かねてより、貯蓄から投資へといわれてきましたが、金融庁は投資を資産形成に呼び替えました。さて、その背景に何があるのか、どこに経済政策としての資産形成の意義があるのか。
よほど前から、世のなかには、貯蓄から投資へという掛け声があります。これは国民に対する政府の呼び掛けであって、個人金融資産の運用方法について、銀行等の預金に保守的に滞留させておくことをやめて、資本市場において、株式や債券に積極的に投資すべきだというのです。そして、この掛け声を逆の方向から解釈すると、資金調達する産業界は、銀行等からの融資に依存するのではなくて、資本市場において、株式や社債を発行すべきだという主張になります。
実は、これは経済成長戦略なのです。経済の成長は企業の営む事業の成長であり、企業は、事業を成長させるためには、常に新たな事業機会を発掘し、そこに大胆に賭けていくべきなのですが、融資によって調達した資金は、元本保証のある預金が原資になっているので、不確実性の大きな賭けに投じられるのには適さないのです。そこで、成長のための資金は資本市場で調達されるのですが、それを可能にするためには、個人金融資産は資本市場に移転しなければならないわけです。
政策の目的は、好循環の実現なのですか。
政府の経済成長戦略は、金融庁の二つの行政目的、即ち、経済の持続的な成長と、国民の安定的な資産形成とに明確に表現されています。つまり、資金循環の主たる舞台が銀行等から資本市場に移転すれば、企業が大胆に未来に賭けていくことができ、その事業が成長することで、経済成長が実現すると同時に、資本市場で運用される国民の富が増大し、そのことが消費需要を誘発して、好循環を生じ、経済成長は持続的になるということです。
貯蓄から投資だったはずなのに、なぜ、投資に替えて、資産形成という言葉が使われているのでしょうか。
金融庁が資産形成という用語を採用しているのには、いくつかの理由があると考えられます。まずは語感の問題です。投資という言葉の一般的な印象は、少なくとも、これまでのところは、一方では、確かに、預金金利よりも高い投資収益率の期待を抱かせるものの、他方では、元本保証のある預金とは異なり、損失の発生し得る可能性を強く示唆してきたと思われます。そこで、こうした語感を払拭するために、資産形成と呼び替えられたのでしょうが、単なる言葉の遊びですから、資産形成にも損失の可能性は伴うわけです。
また、これも一般的な語感の問題として、これまでは、投資というと、投機と誤解されやすかったと思われます。投資が投機と解されると、競馬などと同じことで、娯楽的要素のもとで、それ自体が目的化してしまいます。しかし、投資は、それ自体が目的ではなくて、投資を通じて、資産を増殖させることが目的なのですから、投機との混同を避け、投資の目的を明確にするには、資産形成という言葉のほうがいいのです。
資産形成と呼び替えても、それ自体が目的化しないでしょうか。
政府は、資産形成を奨励するために、NISAによって税制優遇措置を講じていますが、どうやら、巷には、NISA貧乏という奇怪な現象もあるようです。これは、NISAを最大限に活用しようとして、手元資金を過剰に資産形成に振り向けるために、消費生活のための資金が不足するという滑稽な事態であって、精神構造上は、馬券を買うために、食費を倹約するのと同じです。ここでは、資産形成自体が目的化することで、消費が抑制されて、経済成長政策に反した帰結を生んでいるわけです。
しかし、資産形成の現状において、NISA貧乏よりも大きな問題は、投資対象であって、例えば、対象が海外の株式に偏重したのでは、経済成長政策としては、十全の働きをしないわけです。資産形成の真価が発揮されるのは、資金循環の主舞台について、銀行等の預金取扱金融機関から、資本市場への本格的な移転が起きるとき、即ち、金融の構造改革が始まるときです。
ここで極めて重要な意味をもつのが金利の上昇です。資本市場における金利が預金金利を上回っているなかでは、当然のことながら、預金から資本市場への資金移動が始まっていて、逆の方向から見ても、企業は社債等の発行による資金調達を強化し始めています。注目すべきは、こうした動きが加速していくのかという点で、日本の金融は、今、重大な局面を迎えつつあるわけです。
NISA貧乏は極端な例としても、資産形成は、消費を将来に繰り延べることなので、経済成長に抑制的に働くのではないでしょうか。
金融の本質は、消費の時期の調整なのであって、消費を前倒すのが住宅ローンなどの各種ローンであって、消費を後ろ倒すのが資産形成です。昭和の経済成長期には、ローンによって消費を前倒すことで、成長を加速させ、将来に繰り延べられたローン債務は、所得の上昇のなかで、解消されてきたのです。そして、ここに、ローンの提供者としての銀行等の重要な役割があったわけです。
しかし、現在のように、高度に成熟した経済のもとでは、成長性よりも、持続可能性が重視されるべきなのであって、故に、資産形成によって、消費を繰り延べることで、運用収益によって、消費余力を高めて、将来の消費需要を確保することに大きな意味があるのです。しかも、資金調達の主舞台が資本市場になれば、企業は、投資家の期待を意識せざるを得なくなり、事業の成長のための革新が促されて、経済成長の新たな原動力になるわけです。
資産形成の要諦は、家計において、今の消費と将来の消費との配分を決めることなのでしょうか。
倹約してまで、資産形成に励むのは、変態的で、奇怪なことですし、倹約は、経済成長にとっては、抑制効果をもちますから、消費すべきことには、普通に消費すべきなのです。資産形成に振り向けられるのは、家計を工夫して、意図的に捻出された資金ではなくて、自由に消費された後に残る資金であるべきで、こうした自然な態度で臨むからこそ、資産形成は長期的に継続可能になり、長期的に継続するからこそ、成果を生むわけです。
問題にすべきは、残余を預金に滞留させるのではなくて、資産形成に振り向けることの意味です。これまで預金が選好されてきたのは、資本市場に金利がないなかでは、元本保証のある預金に資金を滞留させることが合理的だったからでしょうが、それだけではなくて、将来における消費目的が意識されていなかったからでもあるでしょう。そこで、金融庁は、資産形成の目的として、豊かな老後生活を掲げたのです。つまり、老後に、形成された資産を取り崩していけば、公的年金の補完になるということです。しかも、こうした資産形成は、極めて長い時間のなかで行われるので、成果を生みやすいわけです。
資産形成の方法は、将来の消費目的との関係において、決まるのでしょうか。
資産形成は、消費の繰り延べですから、その最適な方法を決めるためには、消費目的と、繰り延べる期間の長さとは、漠然とではあれ、決まっていなければならないでしょう。例えば、豊かな老後生活のための資産形成においては、購買力の保存が目的となり、時間が非常に長いのですから、株式への投資配分を高めに維持することが可能でもあり、また、必要にもなるわけです。逆に、消費の目的も、その時期も全く決まっていないのならば、資産形成ではなくて、預金への滞留が望ましいと思われます。
資産形成の目的として、豊かな老後生活のほかに、どのようことが考えられるでしょうか。
何かに消費するつもりだったが、気が変わったとか、事情が変わったとか、よく考えると不要だったとか、そうした状況において、消費されるはずだった資金こそ、資産形成に振り向けられるべきではないでしょうか。例えば、住宅ローンの頭金を作ったのだけれども、よく考えると、賃貸のほうがいいとなったとき、その頭金で、資産形成がなされるとしたら、おそらくは、J-REITこそ、最適な投資対象になるでしょう。
・豊かな消費と賢い金融機能の利用が経済を成長させる(2025.3.6掲載)
消費を前倒しにするなら融資を受ける、後ろ倒しにするなら余剰資金を運用するといった形で、消費のタイミングを起点に金融の利用を考えることの合理性を論じています。
・株式投資を小さな家計から出発させて大きな世界を見ること(2024.11.7掲載)
株式投資をするうえで分散は重要な要素となりますが、家計の視点から見て、実際自分が何を消費しているかに合わせて分散先の銘柄を選ぶという方法について解説しています。
・脆弱な顧客を健康診断で強くする金融機関の義務 (2024.6.6掲載)
消費のあり方を再検討することで、資産形成をどのように行うか考えやすくなります。一方で、消費も投資も主観的なバイアスにより最適な利用から逸脱することがありうるため、金融機関などが顧客の最善の利益を勘案することが重要です。
(文責:岸野)
次回更新は、10月22日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。
