厚生年金基金は自己の存在意義を社会に提示せよ

厚生年金基金は自己の存在意義を社会に提示せよ

森本紀行
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「厚生年金基金の制度自体の廃止は、かろうじて阻止できました。しかしながら、あくまでも基金の事実上の廃止を目論む厚生労働省は、存続基準を不当に厳格にすることで、最終的には、全ての基金を、解散もしくは代行返上へ追い込むつもりです。こうなれば、基金の反撃は、自己の社会的意義を訴えるしかないですね、社会的に不要なものは消え去るしかないのですから。
 
 厚生労働省は、厚生年金基金に社会的意義を認めていないのです。というよりも、積極的に、反社会的意義を認めています。それが、基金を監督指導する立場にある行政庁の見解ならば、謹んで承りましょう。しかし、それは、所詮は、一つの意見です。監督官庁の意見でも、意見は意見です。厚生年金基金に意義があるかどうかは、最終的には、国会が決める、即ち、国民が決めることです。
 厚生労働省の一方的な意見にすぎないものが同省の作成した法案となり、それが実のある議論もなく国会を素通りしてしまうようでは、これはもう、まともな民主主義の国ではなく、官僚主導の歪んだ政治体制の国になってしまいます。国会の判断が公正公平なものであるためには、民主主義の対論の原則にしたがい、厚生年金基金の社会的意義を認める主張が、正々堂々と厚生労働省案に対峙しなければなりません。
 厚生労働省は、厚生年金基金の制度としての廃止を取り下げ、基準を満たした基金が存続できる可能性に道を開きました。しかし、その存続条件を意図的に厳しくし、少数の基金だけが例外的に存続できるようにし、しかも、残り得る少数の基金をも、厚生年金基金として存続する実益を制度的に乏しくして、結局は、解散や代行返上等により他の形態へ改組する方向へ誘導しようとしています。これでは、当初計画通りの事実上の制度廃止の貫徹であって、要は、厚生年金基金の社会的意義の全否定を主張していることに変わりないのです。
 厚生労働省は、監督官庁としての圧倒的に優越した地位のもと、全力を奮って何が何でも厚生年金基金を潰そうとしているのですから、厚生年金基金側としては、細かい技術的な反論を試みたところで、戦車に竹槍です。こうなれば、もはや、厚生年金基金の積極的な社会的機能を明確に示し、その価値と意義を広く社会に訴える以外にはないでしょう。
 厚生労働省の主張通りに、厚生年金基金に社会的存在意義がないならば、消え去るしかない。社会的意義があるというならば、厚生年金基金自身が、それを社会に対して証明できるのでなければ、厚生労働省に勝てないのです。
 
では、厚生年金基金が反撃に打って出るための戦法とは、どのようなものでしょうか。
 
 厚生労働省が設定した議論の枠組みから脱却しない限り、厚生労働省有利な展開になることは間違いありません。戦いの規則を決めたものが勝つのは、これはもう、勝負事の基本でありましょう。厚生労働省の主張は、一点しかありません。いわゆる代行割れの解消です。代行割れという基金制度全体の中の特殊な技術的問題に論点を絞ることが、厚生労働省の戦略です。ゆえに、基金側の反撃は、代行割れの外の基金制度の本質にかかわる問題を取り上げるしかないのです。
 厚生年金基金は、国の厚生年金本体の給付を代行しているので、当然に、その代行債務(その額を最低責任準備金といいます)に相当する給付原資を資産として保有しているわけですが、代行割れというのは、基金全体の資産額が、最低責任準備金に満たない状態をいいます。もしも、代行割れの状態で基金が清算されれば、債務と給付原資の資産が抱き併せで国へ戻るのですが、資産が不足している分、国に欠損が生じる可能性があります。この可能性を消し去ることが、厚生労働省の唯一の目的なのです。
 問題は、代行割れに陥っている基金が少なくなく、その資産額の不足の回復のためには、掛金負担を大きくするほかないのですが、このような基金に加入している企業の多くは、中小零細企業である場合が多く、負担増には耐え得ないと考えられていることです。
 困ったことには、この状態に対する抜本的な打開策は、現行の仕組みのなかでは、ないのです。掛金は上げられないし、解散もできないからです。解散できないのは、解散時に、代行割れ相当額を国へ納付しなければならないのですが、それができるくらいなら、掛金負担もできるわけです。
 どちらにしても、不足を埋めようがない以上、代行割れは解消し得ない。こうなれば、問題は、厚生年金基金制度の本質に根差すことだから、制度を廃止するしかない。これが、厚生労働省の論理です。きわめて単純で分かりやすい。わかりやすいですが、この難問を制度的工夫でも克服できることを隠し、自らの怠慢を隠ぺいしようしていることは、不当です。
 
その単純な論理が、実は、強力な武器になって、厚生労働省の優勢が決まってしまったのですね。
 
 財政難のこの国において、厚生年金本体の負担が増加する可能性を防止するという立論には、国会議員として、反対する人はいないでしょう。厚生労働省の一方的主張の裏では、本来の基金の社会的機能、歴史的背景、加入員受給者の不利益、代行割れを回避する財政の技術的工夫などは、完全に捨象されてしまっているのですが、一旦、財政的な構造欠陥で頭が整理されてしまうと、捨て去られた論点を丁寧に拾いなおそうとする反論も、なかなか訴求力をもち得ないのです。残念ですが、厚生労働省の戦法は、甚だ有効であったといわざるを得ません。
 
一方で、代行割れが起き得ない条件が整えば、基金廃止の論理を失うわけですね。
 
 資産額が最低責任準備金よりもはるかに大きければ、代行割れは起き得ないですね。ですから、厚生労働省は、基金制度の廃止は簡単に撤回する一方で、最低責任準備金の1.5倍の資産額の保有を条件に、基金存続を認めることにしたのです。
 この1.5倍には、もっともらしい説明がついていますが、厚生労働省が、事実上の基金廃止を狙って、不当に高く設定したものであることは、明らかです。そもそも、資産の時価変動がないならば、1倍でいいわけです。たまたま、基金が解散になるときに、急激な資産時価の下落(最近の金融環境では確かにあり得ないことはない)が生じたときの備えとして、1.5倍の資産が必要であるというのですが、これは、歴史的に最も過酷な状況の再現を想定したものであり、非現実的な基準です。
 
そこで、現在の厚生年金基金側の反攻は、その1.5倍の緩和を求めることに絞られているのですね。
 
 おそらくは、1.5倍を引き下げるなり、他の基準との併用にするなり、一定の緩和が妥協的になされ、存続できる基金の数は、当初見込みの約50基金よりは、多くはなるのでしょう。しかしながら、仮に、ある程度の数の基金が残っても、このような技巧的な妥協の結果にすぎなければ、厚生労働省の事実上の基金廃止の野望を撤回させることはできないわけで、時間稼ぎにすぎないのではないかと思われるのです。
 厚生年金基金の制度としての将来的安定性を考えたときには、財政の完全な中立性が必要です。資産と債務の両方が厚生年金本体と完全に連動するようにすれば、起点において基金の資産が最低責任準備金を上回っていれば、どこまでいっても、不足が生じない、即ち、代行割れは生じ得ないからです。もちろん、代行の中立性だけでなく、現時点での不足金額を長期的に解消する計画も必要です。
 このためには、大掛かりな制度の手直しが必要です。厚生労働省は、この作業を無責任に放棄して、基金の実質廃止を目指しているのですから、このような面倒な仕事を真面目にするはずもないのです。厚生労働省の姿勢そのものを改めさせない限り、基金存続は単なる時間稼ぎに終わるだけです。
 
つまり、基金の最終的廃止が前提にある限り、多少の延命はできても意味がないのですね。そうではなくて、前提において、基金制度の永続が打ち出されないといけないということですね。
 
 おそらくは、制度の将来に対する不安が大きいままでは、存続できる基金ですら、早期に代行返上もしくは解散しようという方向へ傾くことは避けがたいでしょう。基金側の意思で、基金をやめる方向へ動くなら、これに越したことはないですね、厚生労働省にとっては。
 厚生労働省に正しい仕事をさせるためには、厚生年金基金制度が社会的に必要であるとの基本前提を、国民的了解の上に確立する必要があります。その社会的必要性を証明する責任は基金側にある。これは、当たり前のことです。
 
厚生年金基金の社会的意義とは何でしょうか。
 
 実は、歴史的には、大企業はじめ、ある程度の雇用規模のある企業でも、単独もしくは資本関係のある企業と連合で、厚生年金基金制度をもっていました。しかし、そのほぼ全てが代行返上により、確定給付企業年金へ移行しています。つまり、これらの企業においては、厚生年金基金は、歴史的な役割を終えているのです。
 現状残っている基金は、その大半が、同一業種の中小零細企業で作る総合型のものです。これらの総合型基金は、業界団体を設立母体としており、業界共通利益として、個社では十分に対応できない従業員の老後福利制度を共同して行ってきたのです。ここに、他の制度では代えがたい厚生年金基金の社会的意味があるのです。総合型厚生年金基金には、政府の中小企業対策の側面からも、重要な機能があります。これは、政策の問題であって、厚生労働省という狭い世界の問題ではない。
 もっとも、時間の経過とともに、社会環境が変化するにつれて、この総合型のなかにも、社会的機能という側面からいえば、その意義を失ってしまったものがあるのは、否定できません。一番わかりやすい例をあげれば、設立の背景となった業界自体が著しく衰退して、基金の加入員が激減してしまったら、なかなか存続は難しいわけです。しかし、他方では、依然として多くの基金が、その重要な社会的機能を果たし続けています。
 基金支持派の人たちは、私も含めて、全ての厚生年金基金の一律の存続を要求しているわけではありません。全ての厚生年金基金の一律の廃止を主張した厚生労働省の横暴に反対しただけです。我々の主張は、多くの厚生年金基金において、その社会的意義が失われていないどころが、設立母体の支持のもとに重要な社会的機能を果たしているのに、その廃止などあり得ないということです。そして、問題が代行割れの可能性ならば、その可能性を防止する制度的工夫があり得るということなのです。その制度的工夫を放棄し、安直に制度廃止へ走る厚生労働省は、手抜き行政の悪しき見本のようなものです。
 また、存立の難しくなっている基金においても、基金が古ければ古いほど、多くの年金受給者がいるわけで、廃止するにしても、その受給権は保全されなければならないのですから、様々な工夫が必要であるはずです。それを、単に強制的に解散させることは、いかにも横暴ではないのか。厚生労働省の本来の仕事は、受給権の保全ではなかったのか。
 いずれにしても、代行割れ解消一点張りの厚生労働省の議論からは、多くの重要な論点が漏れているのです。ここで、特に理解いただきたいことは、多くの厚生年金基金において、依然として、母体業界団体の強力な支持のもと、中小零細企業向けの従業員福利制度としての重要な社会的機能が果たされていることです。もちろん、もはや役割を終えた基金もあります。しかし、そこにも、守られるべき加入員受給者の利益があること、これは、どうしても理解いただかなければならない。
 厚生年金基金の機能と意義を社会に訴え出るには、設立母体の業界団体の応援が是非とも必要です。逆に、母体の支持を得られないような基金は、もはや存立の基盤を失っているのです。厚生年金基金よ、厚生労働省など相手にしないで、母体の所管官庁や産業界に働きかけ、自らの意義を訴えましょう。そうすることで、基金自身の将来にとっても、有益な自己確認になると思います。
 
以上


 次回更新は4月18日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。