スルガ銀行が夢に日付をいれるやり方

スルガ銀行が夢に日付をいれるやり方

森本紀行
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スルガ銀行の個人金融事業の戦略は、顧客の「夢をかたちに」して、「夢に日付を」いれること、即ち、「対話を通してお客さまの思いを把握し、寄り添い、夢を叶えてさしあげたい」という理念に集約されていたようです。敢えて過去形にするのは、スマートデイズ社関連の問題を機に、見直しが不可避になるだろうからですが、さて、この理念のどこに事件を引き起こす要因があったのか。

 スルガ銀行が使ってきた顧客の夢に日付をいれるという表現は、時間を軸にした金融機能の本質を実に巧みにとらえていて、いたく感心せざるを得ません。
 将来のどこかで住宅をもちたいという夢を具現化して、それに現在の日付をいれるものが住宅ローンです。住宅を購入することは長年かけて資金を貯めることでも実現できますが、それでは持家に住む期間が短くなって夢の実現として不十分です。夢を実現するためには先に買って長く住む必要がある、その必要を充足するものこそ住宅ローンであるわけです。
 住宅や車などのものを買う、旅行する、海外留学する、子供を私立学校にいれる、人には様々な夢がありますが、実現するための資金が不足していることも多いわけです。そこに融資をすることで、夢に具体的なかたちを与え、実現できる時期の日付を定める、これこそ個人金融の本質ですから、スルガ銀行の事業戦略は、その限りでは、保守本流の正当性を有するものであったわけです。

保守本流の正当性のどこに新奇性を求めたらいいのでしょうか。確か、スルガ銀行は革新的先進性をもって知られてきたのではないでしょうか。

 さて、改めてスルガ銀行が「銀行界の異端児」と呼ばれてきた理由を考えてみると、確かに、何が異端なのかわからないわけで、要は、銀行界全体が非常識なので、常識的なことをしてきたスルガ銀行が異端にみえたという馬鹿馬鹿しい話かもしれません。実際、例えば、頭取という名称を社長に改めたことをスルガ銀行の経営者は自慢していますが、世間一般からすれば、実にくだらないことです、仮に他行の頭取が驚愕したとしても。
 もっとも、好意的にスルガ銀行の取り組みを評価してみると、そこに顧客本位な視点があったことは否めません。つまり、これも他行がおかしいだけだということに帰着するのかもしれませんが、顧客の「夢を叶えてさしあげたい」という顧客本位な姿勢の貫徹こそ、他行にはない差別優位だったのでしょう。
 例えば、住宅ローンの申し込みを受けたとして、普通の銀行の立場からいえば、そこにあるのは、客観的指標の組み合わせで表現される一定の属性をもった見込み顧客と、客観的指標の組み合わせで評価される一定の価値をもった住宅だけであって、後は、それら諸指標から導出される融資の可否の判断と、融資条件だけが問題になるのであって、顧客の夢に想到する必要など全くないといわざるを得ません。
 それに対して、スルガ銀行の場合、住宅ローンの申し込みを受けたとき、まずは「夢を叶えてさしあげたい」という気持ちを抱き、その後で他行と同じ諸手続きに移行するのだとすれば、顧客との会話のなかにも自然な親しみと思いやりが滲み出るでしょうし、場合によっては、融資の可否の判断や融資条件等にも微妙な差異が生じるかもしれないのです。
 おそらくは、そうすることで顧客の支持を獲得し、今日まで成長してきたということなのだと想像されます。その限り、立派な銀行だったのでしょうし、この顧客の視点は、スマートデイズ社関連の問題事象にもかかわらず、高く評価されるべきものです。

それにしても、スルガ銀行のウェブサイトをみると、あまりにも夢という字が頻出していて、過剰ではないでしょうか。

 どうやら、夢という言葉が頻出するようになったのは、2000年の「コンシェルジュ宣言」からで、ここで、「夢をかたちに」し、「夢に日付を」いれることがスルガ銀行のミッションに定められたようです。そして、おそらくは、スルガ銀行の重要な転機は、2016年4月に、「コンシェルジュ」を改めて、「夢先案内人」・「ドリーム・ナビゲーター」としたことにあるのではないでしょうか。ここには、「お客さまの人生やビジネスをより積極的に、より能動的に、より良い方向へとナビゲートさせていただきたい」という思いがこめられていたとのことです。
 戦略の本質的転換は、用語の選択において既に明らかです。顧客の夢に対して受動的に行動する「コンシェルジュ」から、顧客に対して積極的に、能動的に働きかけて夢を創造していく「夢先案内人」、あるいは「ナビゲーター」への変更は、スルガ銀行は進化という言葉を用いているものの、同一方向の進化ではあり得ず、全く別方向への転進だと考えられます。
 なぜなら、この転換の結果として、スルガ銀行は、顧客に積極的に働きかけて夢を大きく膨らませ、その分、夢の実現に要する費用を膨らませ、融資量の拡大を図ってきたのだと考えられるからです。これは、必要を超えた融資需要を創造することであって、金融の進化どころか、夢を叶えるための金融という本来の目的からの完全な逸脱であって、その自然な延長として、スマートデイズ社関連の問題事象があったのです。

融資額を無理に伸ばすために、表層的な顧客満足を煽り始めた段階で、顧客本位から逸脱してしまったのですね。

 現代社会の消費を支えるものは、衣食住の実質的な機能をはるかに超え、生活の必需をはるかに上回った付加価値の創造ですが、それを否定すれば、経済どころか、人間の文化的生活の向上そのものを否定することにもなります。あからさまにいって、無駄な消費という病理こそ、資本主義社会の進化の推進力なのです。
 しかし、金融をはじめ、医療、教育、交通などの規制業においては、無駄を排した実質的機能の向上が求められています。規制業というのは、人間の社会生活にとって必要不可欠な機能を、公正な価格で、公平にいきわたらせることを目的として、規制を正当化しているのです。つまり、資本主義の原理に委ねてしまうと、供給面や価格面において必要な機能を得られない人が生じ得ることから、規制されているということです。
 ところが、規制には弊害も多いわけです。なぜなら、規制は、人工的な参入障壁の構築、価格統制、競争制限など、必ず業者の保護になり、保護は、不可避のこととして、業界の非効率と革新の抑制を生むからです。銀行など、典型的に業者本位になっている事例であって、スルガ銀行が商機を見出し、差別優位を確立できたのは、銀行界の主流に反して逆に顧客本位に徹したからです。
 しかし、スルガ銀行が後に陥った罠は、金融の社会的機能を没却して、消費の一般原則と同じように、必需を超えた需要の創造や、無駄な機能の膨張による表層的な付加価値を過剰に追求し始めたことです。つまり、顧客本位を超えた顧客満足の追求です。背景に収益至上主義の弊害のあることは論を待ちません。

顧客本位に考えれば、夢の実現は家計規律の維持を前提にしたことでなければならないのですね。

 スルガ銀行の営業姿勢を典型的に表現しているのは「d-labo(夢研究所)」ですが、その具体的なサービスである「Dバンク支店」の説明には、「夢やライフスタイルに合わせて欲しい商品を自由に組み立て、買いたいモノ、したいコトを叶える。やりたいことをやろう! 人は基本的には自由だから。」とあります。これこそ、過剰な融資を煽る文言であることは明瞭です。
 このサービスに関連したウェブの記事に、「そうだ、海外に出かけよう!現金が少なくても、スグ旅立てる!?」という極めて直截的なものがあります。ここでは、「旅行費用、どう貯める? みんながやってる4パターン」として、「1.旅行専用の口座に強制的に貯蓄、2.収入が多い月に貯める、3.少しずつコツコツ、4.旅行積立」をあげておきながら、「貯めるのが間に合わないなら、“旅行ローン”という手も」として、一気にローンの営業になるのです。
 確かに、海外旅行においては、「お金の心配よりも、目の前の光景や非日常の時間を優先したいもの」でしょうが、家計規律を無視してまで旅行計画を拡大させ、それをローンで実現しようとすることは、どこまで銀行の社会的責任のもとで許容されるのでしょうか。
 むしろ、「みんながやってる4パターン」こそ、家計規律と夢の実現の均衡を守るものであり、「みんながやってる」とスルガ銀行自身が認めているように、社会常識に適ったものではないでしょうか。そして、これらの4パターンはローンではなくて全て貯蓄であることが注目されます。

「夢に日付を」いれるには、前倒すだけでなく、後に繰り延べる方法もあるわけですね。

 スルガ銀行は日付を前にすること、即ち融資することに圧倒的な力点をおいています。実際、住宅にしても、海外留学にしても、大学卒業前の海外旅行でも、夢の多くはローンで先に実現したほうがいいのです。しかし、なかには後ろに繰り延べることで夢が膨らんでいくこともあるでしょう。そのための金融機能が資産形成です。
 資産形成は、一般に、ある将来の資金使途のために、現在の所得の一部を取り除けて、資金を計画的に積み立てることを意味します。そして、それは、将来の消費という資金使途を通じて、また、現在の消費を抑制することを通じて、生活に深く結びついていますから、計画的な資産形成には家計規律が必要なのです。
 しかし、他方で、過剰に禁欲的な家計規律は、あまりにもお利口さんすぎて、人としての自然な消費性向に反しますし、社会の成長のための人間の活力の発現とも相容れないものです。食事に喩えるならば、食事のおいしさや楽しさよりも、栄養価の計算を先行させるようなもので、むしろ、異常な生き方です。
 現実的には、生活実感をもって現在を生きているなかで、例えば、車を買い替えようとか、旅行をしようとか、浴室を改築しようとか、そういう生活に密着した様々な夢が生まれます。そして、その夢の実現のために家計の工夫が求められてくるのですが、夢への愛着が強ければ強いほど、家計の規律は厳格に保たれて目標達成確率が高くなるでしょう。夢が膨らむというのは、こういう達成へ向けた着実な資産形成の前進のことではないでしょうか。

夢の実現は資産形成、必要の充足は融資ということでしょうか。

 例えば、地方での生活においては車が生活必需品になっている場合が多いので、その車が壊れて使えなくなれば、即座に買い替えるでしょうし、浴室が壊れて使えなくなっても、即座に直すでしょう。そのときに、手元資金に余裕があれば、それを取り崩し、なければ、ローンを組むほかありません。こうして、ローンは、本来は、夢の実現ではなく必要の充足のためにあるのです。
 持家に住みたいというのは確かに夢でしょうが、住むという絶対的必要の充足に対する選択肢として住宅購入と住宅ローンの組み合わせがあるのであって、それが合理的なものとして選択されるためには、家計の条件との適合性がなければならず、その適合性を考慮することこそ、顧客本位にほかならないのです。教育ローンでも、海外留学ローンでも同じことです。
 夢のなかには、家計との均衡のもとで必ず実現させなければならないものがあって、そこに融資を行うことは銀行の社会的責務なのです。それに対して、資産形成というのは、絶対的な必要性ではなくて、より豊かな、より良い、より楽しい生活のためのもの、即ち、夢らしい夢の実現のためにあるのです。

より豊かな生活をローンで一時的に実現すれば、いずれは、より楽しい生活どころか、より苦しい生活が待っているわけですからね。

 短期的な顧客満足では、人を幸せにはできず、人を真に幸せにするためには、長期的な顧客本位に徹するほかないのです。顧客本位で築きあげられたスルガ銀行の価値は、短期的な顧客満足の追求に堕して人を不幸にしたとき、根源的に失われたということです。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/09/28掲載「金融の営業では、お金を語るな、夢を語れ
2017/01/19掲載「顧客満足に反してこその金融
2017/01/12掲載「顧客満足は顧客本位ではない
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。