厚生年金基金の脱退と解散をめぐる社会問題

厚生年金基金の脱退と解散をめぐる社会問題

森本紀行
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前回は、総合型厚生年金基金について、解散と任意脱退をめぐる解き得ない難問が検討されたのでした。今回は続編として、その難問が具体的な社会問題化していることについて、少し補足をしておこうということですね。
 
 理論的難問も、訴訟になれば、具体的な司法判断が下されなければならなくなる。事実、総合型厚生年金基金からの任意脱退をめぐっては、訴訟がおきています。社会としては、解決不能な難問として放置できなくなって、何らかの答えをださないといけなくなっているのです。
 最初に、脱退に関する法律問題を確認しておきましょう。
 総合型厚生年金基金においては、制度の根幹を支える理念としての相互扶助原理との関係において、全く自由には、加入企業の脱退を認めることができません。何らかの制限を設けることは、制度の趣旨からは、当然のことです。論点は、単に、その拘束が、社会的公正の見地から、妥当かどうかということだけです。では、基金は、脱退の制限を、どのような形で制度的に工夫しているのか。
 厚生年金基金の根拠法は、厚生年金保険法です。その第百十五条第一項は、「基金は、規約をもつて次に掲げる事項を定めなければならない」として、その第三号に「基金の設立に係る適用事業所の名称及び所在地」を掲げています。この「基金の設立に係る適用事業所」というのが、一般に設立事業所といわれるもので、基金に加入している企業のことです。つまり、加入企業の名称一覧は規約に記載されなければならない、ということです。
 次いで第百十七条は、基金の最高議決機関として代議員会の設置を定め、続く第百十八条は、代議員会の議決事項を定めるのですが、その第一項第一号に「規約の変更」とあります。つまり、加入企業の一覧が規約に記載されていると、ある加入企業の脱退が、その名称の削除というかたちで、規約の変更に該当することになるので、脱退の承認に関しては代議員会の議決が必要だ、ということになる仕組みです。
 また、先の第百十五条の第二項では、規約の変更に関して、「厚生労働大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない」としているので、加入企業の脱退が認められるためには、代議員会の議決を経たうえで厚生労働大臣の認可を得なければならない、ということになります。
 さて、総合型基金の相互扶助原理の働きが強くなると、この代議員会の議決が大きな意味をもってくることは、容易にわかると思います。つまり、脱退を代議員会で否決するような力が基金内部に働く、ということです。実際、脱退申請が代議員会で否決される例が少なからずあるのです。
 

脱退を求める企業からすれば、そのような代議員会の議決は、経営の自由に対する過度の拘束だから、当然に議決無効を主張する。それが訴訟になる場合がある、ということですね。
 
 現在、業界の注目を集めている事例があります。5月19日付けの信濃毎日新聞のウェブ版から引用しましょう。
 「県建設業厚生年金基金(長野市)に加入する昌栄土建興業(諏訪郡原村)が、基金の財政悪化などを理由に基金からの脱退を求めて同厚年基金側と争った訴訟は18日、長野地裁で第2回口頭弁論があり、結審した。判決は8月24日。
 原告側は脱退の自由は事業所の基本的権利で、制限することは公序良俗に反すると主張。「民法は、厚生年金基金(厚年基金)よりも人の結び付きが強い(共同企業体など民法上の)組合について、脱退の自由を認めている」と訴えた。
 一方、被告側は、厚年基金は「公的な性格を持つ組織」と反論。基金の安定運営には加入する事業所の確保が不可欠だとし、事業所の脱退に対して一定の制限を課すことは「基金の性格上、むしろ当然」としている。
 閉廷後、原告側の代理人弁護士は、脱退が相次いだ場合、深刻な財政状況の基金運営がさらに厳しくなる可能性について「加入事業所の責任ではない。それで『抜けられては困る』と言うのはおかしい」とした。被告側の代理人弁護士は「加入事業所の確保のため、脱退に(加入事業所の代表でつくる)代議員会の議決が必要なのは公序良俗に反していない」と反論。厚年基金は公的な組織で「民法上の組合とは異なる」と話した。」
 いい記事ですね。これで、問題の要点は尽くされています。8月24日には、どういう判決がでるのやら。この手の訴訟は他にもあるのですが、和解をしているので、裁判所の判決というかたちをとるのは、今回が初めてです。それだけに、注目されているのです。
 

敢えて判決を占うとしたら、どうなりますか。
 
 この基金は、かなり特殊な状況にあります。元事務長が、約23億円も横領したとされ、行方不明になっているのです。基金の元事務長に対する損害賠償請求訴訟では、約2億円の支払いを命じる判決もおりています。このことが影響するのかどうかわかりませんが、一応は、独立した問題としておきましょう。
 私は、もう既に明らかでしょうが、被告基金と同様の主張を展開しているのですから、原告敗訴を予想します。少なくとも、希望的には、原告敗訴を予想します。
 基金は一つの相互扶助制度であって、個々の加入企業と基金との間の関係以前に、加入企業相互の関係性が、優越するのだろうと思います。原告主張は、ひとつの加入企業と基金との間の関係としては、理解できなくはないですが、当該企業は、基金を通じて、他の全加入企業との間にも関係性を有すると考えられ、その同意抜きには脱退できないというのは、制度上は、当然であると思われます。
 ずばり単純にいい切ってしまえば、制度の趣旨として、脱退が認められるためには、制度を支える共同性の崩壊が前提になるのであろうから、そのときは、個別にばらばらと加入企業の脱退を認めることは公平性の見地からできず、いっそのこと一気に解散の決議へ向かうべきだ、ということになるのだと思われるのです。
 私はむしろ、当該基金の加入企業において、解散の意向があるのかないのかに、深い関心があります。実は、この長野県建設業厚生年金基金は指定基金です。つまり、3事業年度連続で純資産額が最低責任準備金の9割を下回った基金として、厚生労働大臣の指定を受けて、財政の健全化のための指導を受けている基金なのです。要は、代行割れ基金です。
 この訴訟の原告となった企業は、おそらくは、解散支持派の企業です。なぜなら、脱退できるだけの財務体力があって、脱退時に積立不足を清算するための特別掛金を負担できる企業なのです。ということは、解散時の代行割れ相当分の一括拠出も可能なはずです。ところが、解散の合意形成は無理とみて、あるいは、可能でも著しく時間がかかるとみて、早期の解決のために脱退を決意したのでしょう。
 ここは、裁判所の判断でも、大きな要素になるのかもしれません。事実として、多くの企業が、当該企業の脱退に反対している。その背景に、特定個社の脱退は不公平で認められない、脱退を認めるくらいなら、解散によって全企業の公平性を確保すべきだ、という共通の考え方があるからではないでしょうか。まさに、一種の共同体の論理です。もしも、共同体的価値観が生きているのであれば、脱退は認められない。もしも、共同体的価値観が崩壊しているなら、脱退ではなくて解散によって全企業を同じ位置に立たせるべきだ、ということになるのではないかと思われるのです。
 

もしも、多くの企業が解散に傾いているにもかかわらず、不足額の一括拠出ができない企業の反対で解散できていないとしたら、そういう状況のなかでの個社の脱退は認められ難いであろう、ということですね。
 
 解散に反対する企業の反対で脱退承認が否決されているのだとしたら、そういうことになるのだと思うのです。もっとも、この基金の背景については、よくわかりませんが。いずれにしても、どのような判決がでようとも、基金の存立基盤となっている業界の事情、基金の財政状態、基金存立へ向けての努力の実情などが、総合的に勘案されるのだと思われます。まさか、一般論として、脱退自由の原則などについての判断がでるわけではないのです。
 

解散はまた解散で、大きな社会的問題を誘発することが、前回の論考でもでましたが、それについての補足は。
 
 解散をすれば、全加入企業が、一括納付にしろ、特例解散による分割納付にしろ、不足額の納付義務を負います。この債務は、理論的には厚生年金の保険料の未納分になりますので、悪いいい方をすれば、租税等の滞納にも似た位置づけになります。
 また、この不足額、解散までは、潜在債務として簿外の債務だったものが、解散によって納付額が確定してしまうと、確定債務として会計認識がされることになります。そうなると、少なからざる企業で、債務超過に陥るのではないか、と推測されているのです。債務超過にならない企業でも、著しい自己資本の減少が生じることは間違いありません。
 それでも、銀行等からの借入れがなければ、何とかなるかもしれません。しかし、多くの場合は、銀行等から融資を受けていることが多いと思われます。解散が起きると、銀行等の立場は、非常に悩ましいものになります。普通は、租税等の滞納があって債務超過ということであれば、融資できない企業になってしまうからです。そこまでいかなくても、自己資本の減少は、融資条件を厳しいものにしてしまいます。だからといって、銀行取引を停止すれば、その企業を倒産に追い込みます。融資額の制限等、条件を厳しくしても、やはり、その企業を苦境に追い込むことは間違いありません。
 銀行等としては、取引先を破綻に追い込みたくないでしょうが、一方では、規定に従った厳格な対応もせざるを得ない。分割納付をしている企業間の連帯責任は、この問題を一層複雑にします。一社が破綻すると、連帯債務を負う他社の破綻確率が上昇します。これが、連鎖倒産の仕組みです。
 こういう事情があるから、厚生労働省が財政状況の悪い基金の解散を促しても、金融庁の金融行政や、経済産業省の中小企業対策で、何らかの対応がとられないと、うまくいきません。ましてや、基金の解散命令などは、実際上は、だせっこないのです。これが、日本の政府の現状なのです。省庁あって、政府なし、です。細かな行政あって、大きな政策なし、です。
 

今の政府の能力では無理ですが、しかし、相当に有能な政府にも、名案はないのでは。
 
 解散を前提にすれば、二つしか方法がない。第一は、現政府内部でも検討されていることですが、日本政策金融公庫等の政府系金融機関から、納付額に見合う劣後融資をだすというもの。第二は、一定の条件のもとで、納付額を減額もしくは免除するというもの。いずれも、中小企業対策の問題として、政策的に、直接間接に税金を投入するというものです。
 このうち、納付額の減額や免除は、社会保険料負担の公平性から、国民全体の納得は得られそうもないということで、政策金融による支援が現実的な策として残っているのです。さて、どうなるか。技術的には、当該劣後融資が明確に資本性をもつものとして扱われることが必要で、金融庁の検査マニュアル等で一定の指針等を明定するのでなければ、銀行等としては、融資条件等を据え置くことの正当性に疑義が生じるということでしょうね。もちろん、貸倒れが生じたときの政治責任が、本質的な問題でしょうが。
 

解散を前提にすれば、ということでしたが、解散を前提にしなければ、妙案があるということでしょうか。
 
 解散したときに発生する不足金を政府系金融機関が立て替える、というのが検討されている案です。しかし、なぜ、後ろ向きの解散に公的金融支援が行われるのか。中小企業対策と雇用福祉対策としての政策の意義からいえば、基金の維持のための公的金融支援のほうが、まともではないのか。基金維持のために掛金の引き上げが避けられないとしたら、そして、その掛金負担に耐えられない加入企業があるとしたら、そのような企業にこそ、公的な支援が与えられるべきではないのか。
 また、不足額の棚上げといえば聞こえが悪いですが、不足額を分離して長期的に回復計画を立てること、即ち、超長期的に不足額を積立てることで掛金負担の急増を回避して基金存立を図るような施策も、検討されていいでしょう。
 とにかく、なぜ、解散を前提にした議論になるのかが、全く理解できない。総合型厚生年金基金は、そもそもが、欠陥のある制度だから、早急に廃止すべきだ、というなら、そのような欠陥制度を放置した政治責任を明らかにすべきです。そのうえで、政治の責任として、即ち不足金を全額政府負担として、解散させるべきです。しかし、そのような施策が愚劣極まりないものであることは、明らかでしょう。税金を投入することで、多数の中小企業に働く人々と年金受給者の利益を損なうわけですから、それはもう、政治の大義などどこにもない暴挙といわざるを得ない。

以上


 次回更新は6月21日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。