トランプ氏の危険で粗暴な交渉術は、相手に大きな不利益を提示して、強引に交渉に巻き込み、相手との相互不利益の激しい応酬の先に、妥協点を模索するものなのでしょう。
商品販売の営業とは、顧客に対して、商品の効用という顧客の利益を先に提示して、購入を勧めることであるように、一般に、商業上の交渉においては、相手に対して、提案に応じることの利益を先に示します。そして、相手の利益を先にいうことは、商業に限らず、どの分野の交渉においても、基本原則であるはずです。交渉を始めるためには、相手の関心を引かねばなりませんが、相手の利益を示すことこそ、関心を引くための基本戦術だからです。
提案に応じないことの不利益を提示すれば、より強く相手の関心を引けるのではないでしょうか。
アメリカのトランプ大統領は、相手に提案するとき、提案における自分の利益を先にいい、次に、提案に応じないことの相手の不利益をいいます。これは、話術における知的洗練の進んだ現代社会においては、極めて特異な交渉戦術です。この戦術の有効性や、背後にある真意は不明です。しかし、少なくとも、トランプ氏は、間違いなく、現代社会の知的洗練の背後にある欺瞞性を暴露してしまったのです。
実のところ、商人が顧客の利益を先に提示するのは、自分の利益のためであり、広告宣伝や熱心な勧誘には、買わないことの顧客の不利益を暗に仄めかしている側面があります。つまり、そこには、真の意図を隠して表面を繕う話術の知的な洗練があって、それは一種の欺瞞といえなくもないのです。トランプ氏は、こうした欺瞞を排して、あからさまに、自分の利益と、相手の不利益を先にいっているわけです。
話術に洗練された技巧を凝らすからこそ、交渉は成立するのではないでしょうか。
自分の利益を先にいっても、相手の利益をいわなければ、相手の関心を引かないので、交渉は始まりません。相手の不利益を先にいえば、一種の恫喝として相手の関心を強く引くものの、反発を招くだけで、やはり、交渉が始まりません。故に、交渉においては、相手に多少の不利益を発生させる場合にも、それを凌駕する相手の利益を強調し、自分の利益は言外の前提として、敢えて、いわないのです。これは交渉における話術の常識です。しかし、トランプ氏の非常識は、常識に潜む意外な盲点をついているわけです。
盲点の第一は、相手の不利益になることを先にいうだけではなく、先に実行してしまうと、相手は交渉に応じざるを得ず、相手が交渉に応じずに、対抗策を講じるにしても、相互に相手の不利益を拡大させる闘争の先には、妥協点を模索する交渉への展開があって、いずれにしも、必ず交渉は始まることです。そして、第二は、自分の利益を先にいえば、その利益に参画しようとする人の関心を強く引き、周辺に多くの同調者を得ることで、交渉の前提条件となる力関係を大きく変動させることです。
株式市場における買収提案の公表にも、多少の欺瞞性がありますね。
買収提案は、必ず、真摯な内容、即ち、被買収企業の株主等のステークホルダー全体の利益になる内容を含みます。真摯なものでなければ、被買収側の企業として、交渉に応じる必要はなく、買収に向けた協議は始まらないからです。逆に、真摯な提案であれば、被買収企業の取締役会は真摯な検討をしなければならないのです。つまり、ここには、交渉における常識が働いているわけです。
しかし、実際には、多くの場合、買収提案を行う企業は、被買収企業との間で事前の協議をしていて、被買収企業の意向も考慮したうえで提案をしているので、提案が容易に受け入れられて、買収が成立しているのです。つまり、提案前の非公開の協議において、事実上、買収が成立しているので、正式な買収提案の公表は手続きの形式にすぎないともいえるのです。
事前交渉なしに買収提案を行うことはトランプ流でしょうか。
事前交渉のない買収提案が突然に公表されると、それが真摯な提案である限り、被買収企業の取締役会は、賛成するにしろ、反対するにしろ、外部からの強制のもとで真摯に検討したうえで、その結果を公表し、買収企業も、それに対応して反論等を公表することになります。こうして、買収の妥当性は、両者間の長時間の密室の協議ではなくて、公開の場での短時間内での討論の結果として、評価されることになるわけです。
また、買収提案を行う企業として、相手企業の取締役会が反対したとしても、公開買付けを強行する姿勢を明確にすれば、被買収企業としても、様々な対抗策の発動を強制されることになり、それが公開の場で評価されるわけです。こうした同意なき買収は、先手を打って相手を強制的に真摯な検討に巻き込み、全てが公開されていることで、社会的評価のなかで、交渉条件を変化させていくものであって、まさしくトランプ流です。
トランプ流は変革のための基本的手法なのでしょうか。
トランプ氏の交渉戦術は、密室での複雑な利害調整に時間をかける伝統的手法を否定し、開かれた社会に対して単純明快な行動宣言をすることで、短期間に根本的な変革を実現しようとする試みです。そして、行動宣言のなかでは、自分の利益が強調されているので、その利益に参画しようとする積極的な協力者が現れ、同時に、他人の不利益が強調されているので、その不利益を回避しようとする消極的な同調者が生まれて、変革が実現すると想定されているわけです。
こうした露骨な力の行使による手法は、知的洗練を重視する交渉の専門家が忌避してきたものですが、専門家ではない大多数の人からすれば、極めて単純明快で、わかりやすいものです。そして、このわかりやすさこそ、力の行使の効力を劇的に高めているわけです。もっとも、効果を更に増すために、トランプ氏が知的専門家を過剰に攻撃し、敵視することは無用であり、おそらくは、有害です。
変革を目指す起業家は、程度の差こそあれ、トランプ流になるのでしょうか。
真の起業には、必ず既成の社会秩序に対する挑戦という要素を含みます。逆に、既成の社会秩序を破壊し得るだけの起爆力のある起業だけが真の起業なのです。故に、真の起業には、何らかの大きな力の行使が必要なのであって、起業家は、起業による自分の利益を強調して、多くの賛同者を集めることで、その力を獲得するのです。そして、その賛同者の代表こそ、資金を提供する投資家なのであって、ここには資本の論理が働いているわけです。
資本は、その本質である自己増殖を継続するために、既成の秩序が拘束として機能するときには、それを破壊するべく、真の起業家のもとに移動し、また同意なき買収の実行者を支援します。つまり、真の起業や同意なき買収は、トランプ流なのではなくて、資本主義的なのであり、実業家であるトランプ氏も極めて露骨に資本主義的なので、そこに共通性があるだけなのです。
修正資本主義から、無修正の露骨な資本主義への回帰ですか。
現代資本主義は、資本の身勝手な自己増殖を許容するものではなく、経済の持続的な成長を実現できるように、国際的な協調のもとで、複雑で膨大な諸規制を通じて、資本の活動を拘束してきました。トランプ氏は、こうした資本の拘束のなかにアメリカの不利益を見出し、拘束を担う専門家の知的専横を敵視し、諸規制の正当化に使われる社会的諸価値の標榜を攻撃し、資本の自由な動態を再生しようとしているわけです。
トランプ氏は、全く新たな方法で、経済の持続的成長を目指しているのでしょうか。
世界経済において、既成の先進諸国の地位が低下し、中国等の新興勢力の影響力が著しく大きくなっているなかで、先進諸国の旧秩序に基づく現在の国際協調の枠組みは、経済の持続的な成長を実現するための有効性を失いつつあります。
こうした状況において、トランプ氏は、極めて危険で粗暴な方法を用いてでも、旧勢力の秩序を破壊し、新勢力を含む全く新たな秩序を形成しようとしているわけで、実際、相手の著しい不利益を先に提示することで、既に、相手を強引に交渉に巻き込んでしまっています。そして、当面は、相手との相互不利益の応酬があるにしても、最終的には、交渉による妥協点の模索になると読んでいるのでしょう。
・企業における「ステークホルダーによし」の経営哲学(2025.6.5掲載)
自己の利益の追求だけではなく、自己を含む経済圏に対する正しい認識と経済圏の強化が事業を持続可能とするのではないでしょうか。
・成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会(2010.5.6掲載)
成長資本の定義とその必要性について論じています。
・ベンチャー企業の起業と教育(2009.8.10掲載)
起業家を教育で育てることは可能であるか、という問いに答え、起業家の理論と実践を体系化することの重要性を説いています。
(文責:広瀬)
次回更新は、6月19日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。