デジタル化の極限において日本銀行は不要になるのか

デジタル化の極限において日本銀行は不要になるのか

森本紀行
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<毎週木曜日 11:30更新>

銀行券がなくなると、日本銀行の金融政策は根本的に変わるのか。円によらない決済が普及すると、日本銀行自体が不要になるのか。
 
 中央銀行が銀行券を発行することについて、その原初のあり方を概念的に構成してみると、中央銀行は、民間から旧通貨や貴金属等の資産を買い上げて、対価として銀行券を発行したか、銀行等の融資債権を担保に融資することで、あるいは融資債権を買い取ることで、銀行等に信用供与して、銀行券を発行したはずです。そして、実際に発行された銀行券は、通貨総量の一部にすぎず、残余は銀行等が中央銀行にもつ当座預金の形態になったと考えられます。
 こうして形成された基礎的通貨総量は、民間に投じられて、その経済活動のなかで、自然に増殖し続けて、今日に至ります。その間、資金は銀行等の間を活発に移動して、その収支尻は、銀行等が中央銀行にもつ当座預金の間で、決済されてきましたが、経済の名目的成長のなかで、全体の収支尻は常に不足だったはずです。故に、中央銀行は、その不足を埋める最後の貸し手として、銀行等に信用供与することで、通貨供給量を拡大してきたわけです。
 
最後の貸し手だからこそ、金融政策を実行できるわけですか。
 
 日本銀行の内田副総裁は、昨年の6月7日に、日本金融学会2025年度春季大会において、「業務からみた日本銀行」と題する講演を行い、そこで、次のように述べています。
 「中央銀行が「最後の貸し手」になれるのも、支払完了性のある決済手段を提供できるからです。中央銀行の貸出は、相手方の金融機関の口座に資金を記帳し(中央銀行の負債の増加)、貸出債権を取得する(中央銀行の資産の増加)ことで実行できるので、無制限に実行可能です。また、先ほど述べた通り、金融政策における金利操作も、決済に必要な資金が恒常的に不足することを前提として、中央銀行が、銀行間の決済を完了させる手段を供給できる唯一の存在であることを利用して、資金をやり取りする短期市場の条件(金利)を決めることができる、という仕組みです。」
 ここで、支払完了性のある決済手段というのは、銀行券と当座預金のことです。銀行券による支払いは、銀行券の交付で即座に完了し、銀行券によらない支払の場合は、銀行等が日本銀行にもつ当座預金のうえで、決済が完了するわけです。
 
銀行券がデジタル化されると、金融政策の実現方法も変わるのでしょうか。
 
 日本銀行の現在の公式見解は、銀行券に対する需要は簡単には消滅しないので、需要がある限りは、責任をもって、銀行券の発行を継続し、ただし、CBDC、即ち、中央銀行デジタル通貨Central Bank Digital Currency)については、必要性の生じる事態に備えて、発行可能な条件を整備しておくというものです。そして、日本銀行が構想しているCBDCは、利用が金融機関間に限定されるものではなく、現金と全く同じように使用できる一般利用型CBDCだとされています。
 内田氏は、講演のなかで、二つの架空のシナリオをあげて、「ひとつめは、現金が全く存在しなくなる場合です。よく「CBDCが発行されれば、マイナス金利を付すことができるので、金融政策運営は大きく変わる」と言われますが、正確には少し違います。まず、CBDCが発行されても、現金が残る限り、名目金利のゼロ制約は残ります」と述べています。
 
名目金利のゼロ制約とは、どういう意味でしょうか。
 
 名目金利がゼロのもとでも、物価が上昇すれば、実質金利はマイナスになりますが、名目金利は決してマイナスになり得ないというのが名目金利のゼロ制約です。なぜなら、銀行券の実質価値は減少し得ても、その名目価値は絶対に減少し得ないからです。この制約のもとで、内田氏は、現金、即ち、「マイナス金利を付されない逃げ場がある限り、CBDCにマイナス金利を付すことには限界があります」と述べているのです。
 
では、銀行券がなくなると、金融政策の方法は変わるのでしょうか。
 
 その点について、内田氏は次にように述べています。「逆に現金がなくなるのであれば、CBDCを発行しているかどうかはあまり関係ありません。民間が提供するデジタル通貨であっても、何らかの形で金融資産の裏付けがある以上、中央銀行は金融資産の価格(金利)に影響を与えることで、金利のゼロ制約を破ることができます。例えば、民間提供のデジタル通貨が中央銀行の当座預金と完全に紐づいている単純なケースでは、当座預金の付利水準の変化によって、民間デジタル通貨にマイナス金利を付すことができます。そうした意味で、「マイナス金利を可能にするためにCBDCを発行する」という発想は、中央銀行にはありません。
 この「現金がない世界」では、金利のゼロ制約がないため、マイナス金利の付利に限界がなく、したがって、政策金利の引き下げ余地の「のりしろ」を確保する必要はなくなります。物価目標は、バイアスのない物価指標であれば、ゼロ%になるはずです。金融政策の運営は大きく変わります。それでも、中央銀行として「物価の安定」などの使命を果たすことができる、という点は不変です。」
 この発言から、二つのことが知られます。第一は、日本銀行にとって、CBDCを発行できる条件の整備は、「民間が提供するデジタル通貨」が機能しなくなる事態に備えたものにすぎないことです。第二は、名目金利のゼロ制約がなくなれば、物価目標はゼロ%になるのならば、2%という物価目標は、名目金利のゼロ制約のもとで、「政策金利の引き下げ余地の「のりしろ」を確保」する方策の一環として、必要だったということです。
 
物価目標を2%にすることで、政策金利の引き下げ余地を確保したということでしょうか。
 
 金融政策の正当性として、経済が持続的に成長しているときに、物価上昇率を2%まで許容し得るにしても、それを逆転して、経済を持続的に成長させるために、物価目標を2%とすることには疑義があり得ます。しかし、日本銀行としては、事実として物価上昇率がゼロのもとで、経済対策としてマイナス金利を導入するためには、物価目標を2%にする必要があったわけです。
 現金がなくなり、政策金利の下限がなくなってしまえば、仮にマイナス金利を導入するにしても、いとも簡単なことなので、正当化のための物価目標等の施策は不要になります。敢えて物価目標という用語を用いれば、それがゼロ%になるのは自然なことです。
 
もう一つの架空のシナリオは何でしょうか。
 
 内田氏は、「もうひとつの可能性は、中央銀行としては起こってほしくないシナリオです。「円」で表示されない決済手段が決済の主役になることです」と述べています。そして、「取引の決済は双方が合意するのであれば、どんな手段でも可能です」としたうえで、「デジタル社会においては、暗号資産がその対象となりえます。もともと一部の暗号資産の動機には、主権国家に頼らないリバタリアン的な発想があります」と述べています。
 つまり、円という通貨は、「「円」で表示された債権債務関係を消滅させる弁済手段となる」だけのことで、「私は金でしか、あるいは暗号資産でしか、売る気はない」と言うことは契約自由の原則により可能」だというわけです。しかし、内田氏は、同時に、「こうした未来が訪れることは、少なくともわが国においてはないと思います」と述べています。
 なぜ暗号資産が決済手段の主役になり得ないかというと、「「円」に連動しない決済手段について、モノやサービスとの関係で価値を安定させる仕組みを作ることは、中央銀行の「物価の安定」と同じ機能を独自に持つということですから、簡単では」なく、故に、「中央銀行が価値を安定させてくれる「円」に乗っかった方がずっと合理的」だからです。
 しかし、これには、「中央銀行がその使命をきちんと果たしている限り」とのただし書きがついています。そして、講演の最後のほうで、内田氏は、「さらに将来に向けては、デジタル化が大きく進展した社会で、主権国家の中央銀行が発行する通貨が一般受容性のある決済手段として機能し続ける保証はありません」と述べたのです。
 ≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
現金はデジタル化されても現金ならば財布に入るのか(2026.2.5掲載)
決済のデジタル化が進む中で、人々が安心してお金を使える環境を支える日本銀行の役割と、CBDCへの期待について解説しています。

そもそも仮想通貨に価値はあるのか(2018.7.19掲載)
仮想通貨に本当の価値が生まれるためには何が必要なのか、また仮想通貨を中心とした経済の世界が将来成り立つ可能性があるのかについて、解説しています。

なるほど金融政策は日本銀行の内側の業務から見るものか(2026.1.22掲載)
日本銀行の内田副総裁の講演を踏まえ、銀行券が通貨として成立する仕組み、金利上昇が人々の行動に及ぼす影響について解説しています。
(文責:内木)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。