、金融機関に対する期待として、単に顧客の選好に応えるのではなく、真の顧客の利益の視点にたって顧客を正しい方向に誘導するように求めるのは当然です。ましてや、毎月分配に対する選好を利用することで顧客の真の利益に反して自己の利益を追求する行為を認めたときには、その是正を金融機関に強く求めざるを得ないのです。

毎月分配は顧客の利益に反するのでしょうか。勤労層の資産形成はともかく、高齢者層にとっては資産形成よりも資産取り崩しが課題ですから、毎月分配は年金の補完として顧客の利益に適うのではないでしょうか。

 そのような指摘は、実は、投資信託において勤労層のための資産形成の機能を重視する金融庁の姿勢に対して、金融界から批判的に提起されていたもので、それを受けて、金融庁も、昨年に公表した新しい行政方針においては、勤労層の資産形成に並べて高齢者層の資産取り崩しをとりあげて、投資信託に限らず高齢者層の金融問題を幅広く総合的に扱うフィナンシャル・ジェロントロジーを施策に追加した経緯があります。
 ならば、毎月分配が高齢者に相応しい仕組みかというと、金融庁も資産取り崩しといっているように、年金の補完としての現金の定期金が必要だとしても、元本を計画的に取り崩せばいいことで、本来は投資収益の分配であるはずの毎月分配という形態をとる必要など少しもないのです。
 更にいえば、銀行等の販売会社において、預金や保険などを含めた総合的なコンサルティングのなかで、一方で資産の保有と安定的増殖、他方で年金の補完としての豊かな老後生活のための資産取り崩しを考慮した資産管理の提案を行えばよいことで、そもそも、投資信託という狭い領域だけで、しかも、その商品設計の次元だけで最善の答えなどでるはずもありません。
 毎月分配という形態で定期金の必要に応えることは、手数料等の費用効率や、分配額を投資収益と誤認させる疑い等を考えるとき、真の顧客の利益のためになされているというよりも、むしろ、顧客の心理や無理解に付け込んだ商法だと考えざるを得ず、そこに金融機関の積極的な悪意までをも認定できないとしても、真の顧客の利益を追求しようとする姿勢、即ち、フィデューシャリー・デューティーの実践、あるいは今の金融庁の用語でいえば顧客本位の業務運営をみることは決してできないのです。

では、問題事象の根本原因の検討から、いよいよ毎月分配という問題事象そのものに戻りましょうか。

 多額の預金をもつ年金受給者は必ずしも珍しくないわけですが、そのうちの1000万円を投資信託にして年率換算で6%の毎月分配を得られるとしたら、月5万円の現金が年金の補完になるのですから、豊かな老後生活の原資として魅力あるものになります。故に、高率の毎月分配を謳った投資信託が高齢者に売れるのです。
 金融界にとって、預金総額に占める高齢者の比重が高いことは、非常に大きな意味をもちます。そこに、潜在的な投資信託の大きな市場があるからです。しかも、まとまった金額が一度に動くので、少額の積立である勤労層の資産形成よりも営業の能率がよい面も見逃せません。ここに、金融庁がフィナンシャル・ジェロントロジーを通じて顧客保護の対策を講じなければならない理由があるのです。
 ともかくも、こうした現状の事情からすれば、高率の毎月分配を期待させるように商品設計しない限り、投資信託は売れない、そのように販売会社が考え、それに対して投資運用業者が商品を供給する、ここに金融庁が問題視する投資信託業界の悪しき構造ができてしまうわけです。悪しき構造というのは、金融庁ならずとも誰でもわかるように、このような業界の思考様式は、資産運用とは何の関係もない数字の遊びにすぎないということです。

数字の遊びというよりも、捏造ですね。

 この超低金利の日本において、高率の分配を可能にするためには、投資対象として、表面的な利回りの高い通貨、債券、株式、不動産投資法人等を選択するほかないのですが、表面的な利回りは総合的な投資収益の期待値とは関係がなく、投資価値を示すものでもありませんから、投資価値の分析を業務の本質とする投資運用業の主旨を完全に没却することになります。
 また、表面的な利回りの高さは潜在的なリスクの高さを示す場合も多く、毎月分配型の投資信託においては、一方で表面的には高水準の分配金が支払われていても、他方では元本価値が低下している可能性があり、極端な場合、配当金の支払い総額よりも元本価値の低下が大きくなることもあり得ます。この場合には、投資収益の分配ではなくて、事実上、元本の払い出しになってしまうのです。
 しかも、そこに割高な手数料がかかっているとなると、もはや詐欺的といわれても仕方のない事態にもなり得るわけです。手数料について更にいえば、高水準の分配金のもとでは、販売時の高額な販売手数料も、残高比例の信託報酬も、相対的に小さくみえるため、金融機関にとっては、手数料を得やすい仕組みになっていることも大きな問題です。
 加えて、いうまでもないことですが、顧客が分配金を投資成果だと誤認していれば、金融機関として顧客を騙す積極的な意図はないとしても、誤認を放置することにより顧客本位の業務運営に反することは間違いのないところです。

故に、金融庁が毎月分配を問題視するのですね。

 金融庁が毎月分配型に批判的なのは、第一に、金融庁が施策として推進する勤労層の資産形成にとって不要であるばかりか、分配可能額の再投資による複利効果を放棄するものとして有害だからですが、そればかりではなくて、資産取り崩し層の高齢者にとっても、決して顧客本位な仕組みになっていないからです。

金融庁が毎月分配という問題事象の根本原因を問題にするなら、投資信託の分配可能額の算出方法を見直すべきではないでしょうか。

 確かに、その通りであって、表面的な利回りの高い投資対象が選択されるのは、総合収益と関係なく、利息配当金収入が無条件に分配可能額に算入されるからです。つまり、高利回りのエマージング債券や低格付社債に投資して、仮に価格の下落や円高によって資産価値が大きく低下していても、表面的な高水準の利息収入は常に分配可能になるのです。
 ここに、運用内容を大きく歪めてしまう根本原因があるということですし、何よりも、真の投資成果を誤認させる可能性が高いという問題があります。この点については、トータルリターンの通知制度というものができて、分配金額とは別に顧客に総合収益を通知しなければならなくなったのですが、顧客が完全に理解できるかどうかは別問題で、誤認の可能性は残るでしょう。
 ですから、投資信託の制度を改正して、分配金は、その本来の主旨にたち返り、厳格に投資収益の分配金とすべきなのです。また、技術的なことですから詳論はしませんが、追加信託差損益金についても、見直す余地は大きいでしょう。例えば、基準価格が低下してしまうと、資金流入のたびに損失が計上されてしまうために、事実上、販売が停止されていくことも、小さな残高の投資信託が大量に残存する背景になっているのだと思われます。
 投資信託については、多年にわたって、必ずしも顧客本位ではなく、むしろ業界の利益のために制度運行がされてきた面が強く、金融庁としても、問題事象の根本原因に遡って対策を講じるならば、制度面の再検討は不可欠ではないでしょうか。

投資信託の総販売額に占める毎月分配型の比率をKPIにすることは有効でしょうか。

 投資信託を顧客本位なものに転換する金融機関の取り組みについては、その進捗を測定するために、金融庁が共通KPI(Key Performance Indicator)の策定を進めているのですが、既に金融庁が公表している好事例のなかには、総販売額に占める毎月分配型の比率が含まれています。確かに、上述のように、現状の毎月分配型に顧客本位の要素を見出すことは困難ですから、現在の投資信託業界においては、その少なさをKPIにすることは理に適っています。
 しかしながら、個人の資産保有層にとって、また年金基金等の機関投資家にとって、運用の果実を生活の原資にし、年金給付等の資産保有目的に充当することが資産運用の本質なのですから、毎月分配は、それが真の運用の果実の分配である限り、正当なことであることを忘れてはなりません。つまり、毎月分配が悪いのではなく、それを営業の道具にすることが悪いのです。KPIにおいては、この点が明確になるように工夫すべきです。

以上


次回更新は、4月26日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2018/01/11 掲載「必要な保険と不必要な保険会社
2017/06/15 掲載「高齢者に対する正しい資産管理営業
2017/04/13 掲載「まともな投信1%、森信親金融庁長官が斬る業界の悪弊

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。