資産が膨らめば夢も膨らむ

資産が膨らめば夢も膨らむ

森本紀行
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人には将来の夢があり、それを早く実現をするためにローンがある、かつて、スルガ銀行は、このことを夢に日付をいれると表現し、大成功を収めました。しかし、今となれば、ローンで日付を前倒すよりも、資産形成で後ろ倒すほうが重要なのです。
 
 スルガ銀行は個人金融部門に特化した異色の銀行として知られていますが、その事業戦略が明確な形をとったのは、2000年の「コンシェルジュ宣言」においてです。そこでは、夢という言葉が使われていて、スルガ銀行の事業目的は、個人顧客の夢をかたちにし、夢に日付をいれることとして、定義されていたのです。
 この夢に日付をいれるという表現は、時間を軸にした金融機能の本質を実に巧みにとらえたものとして、現在でも少しも価値を失っていません。つまり、例えば、将来のどこかで住宅をもちたいという誰でも抱く夢について、それを具現化して、そこに現在の日付をいれるのが住宅ローンという金融機能の本質なのだということです。
 もちろん、住宅を購入することは長い時間をかけて資金を貯めることでも実現できますが、それでは大切な自分の家に住む期間が短くなってしまい、夢の実現方法としては不十分です。よりよく夢を実現するためには、先に買って長く住む必要がある、その必要を充足するものこそ住宅ローンであるわけです。
 住宅のほかに、車などの色々なものを買う、旅行する、海外留学する、子供を私立学校にいれる、人には様々な夢がありますが、実現するための資金が不足していることも多いわけです。そこに融資をすることで、夢に具体的なかたちを与え、実現できる時期の日付を定める、これこそ個人金融の本質ですから、スルガ銀行の事業戦略は、実は、少しも新奇ではなく、極めて常識的であったのです。
 
では、なぜスルガ銀行は異端と呼ばれたのでしょうか。
 
 銀行界において、常識的なスルガ銀行が異端とされてきた理由は、銀行界が非常識だからです。実際、例えば、頭取という名称を社長に改めたことをスルガ銀行は自慢していますが、世間一般の常識からすれば、社長を頭取と呼ぶ銀行界が非常識なのです。また、個人金融の領域に特化したことも、顧客の特定こそが商業の常識なのであって、何から何まで横並びで総合的な業務展開を行っている銀行界の通弊が非常識なのです。
 また、スルガ銀行は、顧客の夢を叶えてあげたいという気持ちのもとで業務運営を行うことをもって、社是としたのですから、現在の金融庁の用いる表現によれば、顧客本位の徹底を経営理念にしたわけですが、それが差別優位となって成功したのは、他の銀行が少しも顧客本位でなかったからであって、顧客本位は商業の常識ですから、やはり、銀行は非常識なのであり、故に、依然として、銀行に顧客本位の徹底を求めることは、金融庁の行政課題であり続けているのです。
 
なぜ顧客の夢に着目することが顧客本位になるのでしょうか。
 
 例えば、住宅ローンの申し込みがあったとして、普通の銀行の立場からいえば、融資の可否の判断と融資条件だけが問題になるのですから、顧客の所得等の客観的指標で表現される属性と、対象となる住宅の価格等の客観的指標で評価される属性だけに着目すればよく、生きた人間としての顧客を見る必要はなく、ましてや、顧客の夢に思いをはせ、夢が叶う喜びに共感する必要など全くないのです。
 それに対して、スルガ銀行の経営理念においては、住宅ローンの申し込みを受けた行員には、まずは顧客の夢を叶えてあげたいという気持ちを抱くことが求められるのですから、その後で他行と同じ諸手続きに移行するとしても、顧客との会話は生きた人間同士のものとなり、そこに自然な親しみと思いやりが滲み出たでしょうし、より詳細に顧客と住宅の属性を調べ、数値化できない要素も考慮に入れることにより、融資の可否の判断や融資条件等にも差異が生じたと考えられます。
 ちなみに、金融庁の施策のなかには、銀行の法人融資に関して、事業性評価に基づく融資の推進を求めるものがあるのですが、その基本的な考え方は、こうしたスルガ銀行の個人に対する融資姿勢を法人に対する融資に適用したものにほかならないといえます。
 
では、なぜ、その優等生だったスルガ銀行は、投資用不動産向け融資において、顧客本位に反した問題事象を引き起こしたのでしょうか。
 
 スルガ銀行は、2016年4月に、顧客の夢を叶えることに奉仕する人、即ち、「コンシェルジュ宣言」にいう「コンシェルジュ」という表現を改めて、「夢先案内人」、あるいは「ドリーム・ナビゲーター」に変更していますが、これは単なる言葉の変更ではなかったのです。
 つまり、「コンシェルジュ」にこめられた思いは、「対話を通してお客さまの思いを把握し、寄り添い、夢を叶えてさしあげたい」というものであったのに対して、「ドリーム・ナビゲーター」においては、「お客さまの人生やビジネスをより積極的に、より能動的に、より良い方向へとナビゲートさせていただきたい」という思いに変更されたのです。
 この変更の意味するところは明瞭で、スルガ銀行は、顧客に積極的に働きかけて夢を大きく膨らませ、その分、夢の実現に要する費用を膨らませ、融資量の拡大を図ることを目指したのです。これは、必要を超えた融資需要を創造することであり、夢を叶えるための金融という本来の目的からの完全な逸脱なのであって、その自然な延長として、必然的な帰結として、投資用不動産向け融資における問題事象があったのです。
 
ローンで夢を叶えるということ自体、既に時代錯誤だったのではないでしょうか。
 
 昭和の貧しかった時代、物が豊かではなかった時代には、夢は物を買うことであり、物は、住宅であり、車であり、その他、電気製品などでした。しかし、物の貧しさは、同時に、蓄積の貧しさでもありました。故に、物と蓄積における二重の貧しさを補う金融、即ち物を買うためのローンの提供は社会の必需であり、スルガ銀行ならずとも、どの銀行でも簡単に成功できたのです。
 しかし、豊かな社会が到来し、物が飽和してきて、物の製造販売が伸びなくなり、経済の低迷が始まったとき、蓄積も豊かになっていたのですから、物と蓄積における二重の豊かさのなかで、銀行全体の個人ローン事業は伸びなくなります。そこで、スルガ銀行は、個人顧客の新たな夢、隠された夢を掘り起こすことで成長を維持しようとし、事実、それに成功したのです。そして、その夢すら飽和したとき、スルガ銀行は夢を捏造するに至り、大失敗を演じました。
 要は、スルガ銀行は、貧しき時代に融資を提供することで社会的使命を果たしてきた銀行の伝統から一寸たりとも踏み出すことはできず、豊かな社会における構造転換に気づくことがなかったという意味では、普通の銀行だったのであり、失敗の真の原因も、そこにあったのです。
 
豊かな社会における構造転換とは何でしょうか。
 
 豊かな社会における個人金融の課題は、投資、即ち、豊かな蓄積の効率的な運用、あるいは金融庁の用語を用いれば、資産形成になっているのです。つまり、スルガ銀行の表現を使えば、夢を叶えるための金融機能は、融資によって夢の日付を早めることから、資産形成によって夢の日付を遅らせることに変わってきているということです。
 例えば、物議を醸した金融庁の2000万円報告書ですが、ここでは、より少ない原資で2000万円の資産を形成できれば、豊かな老後生活の夢が叶うという主旨が展開されていて、妙な経緯で政治問題化したにしても、おかげで有名となり、むしろ国民一般の理解を得たわけです。
 
投資で夢の実現を遅らせれば、その分、資金が膨らみ、夢も膨らむということですね。
 
 スルガ銀行は、旧態依然たる融資主軸の考え方のもとで、夢を膨らますことにより融資額の増大を図りましたが、これからの金融においては、高度な資産形成機能の提供によって、顧客の資産を膨らませ、その結果として、顧客の夢も膨らむようにしなくてはならないのです。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。