タクシーで学ぶ働き方改革の本質

タクシーで学ぶ働き方改革の本質

森本紀行
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • mixiチェック
働き方改革の核心は、働きの成果は必ずしも働く時間に連動しないことですが、だからといって単に働く時間を減らそうとすることは愚劣の極みであって、成果につながる働き方とは何かが問われなくてはなりません。そして、成果とは原理的に顧客の手元に生じた付加価値なのですから、働き方改革の本質は顧客と働く人の視点での事業構造改革になるはずです。その事例をタクシーについて検討してみましょう。

 かつての東京では、都心の道路の渋滞は珍しくありませんでしたから、タクシーに乗ることは、時間と費用に関する大きなリスクを伴うことであって、余計に時間がかかって料金も高くなる、その不合理を承知のうえでタクシーのほうが快適だと思える人にはよくとも、多忙で厳格な時間管理のもとで活動する人にとっては適切な選択肢でなかったといえます。
 逆に、今の東京では、都心の道路の渋滞が珍しくなりました。それでも、タクシーに乗れば余計に時間がかかって料金も高くなるという不合理は、運転手が不適切な経路を選択したときに避け難く生じます。この不合理から起きる紛争を回避するために、事前に運転手が顧客に希望の経路を聞く慣行になっているわけですが、このことは専門家である運転手が素人の顧客の判断をあおぐという別の不合理を生じさせています。

運転手のほうが専門家としての知識と経験を総動員して、最適経路を提案すべきですね。

 現在の慣行は、その本来の主旨においては、顧客が経路を指定することは稀で、運転手に判断が一任される前提のもとで、運転手が事前確認のために最適経路を提示し、それに顧客が同意することをもって、理想形にしているのだと思われますが、実際に、その主旨が貫徹しているかどうかは疑問です。
 なぜなら、主旨が貫徹するためには、全ての運転手について、顧客の行先を聞いた瞬間に最適経路を特定できるだけの知識と経験が必要とされ、例えば、理想的には、道路の状況によっては少し遠回りでも時間的には早いと予想される経路を選択的に提示できるだけの高度な技量が要求されるのですが、それは残念ながらタクシー業界の現実ではないでしょう。

道を知らない未熟な運転手も少なくありませんからね。

 本来は専門家であるべき運転手が道を知らないが故に顧客の指示をあおぐのは不合理であり、ましてや顧客は道を知らないが故にタクシーに乗ったのに運転手も道を知らないのでは理不尽であって、そのような職業的運転手たるべき資格を欠いた人に乗車させていることはタクシー産業の構造的悪弊ですから、運転手の資格要件を厳格にし、最低限の教育を経た人だけが乗車できるように改善されるべきです。
 しかも、最低限の教育では不足です。なぜなら、かろうじて道を知っていても最適な経路を選択できない運転手は、必要以上に長い時間と割高な料金をもたらすことで顧客に不利益を与えることになるからです。タクシー産業のあるべき姿としては、最適経路を選択できるようになるまで運転手を訓練したうえで乗車させるべきなのです。
 あるいは働く人の立場でいえば、運転手として、最適経路を選択できるように修練を積む方向へ利益誘引等で動機づけられるべきなのです。これが運転手の働き方改革のあるべき構図です。

顧客の不利益がタクシー会社の売り上げ増加につながるとしたら、典型的な利益相反ではないでしょうか。

 不適切な経路選択のもとで運行すれば、顧客の利便性が低下し、しかも逆に費用が増えるわけですが、タクシー会社の売り上げは増え、運転手の所得も増えます。これは顧客の損失のうえに業者の利益を形成することですから、明瞭な利益相反です。しかし、その利益は、全ての利益相反による利益と同じように、持続可能なものではなく、真に持続可能性のある利益は最適経路からしか生まれないのです。
 ここで最適経路とは、高速道路の利用を考えない一般道での通常の走行の場合、最短距離の経路であり、同時に最短時間の経路であり、最小費用の経路でもあります。全てのタクシーが最適性のもとで運行されれば、顧客の利益が最大化されるだけではなく、同時に、タクシーの供給と需要が均衡している条件のもとで、タクシーの稼働率は最大となり、タクシー会社の利益と運転手の所得も最大化するはずです。こういう最適性のもとでの事業運営こそ、真の利益の源泉です。
 そこで、論点は、どのように制度設計をしたら最適性が実現する方向へタクシー会社の経営者と運転手の行動が動機づけられるかということになります。これは、先ほど指摘した運転手の自己研鑽への利益誘因と同じ問題で、ここに働き方改革の本質があるわけです。

距離と時間で料金を算定することを改めるべきではないでしょうか、まさに働き方改革で時間を基準にした考え方が問題視されているように。

 距離と時間で料金を算定するとしても、最適経路を基準にすれば合理性を確保できます。つまり、最適経路においては、原価が同一区間に対して最低となるので、その原価に一定の利益率を掛けて料金を算出すればいいわけです。
 この仕組みのもとで最適経路ではない経路が選択されたときには、原価は上昇しても料金は同じなので、タクシー会社に損失が発生しますが、歩合制のもとでは、それは同時に運転手の損失となし得るので、運転手は最適経路を選択する方向へ、即ち顧客の利益が守られる方向へ、そして結果的にタクシー会社の利益も守られる方向へ動機づけられるわけです。
 こうして、働き方改革の根底にある要請として、時間に応じた報酬から成果に応じた報酬への転換があるわけですが、何をもって成果とするか、どう成果を測定するかなどの論点は、一般的にはタクシーほど簡単ではありません。故に、ここでは簡単なタクシーを例にするのです。

成果を基準にした制度設計のもとでは、働く人の自己研鑽努力を促す効果が重要ですね。

 働き方改革には、明瞭に個人の自立と自律を促す要素が組み込まれています。タクシーの運転手として真のプロフェッショナルを目指すとき、より具体的には個人タクシーを開業しても十分にやっていけるだけの自負を形成しようとするとき、自己研鑽は絶対的な要件です。
 一般に、働く時間の短縮が働き方改革との関係で真の意味をもつとしたら、余暇を自己研鑽に充当する場合だけでしょうが、タクシーの場合、被用者としての運転手から独立した自営業の運転手への成長に向けて、自己研鑽が被用者としての勤務のなかで構造的に促されるとき、顧客、運転手、タクシー会社の三者の利益は同時に増加する方向へ協調されるわけです。

老後生活資金形成の意味もあるのではないでしょうか。

 働き方改革の本質は、他律から自律へ、苦役としての労働から生きがいとしての仕事へという転換です。強制されたら苦役となることも、生きがいとして自律的に行えば喜びになり得ます。苦役だから辞めることが目標となり、辞めれば所得がなくなるから老後生活資金形成が問題となるわけですが、喜びなら続けることが目標になり、働ける限り働くので所得がなくならないのです。
 こうして、政策全体の整合性のもとで、働き方改革が公的年金等の老後生活資金形成の構造改革と連動していることは明らかです。

運転手への動機づけが機能したとしても、タクシーの稼働率には影響しないようですが。

 稼働率は市場原理の徹底で高めるほかないと思われます。つまり、原価に掛ける利益率の設定において、需要が地域や時間帯の違いで変化するのに応じて、需要が多い場合は高く、少ない場合は低くすれば、運転手は需給が均衡する方向へ活動の場を移すはずです。
 また、道路の混雑状況に応じて原価の時間要素が変動するので料金も変動するわけですが、料金が高くなればタクシーに乗ることが時間の短縮にならないことを通知する効果をもつので、顧客は不利益を回避する方向へ動いて需要が減少し、また、運転手が自己の才覚で高料金よりも高稼働率を選好すれば供給も減少することで、最適な均衡点へ向けて需給が調整されていくでしょう。

運転手の才覚といえば、運転手間の能力の格差、就労意識の格差はなくならないので、顧客の立場からいえば、どの運転手にあたるかは決定的に重要ではないでしょうか。

 路傍で手を挙げてタクシーに乗るとき、どの程度の質の運転手にあたるかは全くの偶然であって、そこに大きなリスクがあるわけです。実際、急いでいるからタクシーに乗ったのに、道を知らない新人運転手にあたって困惑した経験は誰にもあるでしょう。そこで、運転手の質に関する評価情報が公開され、顧客が評価に基づいて運転手を選択できるようにすることが必要です。
 そもそも、運転手の質に関するリスクだけでなく、空車のタクシーが見当たらないリスク、混雑状況に応じて長時間となり高額となるリスクなど、タクシーの利用にリスクが多すぎることは、電車が確実という顧客の評価となって、タクシー需要の低迷を招いているわけですから、逆にリスクを低下させる工夫によって、潜在需要を開発できるということです。

これまでに論じられたことは、要は、顧客の視点でタクシー利用のリスクを低下させる工夫ですが、実際の事業に適用するには技術的な制約などの障害が多くはないでしょうか。

 スマートフォンの普及と位置情報の高度利用は技術的環境を根本から変えてしまいました。顧客が目的地の正確な位置情報を入力すれば、顧客の正確な現在位置に基づいて、目的地までの固定料金と見込み時間、顧客周辺にいるタクシーの運転手の評価と正確な位置が示され、顧客が特定のタクシーを選択すれば、料金支払いが自動決済され、タクシーが顧客に到達するまでの見込み時間が示され、後は待つだけとなる、これは既にウーバー(Uber)が実現していることです。
 しかし、技術環境の変化がウーバーを生んだと考えることは正しくないでしょう。そうではなく、既存のタクシー産業の構造が矛盾に満ちていて、顧客の利益を損なっているだけでなく、産業の発展も阻害しているという事実の分析に基づき、タクシー産業のあるべき姿を理論的に構想することで必要となる技術要件が明らかになっていって、その高度技術の利用費用が閾値を超えて低廉となったとき、一気に事業として花開いたということです。

ここでタクシーについて述べられたことは、理念的には全ての産業に適用できるのでしょうか。

 上にタクシー産業について述べたことは、情報技術利用のあり方、利益相反を回避する利益誘因構造の設計、自律的に働く喜び、被用者としての定年のない世界など、全ての産業に共通した課題であり、普遍的に適用のあることです。問題は、タクシー産業の場合は成果の定義と測定が容易であるのに対して、一般的には成果の定義と測定が難しいことです。しかし、それは技術的なことにすぎないわけですから、必ず何らかの解法があるはずです。
 重要なことは経営者が働き方改革の本質を徹底的に考え抜くことです。それを単なる労働時間の短縮による生産性の向上ととらえているような経営者のもとでは、企業に未来はないでしょう。


以上


次回更新は、4月4日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/10/26掲載「金融のフィデューシャリーを目指す働き方改革
2017/05/11掲載「お金の貯め方改革と生き方改革
2013/08/01掲載「人、創造の場、環境としての企業
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。