厚生年金基金の相互扶助原理

厚生年金基金の相互扶助原理

森本紀行
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総合型厚生年金基金の哲学的な難問は、基本にある相互扶助の原理ですね。相互扶助は、同時に、連帯責任でもあることと、相互扶助を支える背景の共同体意識がなくなれば、不公平になるということ、これは難しい問題ですね。
 
 総合型厚生年金基金が業界団体を母体として作られる一種の相互扶助組織であることは、前回までの論考で述べました。相互扶助組織である以上、業界に共通する利益、制度を通じて守ろうとする共通の価値がない限り、基金は存立できない。その共通価値が、従業員のための福利です。業界全体の雇用対策として、少しでも処遇制度に魅力をつけるために、業界共通の年金制度が作られている、ということです。
 しかし、一方で、哲学的な矛盾もあります。加入各社は、同じ業界にいる以上、営業の前線では激しく競争しているからです。もともと、業界団体の全ての活動に同じ問題がある。本業における競争と、業界共通利益における共同協調との対立ですが、深刻な矛盾が生じることはない。それはそうで、経済的な利害が対立するようなことは、業界全体での調整などできないので、やりもしないからです。
 ところが、厚生年金基金の場合、掛金負担の公平性を巡っては、深刻な経済利害の対立が生じてしまいます。全加入企業の総加入員を基準に統一的な掛金負担を決めれば、当然に、相対的に割安な掛金負担の企業と、逆に相対的に割高な掛金負担の企業ができるのは、自明だからです。この仕組み自体は、相互扶助原理の本質なのだから、不公平ではないのです。しかし、相互扶助原理が正当化されるためには、背景に、利害を超えた価値共同性、文化的一体性がなければならない。国の厚生年金本体が、日本という国の文化的統一性を前提とした、国民相互間の扶助制度であるように。
 もしも、その基盤の共同性が崩壊したら、相互扶助は直ちに不公平に転落し、替わって、利害の対立が生じる。しかも、深刻な対立が。つまり、年金の給付における業界の共通利益があっても、その給付の原資の負担については、共通の利益はなくて逆に利害の対立がある、という状態になるわけです。矛盾です。深刻な矛盾です。
 

そうなれば、基金の維持は不可能で、解散するしかないですね。
 
 解散すると別の難問が生じるという有名な事例があります。2006年に解散した兵庫県乗用自動車厚年基金という兵庫県のタクシー会社で作る基金の事案で、総合型厚生年金基金の致命的な欠陥のようにして、よく報道などで取り上げられるものです。
 この基金は、解散時に、代行割れ、即ち、解散時に保有していた資産の総額が国の厚生年金を代行している部分に相当する原資である最低責任準備金を下回る状態、になっていました。そもそも、このような状態では、本来は、解散できないのです。どうしても、解散を強行するならば、制度に加入している各社は、加入員構成に応じて割り当てられる不足額を、一括納付しなければならないはずです。ところが、多くの場合、その金額は、各社の経営規模に比して過大であることから、事実上、解散できなくなっているのです。
 しかし、問題は、加入各社間には、体力格差があるということです。一括納付が可能な企業が解散を強く望み、納付できない企業が反対せざるを得ない状況だからこそ、解散の合意形成ができない、というのが問題の深層です。そこで、政府は、2005年度から2007年度までの3年間、特例措置として、分割納付を認めたのです。負担力のない企業でも、長期間の分割納付ならば、一回の支払いが小さくなるので負担できるだろう、という趣旨です。分割納付期間は、最長10年間とされていました。兵庫県乗用自動車厚年基金は、まさに、この特例措置を利用して解散したのです。
 解散に際しての企業の対応は、一括納付したところと、分割納付したところに二分しました。ところが、この分割納付を選択した企業には、とんでもない誤算というか、予想外の罠が待ち受けていました、分割納付中の企業の一部が倒産してしまったのです。実は、この分割納付、連帯債務でした。ということは、破綻企業の納付未履行分は、他の存続企業へ配賦されていく仕組みだということです。要は、連鎖倒産を誘発する構造だったのです。
 さて、なぜ、連帯債務なのか、ということですが、相互扶助原理の当然の反対効果だと考えられます。当然だとは思うのですが、一方で、これは、いかにも不合理な不公平なことのようにも感じられます。ですから、よく報道などで取り上げられるのです。私なども、さすがに社会的公正に反しているのではないかと考えざるを得ない。
 

基金の解散により相互扶助原理も解消したはずなのに、形骸化された連帯責任を課すのは哲学的に間違いだ、ということですね。
 
 この分割納付における連帯責任は、基金制度維持のための加入企業間の拘束として、課されているものではありません。そうではなくて、単に、政府が、最低責任準備金の取りはぐれがないように、課したものです。不当だと思います。分割納付を選択した企業は、解散時の納付予定額をもって、責任上限とされるべきでしょう。
 政府も、問題には気付いています。実は、この特例解散の制度は3年間の時限措置だったのですが、同じ措置が、2011年8月10日から5年間、再び認められることになりました。今回は、分割納付期間の原則10年を最長15年にまで延長できる特例、納付すべき最低責任準備金の算出における減額の特例など、緩和措置が講じられています。また、分割納付したときの連帯責任については、「分割返済中に倒産した事業所が生じた場合は、他の分割返済中の事業所のみでなく、一括返済した事業所においても負担するよう指導していく」としているのです。
 この行政指導にどれだけの拘束力があるのかわかりませんが、政府の考え方は、連帯責任を維持するために、一括納付企業を含めた連帯責任へと拡大させようとしているのです。確かに、筋が通っているようですが、基金解散後で、しかも一括納付によって債務を免れた企業にまで連帯債務を及ぼすのは、不可能ではないでしょうか。
 

それにしても、政府は、なぜ特例措置まで作って解散し易くするのでしょうか。まるで、解散奨励のようですね。
 
 解散したい基金に対して、解散し易い仕組みを工夫しているわけだから、一種の解散奨励でしょう。では、なぜ、解散を奨励するのか。論点は、特例措置の中核が分割納付にあることです。つまり、狙っている対象が、経済的負担力に企業間格差のある総合基金で、かつ代行割れしている基金であることは、明白です。
 政府の認識としては、このような基金は、加入企業の多くが解散を望んでいる一方で、一括納付できる体力のある企業が少なく、解散できないでいるのだから、解散できるようにしてあげよう、ということだと思われます。そして、その真の目的が、このような基金を放置しておいても、追加掛金負担力に限界があるのだから、積立水準回復計画の進捗も期待できず、逆に、悪化の可能性すらあるので、早期解散を促して、最低責任準備金の取りはぐれの可能性を小さくしようという点にあることも、明白です。要は、政府の利害先にありきの政策なのです。そこが、おかしい。
 

では、正しい政策が、解散奨励ではなくて、基金の存立基盤の強化だとしても、要は、掛金負担の引き上げにしかならないのだから、どうしようもないのでは。掛金引き上げができるくらいなら、そもそも代行割れにならない。
 
 基金の存立基盤の確立は、必ずしも、掛金引き上げと同じではありません。実は、相互扶助原理こそが、存立の基盤なのです。つまり、問題の根源は、加入企業間の体力格差にあるのです。解散についていえば、解散を望む企業は、一括納付できる企業である一方、解散を望まない企業は、一括納付できない企業です。問題の深層は、明々白々です。本来の相互扶助の考え方からいえば、解散を望む体力の強い企業が、解散を望まない体力の弱い企業を、扶助することで、基金を存立させるべきなのです。
 ところが、相互扶助の哲学を支える連帯が崩壊すると、相互扶助が不公平なものに思われてくる。だから、本来の相互扶助のもとで助ける側のものは、制度からの脱退を望むことになります。ここが、政府が一番に懸念していることなのだと思われます。任意脱退の問題です。
 

体力のある企業の任意脱退が進むと、相互扶助とはいっても、弱い者同士の相互扶助になって、基金の財政基盤の悪化が進むだけではなく、その改善のための掛金引き上げも事実上できなくなって、破綻に向かって一直線に進む、だから、早期解散を促す、これが政府の理屈ですね。
 
 任意脱退は、基金の存立を危機に陥れる、非常に危険なものです。脱退により、現役の加入員が減少する一方で、年金受給者は減らないのだから、収支均衡が狂ってしまうからです。そして、このことが、実は、多くの厚生年金基金の財政の悪化の原因になっているのです。積立不足の多くは、資産運用に原因があるのではなくて、むしろ、この加入員構成の変化にあるのです。
 

おかしくはないですか。年金の事前積立の理論からいうと、収支均衡は狂わないはずです。なぜなら、年金受給開始までに、受給者の原資が事前に積み立てられているはずだから。そうではないのですか。
 
 ところが、厚生年金基金では、そうならない。新規加入員を見込む開放基金方式という財政方式が採用されているからです。
 開放基金方式の問題点は、将来加入員を見込むこと、つまり受給者が生まれる一方で新規の加入員が入ることを前提にしていることです。はっきりいってしまえば、将来の加入員から生まれる掛金収入を見込んだ収支均衡を想定しているのだから、いわば自転車操業的な側面があって、給付原資の調達を将来へ飛ばし続けている(故に、開放)面があるのです。要は、正確にいえば、事前完全積立ではないのです。ですから、任意脱退によって加入員が減少したり、あるいは加入各社の雇用が減少したりしていけば、積立不足が拡大するのです。
 将来加入員を見込むこと自体は、拡大成長期には、少しも問題ではないし、成長しなくても概ね同一水準の雇用が維持されていれば、やはり、問題はない。私は、このことをもって厚生年金基金の欠陥のようにいう論者には、組みしません。むしろ、制度の構造に致命的な欠陥がある(欠点はあるでしょうけれど)のではなくて、任意脱退と事実上の任意脱退(一種の偽装ですね)を簡単に認めてしまったという制度の運用上の問題も大きいのではないでしょうか。
 確かに、ある業種に作られた総合型厚生年金基金で、当該業種が衰退してしまえば、加入員構成に大きな狂いが生じて、任意脱退がなくても、財政の悪化は避けられない。これは、よく知られていることです。しかし、加入各社の相当数は、他業態への転換を進めて、企業としての存続は維持しているはずです。
 同じ会社の部門として多角化を行えば、多角化部門の従業員も当然に基金の加入員になります。ところが、別会社を通じて多角化すれば、その別会社の従業員は基金に加入しない場合が多い。というよりも、基金に加入させないように、別会社にする例が多いでしょう。悪質なのは、その別会社のほうへ、基金加入の会社から従業員を転籍させてしまう例です。これが、偽装脱退ですが、これをやられると、基金に不足金がある場合にも、その清算すらなされないので、一段と基金の財政に打撃を与えるのです。
 もしも、任意脱退が原則として認められず、また偽装脱退について厳格な規制が行われていたとしたら、総合型厚生年金基金の財政状態は、現状よりも、ずっとよかったであろうと思われるのです。もちろん、厳しい状態になった基金もあるでしょうけれども、全体としてみれば、大分よかったはずです。
 日本の厚生年金だって、若い人の大半が海外に移住してしまえば、瓦解します。当たり前です。日本国民としての納税と社会保険料納付の義務があるからこそ、なりたつ制度です。これが、相互扶助の本質です。総合型厚生年金も、本質的には、同じことです。
 

任意脱退禁止は、企業経営の過度な拘束として、社会的には認めがたいような、一方、あまりに自由な任意脱退は、厚生年金基金という社会制度に対する責任の放棄として道義的に認めがたいような、難しいですね。
 
 難しいです。特に、事実として、基金を支える共通価値の基盤がなくなるなかで、基金だけを維持できるかといえば、悩ましいですよね。でも、この難しい背景を理解しない(理解できないのでしょうが)無知な論者が、好き勝手に、厚生年金基金が運用に失敗したとかどうとか、出鱈目をいっているのは、断じて許せない。ということで、今回は、積立不足の重要な背景の解説をいたしました。そろそろ次回から、難問をどう解くか、というところへいきましょうか。
 
以上


 次回更新は6月14日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。