成功への確信のもとで、産業界が未来に賭けていき、所得が増えるとの明るい見通しのもとで、国民が豊かに消費することで、経済は成長します。さて、政府は、こうした楽観主義を醸成できるのか。
かねてより、個人の金融資産の保有について、貯蓄から投資へという標語が唱えられています。ここでいう貯蓄とは、具体的には、銀行や信用金庫等の預金取扱金融機関への預金であり、投資とは、資本市場における社債や株式の取得ですが、より現実的には、投資は、直接になされるのではなく、専門家である投資運用業者の運用する投資信託を通じて、間接的になされると想定されています。故に、貯蓄から投資とは、個人金融資産が預金から投資信託へ移動することを意味するのです。
さて、個人の資産運用の方法において、貯蓄から投資への転換が起きれば、産業界の資金調達の方法は、銀行等から融資を受けることから、資本市場で社債や株式を発行することへ変化します。これは、二つの異なることではなくて、一つのこと、即ち、金融の主舞台が預金取扱金融機関から資本市場に移転することの表裏の二面です。
その二面が金融行政の二つの目的になっているわけですか。
金融庁は、行政目的として、経済の持続的成長と、国民の安定的な資産形成を掲げていますが、実は、この二つの目的は、金融の主舞台を預金取扱金融機関から資本市場に移転させることによって、同時に達成されますから、同じ一つのことの表裏の二面なのです。
経済の持続的成長とは、産業界の不断の自己革新を通じた成長によって実現されるのですが、産業界を主導するのは、株式を上場していて、資本市場において資金調達できる大企業です。そこで、資金調達の主舞台が資本市場に移転すれば、上場企業の変革による成長が促されると同時に、そこで運用される個人資産の価値も上昇すると期待されているのです。
なぜ上場企業の成長が促されるのでしょうか。
事業の安定性と成長性との間には、相反関係があります。成長とは、新たな事業機会を求めて、不確実な未来に賭けていくことで達成されるものであり、賭けは、常に失敗の可能性を伴っていて、事業の安定性を損ない得るからです。そこで、銀行等の預金取扱金融機関の立場からすれば、元本保証のある預金を原資にして融資を行っているのですから、融資先企業の事業の成長性よりも、安定性のほうを重視するのは当然なのです。
これに対して、資本市場では、投資家は、自己責任原則のもとで、損失の可能性を受け入れているのですから、企業は、そこで調達した資金を使って、大胆に成長に賭けていくことができるわけです。しかし、当然のことながら、企業は、投資家に対して無責任であることはできないのであって、成長への賭けは合理的な計画性と、厳格な規律のもとでなされることになります。実は、コーポレートガバナンス・コードとは、そうした企業の行動原則を定めたものなのです。
企業が不確実な未来に賭けていくなかで、なぜ国民の資産形成が安定的になり得るのでしょうか。
資本主義経済の動因は、より大きな満足を求める人の欲望であって、欲望が消費需要を創造し、その需要に対して、企業が供給体制を構築することで、経済は成長します。そして、経済の成長が所得の増大をもたらし、それが更なる消費需要を生みだすという好循環のもとで、経済は持続的に成長するわけです。
こうした好循環のもとで、企業は、供給能力の拡大のために、常に、より多くの資金を必要とし、その強い資金需要が投資収益を生み出し、投資収益の発生は、所得を増加させて、新たな消費需要を創造し、更なる好循環を生むわけです。このような好循環が起きれば、事業の不確実性は十分に制御されて、経済は持続的に成長し、国民の資産形成は安定的になると考えられます。
しかし、ここには循環論法があります。つまり、金融庁の行政目的に即していえば、経済が持続的に成長するからこそ、国民の安定的な資産形成が実現し、国民の安定的な資産形成が実現するからこそ、経済は持続的に成長するという循環があって、この循環には、循環を起動させる要因を欠いています。故に、外部要因として、経済金融政策があるのであって、好循環の実現は、要は、政治の問題なのです。
それにしても、なぜ金融庁は投資を資産形成に呼び変えたのでしょうか。
金融庁が投資を資産形成と呼ぶのは、金融行政の課題からして、投資は手段であって、投資によって実現される資産の増殖こそ、目的だからです。そして、形成された資産は、消費されてこそ、経済の持続的成長につながるのですが、金融庁のいう資産形成においては、その目的として、老後生活における豊かな消費が想定されているわけです。また、消費目的を遠い将来に設定することで、投資は、必然的に、長期の視点でなされることになり、故に、理論的に、成果を生む可能性が高くなる点が重要なのです。
資産形成に資金を振り向ければ、消費が抑制されてしまい、経済政策上、逆の効果になってしまうのではないでしょうか。
手元にある資金について、より多くを資産形成に振り向ければ、消費が抑制されてしまいます。政府は、資産形成を奨励するために、NISAという税制優遇措置を導入していますが、奇怪なことに、一部にNISA貧乏という現象が起きているようです。これは、手元資金を最大限にNISAのもとでの投資に振り向けてしまうと、消費する資金が欠乏してしまうことです。
そこで、金融庁は敢えて安定的な資産形成といっているはずです。安定的という言葉には、長期の視点における計画性のもとで、少額の資金を継続的に積立投資していくという意味があると考えられるのであって、長い時間軸上において、様々に変化する投資環境のもとで、等金額が継続的に投資されるからこそ、投資は長期的に成果を生み得るのです。
老後という遠い将来の消費では、当面の経済政策上の効果は期待できないのではありませんか。
資産形成は、いわば消費の繰り延べですから、繰り延べられた消費が実現したときに、経済効果を発揮するのであって、繰り延べ期間中は、むしろ、消費を抑制してしまいます。しかし、資産形成は、単なる消費の繰り延べではなくて、繰り延べることで、資産を増殖させて、より豊かな消費を実現するのであって、ここに、単なる消費の繰り延べである貯蓄との本質的な差異があるわけです。
そうはいっても、老後の豊かな消費のための資産形成においては、消費は遠い先に繰り延べられてしまい、当面の経済政策上の効果のないことも事実です。しかし、ここで重要な意味をもつのが資産効果です。資産効果とは、保有資産の価格の上昇によって、潜在的に消費可能な金額が増加するので、消費意欲が刺激されることです。こうして、資産形成は、資産効果を通じて、資産の取り崩しによる消費が始まるのに先行して、消費を拡大させると考えられるのです。
人々の心が明るくなることが重要なのですか。
貯蓄の裏には、倹約があります。倹約は、消費の抑制であって、消費が抑制されるのは、将来への不安があるからであり、未来の展望が暗いからですが、こうした悲観的な思考は、資本主義の精神に反しています。資本主義の精神は、一方では、合理的な計算を行いつつも、より基本的には、情熱をもって、楽観的な見通しのもとで、明るい未来に賭けていくものであり、旺盛な欲望のもとで、豊かに消費するものです。
そもそも、未来への賭けの背後には、成功への楽観的確信があり、豊かな消費を促すのは、楽観的な所得の見通しなのであって、こうした楽観的発想がない限り、経済の好循環は生じないわけです。要は、経済金融政策の決定的に重要な課題は、この楽観主義の醸成なのであって、その具体例こそ、政策主導のもとで、賭けの成功確率を高めて、産業界に設備投資を促すことであり、賃金の引上げを通じて、国民の消費を刺激することなのです。
・豊かな消費と賢い金融機能の利用が経済を成長させる(2025.3.6掲載)
資産形成の原資は消費の切り詰めではなく、住宅ローンや保険など既存の金融機能を合理化することで生み出すべきだとの視点から、家計全体を捉え直し、豊かな消費と持続的な資産形成を両立させる考え方を論じています。
・賢い投資と楽しい投機で豊かに暮らすために(2021.10.21掲載)
資産形成において、なぜ将来の使途を定めることが重要なのかを起点に、個人や機関投資家の資産運用のあり方を考察します。
・投資は狂気だ、資産形成は理性だ(2019.4.4掲載)
資産形成における合理性と、投資の根底にある賭けの性格について論じています。
(文責:翁)
次回更新は、10月15日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。
