ものを所有して利用する人は、ものの価値を毀損し、ものを所有して利用者に賃貸する人は、その道の専門家として、ものの価値を維持し、高めるのです。
何かを所有するとは、自分に固有のものとして、支配下に置くことですから、所有物は世界に一つしかないものになります。例えば、自転車を購入して所有することは、世界に何万台もある同じ型番の自転車のうちから特定の一台を選んで、世界に唯一の自分のものにすることです。故に、それを他人に貸したとき、借りた人から返却されるべきものは、その世界に一つしかない個別具体的な自転車なのであって、同じ型番の別な自転車ではいけないのです。
同様に、今、上着を取り替えるために、内ポケットのなかにある一万円札を取り出して、居合わせた人に少しの間だけ預けたとき、返してもらうのは、直前まで自分のポケットにあった一万円札、自分が二つに折り畳んでポケットにしまっておいた世界に一枚しかない一万円札なのであって、これが一万円札を所有するということの意味なのです。
一万円札と一万円とは異なるわけですか。
一万円札は、表面に精巧な図柄の印刷された特殊な紙であり、日本国の法的秩序のもとで、一万円という経済価値を体現するものとして、通用しています。一万円札は個別具体的なものであり、目で見て、手で触ることのできるものですが、一万円は抽象的な価値であり、見ることも、触ることもできませんから、両者は、存在の次元が違っていて、本質的に異なっています。
そして、この差異を示すものこそ、所有権が成立するか否かという点なのであって、所有権は、一万円札には成立しますが、一万円という経済価値には成立しないのです。このことは、一万円札を銀行にもっていき、預金すればわかります。預金した瞬間に、一万円札の所有権は失われ、銀行に対する一万円相当の経済価値の請求権に変わるのであって、預金から一万円を引き出すと、預け入れた一万円札とは異なる紙幣になるわけです。
所有権を請求権に転換すれば、商取引の利便性が向上しませんか。
農作物等の第一次産品について、等級と量を基準にして売買することは、古くからなされてきました。例えば、米については、個別具体的な10個の俵に入れられた米ではなくて、その俵のなかの米と同品質の米を10俵相当の量で売買するのです。個別具体的な10俵の米の取引は所有権の取引であり、10俵相当の量の取引は請求権の取引ですが、こうして所有権を請求権に転換することで、取引の合理化と効率化を図ってきたのです。
このことは、倉庫の利用方法を考えれば、容易に理解されるはずです。特定の俵に収まった米を取引するときは、俵を個々別々に倉庫に保管することになりますが、等級と量で米を取引すれば、米を等級毎にまとめて一括して保管すれば済みます。また、倉庫が複数あれば、買い手は、最も距離の近い倉庫から、自分の米を受け取ることができるわけです。
商品の多くは大量生産されていますから、商品名と数で取引できますね。
商品は、製造業者から出荷されて、歴史的に形成されてきた慣行に従い、それぞれの商品に固有の流通経路を通って、最終消費者の元に届いていて、その間に、何度も所有権の移転が生じ、物理的にも、保管場所を変えて、移動しているのだと考えられます。しかし、理論的には、全ての商品に個別の番号をつけて、番号に紐付いた請求権を取引すれば、最終消費者が確定した段階で、ただ一回だけ、商品を製造業者から顧客の元へ移動させて、そこで所有権を移転させれば済むはずです。
今後、物流の合理化は非常に重要な政策課題となるわけですが、究極の物流の合理化は、物理的に商品を移動させないことです。この点、商取引において、所有権を請求権に転換すれば、商品自体を動かさずに、商品番号という情報に変換して移動させることができますから、究極の物流の合理化になるわけです。
現在の物流は、現金書留による送金のようだというわけですか。
通貨の存在形態は、基本的に、預金のなかの情報なのであって、紙幣と硬貨という物質は、もはや例外的であり、将来に向けて絶滅する方向にあります。商品がどのように取引されようとも、代金の決済は情報の交換によってなされていて、日々の巨額な決済資金の移動のなかで、物質としての現金の移動はゼロにも近い比重しか占めないわけです。
これに対して、物質としての商品を取引することは、いわば、代金決済の方法として、現金という物質を書留にして送るようなものであって、明らかに非効率です。しかし、今でも、鮨屋でクレジットカードを使うのが不粋なのは、鮨屋は、翌日、現金で市場から魚を仕入れるからであるように、旧態依然とした商慣行は、鮨屋に限らず、あちらこちらに、様々に異なる理由で、根強く残っているのだと考えられます。
住宅についても、所有することは非効率でしょうか。
現在、大量に存在する空き家が大きな社会問題になっていますが、その問題の核心は、家ごとに所有者が異なることです。つまり、所有権は排他的権利なので、所有者が放棄してしまえば、あるいは、所有者の所在が不明となれば、誰にも処分できないので、空き家は放置されるほかないのです。
また、より本質的な問題の背景は、そもそも、これらの放置されている家屋の多くは、経済成長期に、消費財として、即ち、住み捨てられる前提で建築されたことです。当時は、経済成長が続き、人口が増加していたので、耐用年数の尽きた住宅は、順次に建て替えられるはずだと想定されていたのでしょう。しかし、歴史の事実としては、大きな誤算が生じて、急速に人口減少に転じて、経済の低成長が定着したのですから、廃屋の放棄は当然の帰結ともいえます。
さて、住宅が耐久消費財として建築されるのは、住宅の所有を前提にしているからです。賃貸に供することを目的としていれば、賃貸事業者は、資産価値、即ち、賃料を安定的に発生させ得る性能を意識して、高品位な住宅を建て、かつ、その価値が毀損しないように、維持管理するはずであり、価値の失われた住宅については、放棄せずに除却して、土地を別の用途に転用するはずなのです。
住宅を所有すると、それに縛られる面もありますね。
家族構成は変化しても、住宅の大きさは変化しないので、子供が出ていくと、老朽化した大きな家が残って、そこに老夫婦が住む、あるいは老人が一人で寂しく住むことになるわけです。むしろ、居住の合理性だけを考えるのならば、家族構成の変化に応じて、あるいは、子供の教育や仕事の都合に応じて、その都度、最適な住宅を借り換えていくほうが効率的です。
また、住宅を借りていると、将来の家賃の上昇があり得るので、住宅を購入することで、その危険に備えるのだとしたら、別の方法で、よりよく目的を実現できます。つまり、家を借りて、同時に、J-REIT、即ち上場されている不動産投資法人に投資しておけば、家賃の上昇は、投資収益の増加によって、相殺されるわけです。
不動産を金融商品にすることで、所有権は請求権に変換されるわけですか。
不動産の金融商品化とは、不動産を所有する何らかの主体を設立し、その主体が不動産を裏付けとして何らかの証票を発行することであって、その発行された証票は、不動産の価値、即ち、不動産が創造する賃料の分配に関する権利を体現するものとして、金融商品と呼ばれるのです。金融商品は不動産の価値に対する請求権ですから、金融商品化は所有権の請求権への変換なのです。そして、不動産を金融商品化した代表例こそ、不動産投資法人の発行する投資口というわけです。
金融商品化の利点は何でしょうか。
第一は流動性であって、例えば、不動産投資法人は上場されているので、投資口の売買を容易に行うことができます。第二は小口化であって、投資口は小さな金額でも取得可能です。第三は分散であって、大きな投資法人は多数の物件に分散投資しているので、価値が安定しているのです。こうした利点があるからこそ、5000万円で自宅を購入するよりも、住宅を借りて家賃を払い、5000万円の投資口を保有して、家賃相当の投資収益を得るほうが合理的なのです。
・資産を所有して利用する人が資産価値を毀損するのだ(2020.9.24掲載)
住宅や事業は所有と利用・経営を分離してこそ資産価値を持ちます。個人所有のままでは非効率で価値が生まれず、専門的管理による投資対象化が必要であり、所有からの解放が人間の自由と社会的効率をもたらすでしょう。
・豊かな消費と賢い金融機能の利用が経済を成長させる(2025.3.6掲載)
資産形成は消費を削るのではなく、住宅ローンや保険など金融機能の合理化で捻出すべきですが、住宅は多くの場合資産価値を持たないため、投資信託等で資産を形成し、老後に必要な住宅を購入するのが合理的でしょう。
・投資法人は不動産と動産が一体化したものを取得できるのか(2025.8.28掲載)
データセンターは不動産と設備が一体化しており、建物部分はREIT対象ですが、サーバーなどの設備は動産扱いでインフラファンドの枠外となります。そのため資産区分が複雑で、結果的に株式を通じて投資する方が実務的で効率的でしょう。
(文責:加藤)
次回更新は、10月30日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。