仮想通貨による資金調達とは記念切手の発行みたいなものか

仮想通貨による資金調達とは記念切手の発行みたいなものか

森本紀行
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仮想通貨を発行して資金を調達すること、いわゆるICOですが、そこでは、詐欺的なものでない限り、何か価値のあるものが発行されるのでなければなりません。さて、その価値とは、郵便切手の額面金額の価値というよりも、記念切手には額面以上の価値があるという意味での価値ではないのか。ならば、切手蒐集家のような価値を支える愛好者の存在が不可欠ではないのか。

 郵便切手は額面で発行され、額面の価値で使用される限り、その発行自体において、何らの価値を創造するものでもありません。日本郵便では、普通切手のほかに様々な特殊切手等を発行していて、愛好家を楽しませてくれているようですが、いまでは、蒐集家による退蔵ではなく、切手としての使用を前提にしているようですから、やはり、そこにも特別の経済的価値の創造はないのです。
 しかし、昔は、記念切手は愛好家が蒐集目的で購入するものであり、一部しか使用されない前提であったと思われます。故に、記念切手の発行は、一方で、未使用額面分だけ発行体の利益となり、他方で、蒐集家にとっては、趣味の満足だけではなく、おそらくは、多少の値上がり期待という経済的満足も生んでいたのでしょう。
 この事態は、より正確に表現すれば、購入者は記念切手に額面以上の価値を見出すが故に切手として使用することはなく、その未使用分が発行体の利益になるということであって、そこには、郵便事業を超えて、切手愛好者の需要に応える文化事業として、事業者と顧客との間に共通価値の創造があったということです。

ならば、理屈上は、額面よりも高い価格で記念切手を発行することもできたのではないでしょうか。

 かなり高度な経営哲学上の問題です。記念切手に限らず、消費者に人気のある商品で、供給量の少ないものは、定価よりも高く、また出荷価格よりも大幅に高く取引され得るでしょうが、だからといって、定価や出荷価格を引き上げていいものかどうか、あるいは供給量を増やしていいものかどうか。価格を上げたり、出荷量を増やしたりすれば、価値を破壊してしまう可能性が高くはないでしょうか。
 普通切手のように、使用価値でもって生産される商品は、消費されることで価値を実現して消滅するのに対して、昔の記念切手のように、二次流通市場において少数の愛好家によって取引されることで価値が付加されていく商品については、生産者の手を離れたところで価値創造されるものである以上、そこに生産者が介入することはできない、また、すべきでもないのではないでしょうか。

愛好家の二次流通市場がなくなれば、価値創造もなくなりますね。

 記念切手の場合、蒐集家が減ってしまって、現在では価格が騰貴するような現象もなくなっているようです。趣味のようなものは、文化的生活の要素であって、社会の変化に応じて、栄枯盛衰が必定なのです。そして、ときどきは、オランダのチューリップのように、投機資金の流入による狂乱的騰貴も避け得ないようです。
 日本の切手にも、1972年の沖縄返還に向けて、琉球政府郵政庁が発行してきた沖縄切手が発行されなくなれば稀少性がでることを材料にして、投機資金の流入がありました。いうまでもなく、騰貴した切手は暴落しました。おそらくは、それがきっかけとなって、愛好家の切手取引市場は急速に縮小してしまったのです。

仮想通貨における投機的現象も、切手と同じことですか。

 仮想通貨の投機においては、チューリップや切手のような趣味的価値の裏付けもなく、不動産や株式のような経済的価値の裏付けも曖昧ですから、漠然とした価格上昇期待しかないようです。まさに投機のために投機がなされている点で、純然たるギャンブルといわざるを得ません。もっとも、同じギャンブルでも、競馬等には文化的背景があるのですから、骰子賭博等の系統でしょう。
 しかし、仮想通貨を使った資金調達、即ちICO(イニシャル・コイン・オファリング、Initial Coin Offering)とか、ITSイニシャル・トークン・セール、Initial Token Sales)と呼ばれるものにおいては、詐欺的なものでない限り、調達資金の使途に関する事業計画がなければならず、資金供給者の間には、そこに投機的動機が混入するにしても、一応は事業への関心が共有されているはずですから、切手愛好家におけるような連帯がある点で、ギャンブルとは少し異なります。

そうしますと、ICOというのは、額面を大幅に上回る価格において、切手を発行するようなものだということでしょうか。

 むしろ、額面のない切手を発行することだというほうが正確ではないでしょうか。額面がないのですから、使用価値がないということです。ただし、使用価値がないという意味は、それを購入した側の問題であって、発行した側においては、価値のない紙切れを売却することで現金が入るわけですから、大きな経済価値を実現することになります。
 なお、ICOの会計処理については多くのことが未確定ですが、コイントークン等、何と呼ばれようとも、何らかのものが売却されたという処理になって、原価はゼロでしょうから、売却額の全体が収益に計上されることにならざるを得ないと考えられます。

購入者には、何らかの利益還元があるのではないでしょうか。だとすると、ものというよりも、負債性のある商品券のようなもの、もしくは負債性か資本性のある金融商品のようなものではないのでしょうか。

 額面で発行された切手は、明らかに、負債性のある商品券のようなものであって、日本の法律のもとでは、「通貨建資産」や「前払式支払手段」などに該当し、表示された法定通貨と同じ価値をもつものになりますから、仮想通貨ではありません。ですから、ICOで発行されるものは、額面のない切手のように負債性の全くないものでなければならないのです。
 また、ICOで発行されたものに対して、何らかの収益還元方法が具体的に約定されているのであれば、日本の法律のもとで、金融商品に該当する可能性が高くなってしまいます。故に、法律上、仮想通貨は財産的価値でなければならず、購入した側において何らかの価値が創造されるのでなければならないとしても、それは抽象的な価値になるはずです。

抽象的な価値とは何でしょうか。

 ICOで発行されるものが法律のいう財産的価値だとしても、記念切手が愛好者の間で額面の10倍の価格で取引されているとしたときに、切手の使用価値を超えた記念切手固有の価値として、額面の9倍相当の経済的価値があるというのと全く同じ意味において、財産的価値なのだと考えるほかありません。
 この切手の価値は、換価可能性があるという意味で、経済的な財産的価値ですが、その価値の源泉は、切手愛好者の集団の存在にあるのであって、ICOにおいても、財産的価値の源泉は、それを購入する集団の間にある何らかの共感、共通意識、連帯、共同体意識等の抽象的なものにならざるを得ないのです。

さすがに抽象的価値を内在的に経済的価値に転換する必要があるのではないでしょうか。仮に、それが事後的に発行者の完全な任意な裁量によってなされるとしても、金融商品に該当するでしょうか。

 株式の財産的価値の形成は、そのほぼ全てを企業の経営裁量に一任されていますが、それでも、立派な金融商品です。なぜなら、経営裁量に価値創造が一任されているからこそガバナンスが決定的に重要な要素となり、そのガバナンスの根底に株主による議決権の行使がある以上、株式には、その価値を規定する要素が制度的に明瞭に内包されているからです。
 そこで、ICOで発行されるものは、価値の規定因を制度的に内在させるように設計されているのならば、金融商品に該当することになると思われます。逆にいえば、金融商品の発行に該当しないようにICOを設計するためには、購入者が経済的価値につながるような権利行使を行えないようにすることが必要なのでしょう。このことは、ちょうど、額面のない切手が切手として使用できないのと同じです。

そうしますと、ICOによって発行されるものについては、記念切手の価格が上がると期待できるという程度においてしか、経済的価値はないということでしょうか。

 ICOで発行される仮想通貨については、そこに内在的な経済的価値を認めることはできません。なぜなら、内在的な経済的価値を認め得るのならば、必ずや金融商品としての性格を帯びるからです。
 これは定義の問題です。仮想通貨は定義により通貨なのであって、金融商品ではなく、通貨は、それ自体として価値はなく、生きた経済に投じられて価値を生むのですが、その投じられる経路が金融商品の定義なのです。従って、経済的価値は、金融商品に内在するのは当然ですが、通貨に内在するはずもないのです。
 つまり、金融商品とは資金調達手段なのですから、仮想通貨が金融商品ではない以上、正確にいえば、ICOは資金調達ではありません。では何かというと、おそらくは、一番近い概念は寄付による財団の形成であろうと思われます。寄付だから利益還元はなされ得ず、そこに内在的な経済的価値を認め得ないのですが、寄付との根本的相違として寄付証文が売却可能なので、そこに外在的な経済的価値があるのです。

財団の目的は何でしょうか。

 ICOでは、ホワイトペーパーと呼ばれる事業計画を公表するわけですが、ICOは通貨の発行なのですから、その真の目的は、通貨が流通する経済圏の創出でなければならず、ホワイトペーパーに記載されていることは経済圏の概要にすぎないわけです。故に、抽象性を帯びざるを得ないのだと思われます。具体的な事業は、経済圏のなかで構想されるのです。
 譬えれば、ICOとは、切手蒐集家の集団が寄付によって財団を形成し、切手経済圏を創出することであって、そのこと自体は事業ではないのですが、事業者は、財団資金を使って、切手のインターネット取引のような具体的事業を営むことができるのです。
 事業活動が成功すれば財団の価値は高まるでしょうが、寄付証文は金融商品ではありませんから収益還元は全くなされません。しかし、寄付証文の価格が高くなれば、売却することで財産的価値を実現できます。要は、米国経済圏の平均的成長に参画するために、ドルという通貨を取得し、金融商品に投資することなく通貨のままで保有して、ドルの円に対する値上がりを期待するのと同じです。

ではICOは建国ですか。

 ICOに限らず、仮想通貨一般の問題として、その目指すところは、国家のようなものの建設ではなくて、国家に替わるもの、国家に依存しないグローバル経済圏の創出ではないのですか。

以上


次回更新は、10月25日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月当時のワイアットに入社し、日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。