金融の基本原則は顧客の利益に反した独善ではないのか

金融の基本原則は顧客の利益に反した独善ではないのか

森本紀行
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金融機関は、金融の基本原則に忠実であることによって、自己本位の独善に陥っているのではないか、金融庁のいう顧客本位とは、その独善の迷妄からの覚醒ではないのか。
 
 単名のころがし、略してタンコロです。銀行等の手形貸付は、債務者を振出人、銀行等を受取人とする約束手形を担保に徴求する手法ですが、この手形は、債務者が一名なので、単名手形、略して単名と呼ばれていて、ころがしとは、手形の期日、即ち、融資の弁済期日が到来するごとに、期日を書替えて、弁済を先に繰り延べることを意味しています。
 このタンコロについては、古くから多くの議論がなされていて、かつては、金融庁の検査における指摘事項になったこともあります。いうまでもなく、論点は、期日に弁済されていない以上、正当な融資とはいえないというものです。
 
顧客の利便性のために、弁済して再び借り直す手間を省いただけではないのですか。
 
 手形貸付は、運転資金を供給するための短期融資の簡易な方法として、使われるものです。企業にとって、企業活動が継続している限り、運転資金に対する需要は、経営状況によって増減はするものの、経常的に存続する、即ち、企業が期限の定めなく継続する事業体であるのならば、経常運転資金も期限の定めなく存続するので、それに対応している手形貸付も期限の定めなく存続する、これがタンコロの本質なのです。
 ここで重要なのは、第一に、期限について有期と無期との区別があり、有期について短期と長期の区別があって、タンコロは、短期を長期にすることではなく、有期を無期にすることであること、第二に、資金使途の性格に適合するように資金供給するのが真の金融であることからすれば、タンコロは、顧客の利益に適う論理的に正しい手法だということです。
 
無期ならば、融資ではなくて、出資ではないでしょうか。
 
 かつての金融庁の論点は、融資として取り扱うのならば、期日に弁済されるべきだから、タンコロは不健全な融資であり、弁済されないで無限に書替えがなされるのならば、純粋な融資ではなくて、出資に準じて、資本性のある融資として取り扱うべきだということでしょう。
 しかし、より重要なことは、使途との適合性であって、資本は不確実性の大きな資金使途に対して用いられる手法であるのに対して、運転資金は、付随する不確実性が小さいのですから、融資が適合しているわけであって、タンコロとは、運転資金が出金と入金を繰り返して回転している実態に対して、弁済と新規融資の回転を適合させるべきところ、手続きを省略して、簡易に済ませているだけのことなのです。
 
金融庁の論点として、漫然と書替えることの問題性もあるのではないでしょうか。
 
 運転資金の増減は、企業の経営状況の変動を如実に反映します。運転資金が減少していくことは、資金回収を早める経営努力の結果でない限り、業況の縮小を意味し、運転資金が増加していくことは、業況の拡大がない限り、在庫の増加による可能性があって、むしろ業況悪化の兆候である場合が多いでしょう。
 本来は、銀行等には、書替えに際して、顧客の業況の変化を分析し、必要な支援を行うことや、融資条件の変更を行うことで、与信判断を常に最新のものに更新していくことが求められているわけですが、次第に、それが形式に堕していくことは避けられないわけで、金融庁が問題にしたのは、漫然と書替えを継続している実態であったと考えられます。
 
現金による弁済は、金融規律の維持にとって、不可欠ではありませんか。
 
 融資には期日があり、その期日が厳格に守られることは、金融規律の基本です。そして、規律なき金融はあり得ないのですから、期日が到来すれば、債務者は、弁済の事実を明確に示すために、必ず現金で弁済しなければならない、これは不変不動の原則なのだと考えられます。タンコロは、この原則に反しているために、かつて金融庁が疑念を抱いただけでなく、銀行等の当事者にも、おそらくは、後ろめたい感じを与えるのでしょう。
 
顧客の利便性よりも、経営の原則を優先させるのは、顧客本位に反するということでしょうか。
 
 現金による弁済は、金融の大原則とはいっても、金融規律を維持するための別の方法もあり得るのですから、見方を変えれば、融通の利かない頑迷固陋な思い込みにすぎない可能性もあるわけです。それにもかかわらず、顧客の利便性を高めるための健全なタンコロに対して、否定的な見解を抱くのは、顧客本位に反しているといえます。
 実は、かつての金融庁は、金融機関に対して、金融の基本原則の徹底を求めていたために、タンコロに否定的だったのですが、現在の金融庁は、行政方針を抜本的に転換させて、顧客本位の徹底を求めるようになったので、タンコロに関する見解も大きく変化させているはずなのです。
 そこで、金融機関としては、顧客の利益の視点で、例えば、タンコロにおいても金融規律が徹底される仕組みを考えるなど、業務運営を抜本的に変えていかなくてはならないのですが、金融の現場から遠いところにいて手足を動かしていない金融庁にとっては、頭の転換は容易でも、金融機関にとっては、体に染みついた行動様式の転換は容易ではないということです。
 
金融機関には、他にも多くの思い込みがあって、顧客本位の徹底を妨げているのでしょうか。
 
 顧客の資金需要に対して融資をする、これは自明の原則です。しかし、企業の資金需要が旺盛だった経済成長期には、銀行等は、この原則に忠実に従うことで、いとも簡単に経営できたのですが、経済の成熟が著しく進行し、自然な資金需要が大きく後退した現在においては、逆に、この原則に従うことは、経営の行き詰りの原因になっているわけです。
 そこで、金融庁は、顧客本位の名のもとで、銀行等に対して、顧客の利益の視点における業務運営の改革を促すに至ったのです。つまり、顧客の視点で融資の目的の見直しを行うとき、企業経営にとっては、資本効率を高めるための技法として、個人の生活にとっては、家計を合理化させる道具として、新たな機能が発見されて、そこに、従来とは異なった資金需要が創造されるはずだということです。金融庁は、こうした経営戦略の転換を持続可能なビジネスモデルの構築と呼んでいます。
 
顧客の弁済能力の評価に基づく融資という原則についても、同じことがいえますか。
 
 金融庁は、かねてより、事業性評価に基づく融資という表現のもとで、銀行等に対して、融資実行時の静態的な弁済能力を重点的に評価することに再考を促し、将来の動態的な弁済能力に着目するように要請していて、融資時の審査における基本原則の転換を求めてきたわけです。ここには、当然に、銀行等は顧客の弁済能力を高めるように経営支援することが含意されていますから、これが顧客本位の徹底であることは明らかなのです。
 
金融庁のいう資産形成も、投資信託の販売の原則を変えるものですね。
 
 金融機関の投資信託の販売においては、顧客の使途の決まっていない手元資金を対象にするのが原則でした。これでは、長期的な投資というよりも、短期的な投機の提案に堕していくのは当然で、そのことが結果的に顧客の利益に反した事態を生み、投資信託の健全な発展を阻害してきたのです。
 それに対して、金融庁は、投資信託に資産形成の道具という重要な金融機能を認めて、更に、資産形成の目的の代表例として、老後の豊かな生活のための原資の形成を掲げています。つまり、金融庁のいう顧客本位とは、金融機関に対して、将来の決められた使途に向けた計画的な資産形成を提案し、投資信託からの投機の要素の排除を求めることなのです。
 ここで重要なことは、投資信託の健全な発展は、金融機関の大きな利益になることであって、ここでも、金融庁は、顧客本位の徹底と持続可能なビジネスモデルの構築を一体化させているのです。しかし、現状、主要な金融機関において、こうした金融庁の路線にそった抜本的な発想の転換ができているところはなく、投資信託の販売実態が旧来のままであるのは、とても嘆かわしいことです。
 
顧客の側にも、投資と投機を混同する思い込みがあるからではないでしょうか。
 
 事業経営の基本は、顧客の思い込みと自分自身の思い込みが一致しているところに事業停滞の原因があるとき、自己変革によって自分自身の思い込みを打破し、自己の行動様式を革新し、それを顧客の意識と行動様式の転換につなげて、新たな需要を創造することです。つまり、金融機関は、顧客本位を徹底する前提として、自己改革を徹底しなければならないのです。
≪ 関連する論考をご紹介いたします ≫
銀行等の持続可能なビジネスモデルとは何か (2021.6.24掲載)
ビジネスモデルとは、顧客を特定することですが、難解な問題であって、金融庁も明快には答えられないでしょう。
預金取扱業務においては、顧客不在から脱却し、決済と資産形成への業態転換により、改めて顧客を発見し、顧客本位を徹底すること、融資業務においては、貸すべき先の顧客を特定して顧客本位に転換すること、この二つが金融庁のいう持続可能なビジネスモデルの構築にほかなりません。法令上の手続きに留まらない、顧客の視点からの課題解決支援とはどのようなものかということを述べています。

ルールを上手に破る銀行が勝つ (2018.3.8掲載)
ルール墨守からは革新が生まれず、金融の革新なくしては超成熟社会の課題から脱却できないため、金融庁はルール主義からの脱却を説いています。
上手なルール破りは真の合理化であり、むしろ新ルールの創造であるのに対し、手抜きはルール知らず、もしくはルール無視なのであって、新規創造の基礎となるべき根幹を破壊します。
金融庁がいっていることは、ルールの背景には、その合理性を支える原則があるはずであって、その原則に常に立ち返ることなくしては、表層的なルール墨守から脱却できないと述べています。

見ろよ青い空的な大きな言葉の効用について (2018.2.22掲載) 
大きな言葉の巧みな使用の代表例として、フィデューシャリー・デューティーがあります。抽象的で具体的な意味が分かりにくいものの、非常に深遠な意味が籠められていることが予感されます。表層的なルール遵守の徹底に没却していた金融機関に対し、施策として強い効果を発揮しました。
(文責:飯塚)

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。