異端を尊ぶJR九州

異端を尊ぶJR九州

森本紀行
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JR九州が策定した「つくる2016JR九州グループ中期経営計画」には、企業の「いきざま」として、異端を尊ぶということが掲げられています。異端を尊ぶとは、企業の経営戦略としては、かなり特色のあるものですが、もしかすると、ダイバーシティ経営の模範例なのでしょうか。
 
 JR九州の経営計画での正確な表現は、「異端を尊び、挑戦をたたえる風土をつくることで、JR九州グループとともに社員一人ひとりも成長と進化を続けます」となっています。しかも、さすがに、異端を尊ぶという表現が奇異なものであると意識したのか、ご丁寧に、注釈をつけていて、そこでは、「従来にない新たな意見や考え方などをはじめから排除することなく、耳を傾け、成長と進化の「糧」にしようとすること」と解説されています。
 実は、経営計画のなかで、異端という言葉がでてくるのは、この一か所だけであって、計画全体としては、少しも異端の風はありません。正直な感想として、異端を尊ぶというところは、かなり、浮き上がった感じは否めません。だからこそ、注釈もつけたということでしょう。
 逆にいえば、注釈をつけてまで、異端を尊ぶという表現を載せておきたかった経営の意図は、どこかにあるはずで、それが何なのかを考えてみたいのです。
 

異端を尊ぶというのは、どうやら、人事政策の問題のようですね。
 
 経営計画の表現の論理を追うと、異端を尊ぶことは、多様な意見に開かれた企業風土を作り、それが企業並びに社員の成長と進化を促す、ということになっているようです。つまり、これは、成長戦略を担う重要な人事政策なのです。
 このように、企業の成長と社員の成長との間に強い相関を見出していることは、JR九州の経営の大きな特色のようです。この意味するところは、企業は、社員の成長により成長し、社員の成長は、企業の成長のなかで実現する、このような相互規定性というか、好循環への着目です。
 つまり、人の成長という人事政策と、企業の成長戦略は、相互規定的に結合しているのです。そして、その結合点にあるのが、異端を尊ぶという思想なのです。
 

JR九州では、人材採用戦略のなかで、異端を尊ぶということを強調していますね。
 
 実は、異端を尊ぶということは、経営計画よりも、人材採用における学生などに対する広報活動のなかで、積極的に使われています。
 例えば、自社ウェブサイトに掲載されている人事課長のメッセージをみてみましょう。これは、表題からして、「これまでのジョーシキに捉われることなく、本気で世界一の企業を目指しています!」となっており、その下の見出しが、「「異端を尊ぶ」パイオニアスピリット溢れる企業風土」なのですから、異端を尊ぶが、冒頭に、しかも非常に強調された形で、打ち出されているのです。
 では、メッセージの最初のところを引用しておきましょう。
 「安全とサービスを基盤に鉄道事業を展開する企業でありながら「異端を尊ぶ」などと言うと、「え、どういうこと?」と思われるでしょう。しかし、JR九州の歴史は鉄道会社の常識を打ち破る挑戦の連続だったと言っても過言ではありません」
 

確かに、ジョーシキに捉われていないメッセージですね。実際に、JR九州は、鉄道会社の常識を打ち破って成長してきたのでしょうか。
 
 JR九州は、発足時の決意として、日本国有鉄道の安全管理をはじめとする技術面での優秀さの継承と同時に、その文化からの訣別を目指したのだと思われます。おそらくは、日本国有鉄道時代には、非常識と考えられたことのなかに、JR九州の「いきざま」を創造してきたのでしょう。その成功の自負心が、異端を尊ぶに凝縮されているのだと思われます。
 JR九州は、日本国有鉄道の有形無形の資産の全てを継承することから始まったのであって、経営の課題は、資産の活かし方にあったのです。資産は、資産自体に価値はなく、資産を稼働させてこそ価値を生むのですが、資産を稼働させるのは、人であるわけです。ところが、同じ文化のもとで、同じ人が、同じ資産を稼働させても、何らの革新も成長も生まれないのは、自明です。
 では、革新は、どうしたら生じるのか。革新は、どこから始まるのか。それは、文化です。同じ人が、同じ資産を、新しい文化のもとで稼働させることからしか、革新は生じないでしょう。そもそも、変え得るのは、文化だけです。なぜなら、人も資産も、古き日本国有鉄道から、継承したのですから。
 おそらくは、最初にしなければならなかったことは、日本国有鉄道の常識を疑うことだったのではないでしょうか。そのためには、組織としての発想の転換が必要だったはずです。それは、まさに、「従来にない新たな意見や考え方などをはじめから排除することなく」ということの実践だったのではないでしょうか。
 

そうしますと、やはり、異端を尊ぶことが、組織としての発想の転換をもたらし、それがJR九州の成長へつながったのですね。
 
 要は、日本国有鉄道時代には、「従来にない新たな意見や考え方など」は、「はじめから排除」されていたのだと考えられます。新しい発想は、組織の次元では、排除されてはいたのですが、個々人の次元では、昔からあったはずです。新しい発想は、生まれたのではなくて、異端を尊ぶことによって、見出され、拾い出されたのです。
 その結果、列車の斬新な内装や外装や、「ななつ星in九州」のような画期的なサービスに結実していって、鉄道事業の革新を生み、さらには、自由な発想は、鉄道を核にしながらも、鉄道を超えて、斬新な多角化事業に結実していくのです。
 

異端を尊ぶことを、企業風土として確立することにより、革新の連続を生み、永続的な企業成長をめざすところに、戦略の特色があるのですね。
 
 非常識は、常識と化した瞬間に、再度、非常識へと転換されない限り、革新は永続しません。従って、常に、異端は尊ばれ続けなければならないわけです。それは、風土として、即ち、企業文化として、確立され、定着されなければならないのです。
 故に、人を採用する段階で、異端を尊ぶという社是を強調することになっているのだと思われます。
 

JR九州の経営は、いわゆるダイバーシティ経営なのでしょうか。
 
 日本では、残念ながら、ダイバーシティといえば、女性の活用や登用のことになってしまいます。しかし、ダイバーシティというのは、本来は、多様性のことです。日本の大企業や官庁のように、上級幹部職がほぼ全て男性というのでは、確かに、性の多様性を決定的に欠いています。ですから、政府が、その3割を女性に、というような数値目標を掲げることも、理解できなくはありません。
 しかし、第一に、多様性には、性だけでなく、国籍、学歴、職歴、年齢、言語、宗教、趣味など、いろいろな側面があります。第二に、ダイバーシティが企業経営戦略として考えられる限り、多様性の拡大と、企業の成長との間に、論理的な関係が確立されていなければなりません。
 その点、JR九州の場合は、多様性を、社員の行動様式や発想の次元に求めており、また、異端を尊ぶという自らの言葉で表現して、更に、成長戦略との関連で、明確に位置付けているのです。おそらくは、日本の企業としては、ダイバーシティ経営の本質に忠実であるという意味で、模範的なのだと思われます。
 

女性登用の数値目標とは、大違いですね。
 
 女性登用に数値目標をおき、見かけのうえでダイバーシティを実現しても、それが、企業の成長戦略にとって、どう結びつくのか明らかでなければ、弊害があるのみで、何の積極的な意味もないでしょう。
 その点、JR九州のように、ダイバーシティの意味と目的が明確に定められている場合は、おそらくは、結果として、女性の登用も進んでいくのだと思われます。というよりも、JR九州には、そのような模範例を示すことを期待します。
 

それにしても、学生の就職活動ほど、型にはまったものはないですね。ダイバーシティのかけらもない。
 
 全くです。同じ服装、同じ髪型、決まり文句の羅列、あれは、どうにかしないと、日本の成長はないですね。その点、JR九州の人事課長の学生へのメッセージは、非常にいい。あまりいいので、長いですが、引用しておきましょう。
 「行きたい企業の研究をして、“求める人物像”に合致する志望動機を企業の数だけ作るような、気が弱いことはしないで欲しい。会社を研究して、そこに自分を合わせようとするのではなく、今まで何を経験したのか、どんな価値観や軸をもって行動してきたのか、そしてこれから何を成し遂げたいのか、これまでとこれからの『自分史』をつくっていただければ十分です。自分の軸で仕事に取り組み、自分の色に染めてつくり上げたものを世の中に出す、JR九州を自分の人生のステージとして利用するくらいの意気込みで当社に入社していただきたいのです」
 

もはや、人が企業に合わせるのではなくて、企業が人に合わせる感じですね。まさに、人に立脚した成長戦略は魅力的ですが、少し、自由すぎはしませんか。
 
 異端を尊ぶというのは、JR九州の「いきざま」です。この「いきざま」は、「あるべき姿」という理念と、「おこない」という規範によって、挟まれているのです。ですから、自由すぎることはありません。
 「あるべき姿」の核心部は、鉄道事業を核とした企業グループとして、「安全とサービス」を頂点に掲げた経営姿勢であり、「おこない」の核心部は、誠実さと地域に対する責任です。地域というのは、基盤としての九州ですが、それを超えてアジアにつながるものも想定されています。
 

なるほど、一般的にいって、ダイバーシティ経営は、ダイバーシティだけで成り立たないのは当然で、より重要なことは、全体戦略のなかにおける位置づけですよね。
 
 ダイバーシティ自体を目的化することは、愚かなことです。それを、さらに、女性の問題に絞り込むことなど、愚かに愚かを重ねるものです。ダイバーシティは、優れた経営のもとで、結果的に実現するものですから、経営の目標指標ではなくて、結果としてのモニタリング指標です。
 そもそも、企業が社会の縮図なら、社会の多様性が、企業のなかにも映し出されていなければなりません。もしも、女性の就労者が全体の3割で、女性の就労に対する意識が男性と同じなら、性差や学歴や家族事情などの条件に差別を設けない限り、企業全体の幹部職に占める女性の比率も3割になるでしょう。
 それが3割に遠く及ばないなら、女性の就労に対する意識に差がある可能性を調整しても、性差や学歴や家族事情などに差別があるのは間違いありません。そのような非合理な差別は、理論的に、市場に非効率をもたらします。そうしますと、能力ある女性を相対的に有利な条件で採用できるので、優秀な企業ならば、その非効率を利用した人事政策をとる。その結果、優秀な会社では、女性の登用が進むのです。
 JR九州は、「あるべき姿」、即ち、成長戦略を実現するために、「いきざま」として、異端を尊んでいるのです。異端を尊ぶために、異端を尊んでいるのではない。異端を尊べば、結果的に、ダイバーシティが進むでしょう、女性の登用も進むでしょう。しかし、それは、あくまでも、結果として、です。
 異端を尊ぶ目的は、企業の成長です。成長できる企業では、必ず、ダイバーシティが実現するのです。ダイバーシティを実現した会社が成長するのではありません。
 
以上

 
 次回更新は9月4日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2014/07/24掲載「女性登用の数値目標について
2012/11/01掲載「金融の革新と人的資本経営の極限
2011/12/15掲載「オリンパスが好きです
2010/10/07掲載「グローバルとインターナショナルの本質的な違い
2010/09/09掲載「「清兵衛と瓢箪」的な価格騰貴と価値創出


≪ アーカイブから今週のお奨めは「受託者責任」≫
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。