金融の営業では、お金を語るな、夢を語れ

金融の営業では、お金を語るな、夢を語れ

森本紀行
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融資は、お金の話ではなくて、資金使途である実業の話です。住宅ローンは、お金の話ではなくて、住むことの必要性を充足するための一つの選択肢の話です。ゼロ金利のときに、預金は、お金を貯めるものではなくて、決済手段であり、金庫替りです。生命保険は、お金ではなくて、生活保障です。損害保険は、お金ではなくて、失われたものの填補です。故に、金融の営業で、お金の話をするなかれ。
 
 住宅ローンが欲しい人など、世のなかにいるはずもないのです。欲しいのは住宅であって、住宅ローンは、それを手に入れるための道具にすぎません。消費者ローンも同じことで、買いたいものがあるからこそ、ローンが必要になるだけのことです。要は、個人ローンにおいては、顧客の満足は金融のなかにあるのではなくて、金融によって購入した商品のなかにあるということです。
 さらにいえば、顧客の真の満足は、商品のなかにあるのではなくて、商品の利用、使用、費消によって生じる快楽や効用にあるのですから、顧客自身のなかにあるのです。故に、商品を所有しなくとも商品の利用、使用、費消が可能ならば、ローンは不要になります。ローンは、商品を所有するためにのみ必要だからです。
 
金融には、それ自体としての価値がないということでしょうか。
 
 価値がないというよりも、負の価値があるのです。ですから、金融が実現する正の価値よりも、金融の負の価値が大きいときは、金融は成立しないはずです。例えば、住宅の価値から住宅ローンの価値を控除したとき、ゼロを下回ってしまうと予想されるならば、住宅を購入するよりも借りるほうが合理的ですから、住宅ローンはなりたたないということです。
 このことは、個人ローンに限らず、金融の全ての領域において真実であって、これが実業との対比で金融は虚業であるといわれることの真の意味です。金融は負の価値にすぎない、それを忘れて、金融が自己固有の価値を主張するとき、虚業の分際を批判されるのです。
 
金融が負の価値にすぎないことを、個人ローン以外の他の領域でも示せるでしょうか。
 
 投資信託を使った資産形成には、それ自体としての価値はなく、遠い将来のどこかで、老後生活資金として取り崩され、消費されたときに、価値が生みだされます。また、手元の資金を資産形成に回すということは、現在の消費を放棄し、将来の消費へ繰り延べることですから、そこに負の効用があります。
 そこで、資産形成により、購買力が最低でも保存され、願わくは増大するのでない限り、現在の負の効用が将来の正の効用を上回ることはありませんから、資産形成は意味を失います。逆にいえば、資産形成の期待収益率は、期待物価上昇率を上回らなくてはならないということです。
 生命保険は、保険料を払っている当人が死亡保険金を受けとることはないのですから、保険料の支払いという負の効用があるだけです。正の効用は、遺族の生活を保障できていることに対する安心感ですが、この正の効用が負の効用を上回らないと思う人は、生命保険に入っていないのです。また、遺族の生活保障が別の方法、例えば配偶者や親兄弟の援助でできているのなら、やはり、生命保険は不要なのです。
 企業への融資には金利負担という負の価値がありますが、その資金を企業が事業に投下したときに正の価値を生みます。融資の負の価値が企業活動の生み出す正の価値を下回っているからこそ、資金が借りられて金融がなりたっているのです。
 この関係が逆転することは、理論的には仮定されていないはずで、企業活動から生み出される価値が低下すれば金利も低下することになっているのですが、金利低下とはいってもゼロより下はあり得ないだろうと思っていたら、あり得たという現実は、金融に大きな衝撃を与えずにはいられなかったのです。
 
金融も商業ですから、まさか負の価値を語ることはできない、では、何を語ればいいのでしょうか。
 
 そこは、かっこよく、夢を語れ、というべきでしょう。実際、自分の家をもつことは、未だに多くの人の夢でしょうから、住宅ローンは、夢の実現を支援するものとして、夢の輝きの反射を受けて光るからこそ、顧客には価値あるものに見えるのです。あからさまにいって、価値は、住宅ローンはおろか、住宅にすら内包されておらず、どこまでも顧客の心のなかに生成されるものですから、見えるものにするためには、夢に投影されるしかないのです。
 消費者ローンの多くは、かつては車の購入資金に代表されたように、夢の実現手段だったのです。大衆消費社会の繁栄は、同時に金融の繁栄でもありました。そこでは、明るい未来への展望のもと、商業的に夢がばらまかれ、金融的に夢が購われたのです。特にクレジットカードを媒介にした消費者ローンは、金融の画期的なイノベーションだったわけです。
 その大衆消費の構造が崩れてしまった現代社会を象徴するものは、百貨店の衰退です。百貨店は、日常生活に必要なものを買う場所ではなく、非日常な空間として集客し、そこで消費を刺激する大きな仕掛けだったのですが、もう、そうした古臭い仕掛けに引っかかる人もないのです。消費と金融は表裏一体です。夢に溢れた消費が光を失うとき、影の金融は朧となって消えていくのです。
 
生命保険で、どうしたら夢が語れるのでしょうか。
 
 赤ちゃん保険や子供保険は、昔の売れ筋商品ですが、今でも、人気があるのではないでしょうか。これは、保険とはいっても、子供の成長にあわせた給付金が魅力になるようにしてあって、まさに、親にとって子供の成長こそが夢だから、人気があったのです。
 こうして、子供保険を導入にして、子供が成長して、教育が親の最大の関心事になるころに、万が一に備えた遺族の生活保障として、生命保険を提案していく、これが古典中の古典の生命保険営業の手法だったのです。親にとって子供の成長が夢だから、扶養義務を果たすことも夢となり、その夢の実現手段として生命保険があったというわけです。
 
そうしますと、資産形成では、老後生活の夢を語るということですか。
 
 金融庁が施策に掲げる資産形成は、老後生活資金の長期的な形成を主眼としたものでしょうが、本来は、個人ローンと消費の関係と全く同じで、消費を目的にした計画的な積立として、一般化すべきものです。つまり、金融機能としてみるとき、ローンと資産形成との差は、先に買って後でローンを返すか、先に貯めて後で買うか、それだけの時間軸の差なのです。
 夢の実現は早いほうが楽しいでしょうか。それなら、借りて買いましょう。しかし、夢というのは簡単には実現しないから、夢であるわけで、また、夢は温めているうちに膨らんでいくから、夢であるわけで、それなら、資産形成を工夫して、資産と夢が並行して大きくなっていく過程を楽しみませんか。
 まずは、資産形成を、夢の実現手段として、確立しなければなりません。その先に、老後生活の夢が見えてくるのです。現在の夢をかなえるよりも先に、遠い老後の夢を思い描くなどということは、不自然の極みです。
 
資産形成では、夢ではなくて、老後生活の不安が語られているのかもしれませんね。
 
 かつて、夢をばらまくことで消費を刺激し、経済成長を実現してきたことに対比して、現在、不安をばらまくことで資産形成を刺激しようとし、結果的に消費を抑制させて、経済を低迷させていることは、極めて憂慮すべき事態です。
 金融庁の施策の目的は、貯蓄から資産形成へと題されているように、預貯金や保険に滞留する巨額な国民貯蓄を、投資信託等を経由して資本市場に誘導することで、市場規律による産業界のガバナンス改革を断行して、成長戦略の実現に寄与することにあります。加えて、市場活性化により、形成資産の価格が上昇して、消費が誘発される資産効果も狙っていることは間違いありません。
 しかし、老後生活の不安を梃にしても、金融庁の施策は成功しません。そもそも、貯蓄滞留の背景には、老後生活の不安があるのです。金融庁は、本当は、不安を打ち消すような明るい夢を語るべきです。森信親長官のもとで激変した金融庁ですが、もっと先に進まなくてはいけないのです。
 
ところで、かつて、夢をばらまいたのは商人ですが、現在、不安をばらまいているのは誰でしょうか。
 
 政府は、社会保障改革の必要性を強調するなかで、意図せずして、不安をばらまいています。結果として、成長戦略の阻害要因となっているのですから、極めて残念なことです。もちろん、改革の断行は必要なのですが、それは、老後生活の最低保障を放棄することではなくて、逆に、その保障を確実なものにするために必要な改革として、わかりやすく国民に説明されなければならないのです。
 今の政府のやり方では、老後生活の最低保障を大幅に切り下げないかぎり財政が破綻するとしか聞こえないようになっていて、政府の意図は違うにしても、事実として、不安のばらまきになっていることは否めません。
 さすがに、金融庁は、不安のばらまきには加担していませんが、老後生活資金形成の重要性を強調することは、結果的に、公的年金の補完の必要性をいうのと同じことですから、不安を解消する効果はなく、ましてや、夢を語るには、今のところ、力不足です。
 
しかし、不安のばらまきに対しては、賢く防衛するという合理的反応があり得るのではないでしょうか。
 
 夢をもつことと、賢く暮らすことは、微妙な関係にあるようです。例えば、夢と無駄の微妙な違いです。経済は、夢の実現によっても、無駄使いによっても、成長するでしょう。しかし、無駄使いによる成長は持続可能でしょうか。無駄使いを刺激するカードローンの膨張は持続可能でしょうか。少なくとも金融庁は持続可能だとは思っていないので、カードローンの膨張に強く警鐘を鳴らしてきたのです。
 賢く無駄使いしないことは、消費に抑制的に働くでしょう。実際、消費者が賢くなったことで、かつての大衆消費の構図が崩れてしまったのですし、今後も、消費者は賢くなり続け、シェアリングの賢い利用が普及し、物の生産と販売は更に縮小してしまうのかもしれません。しかし、一方で、賢くも節約された無駄は、他方で、より賢く、より大きな夢の実現に消費されるべきではないでしょうか。
 不安に対して賢く防衛することは、節約するだけのことではなく、節約した余剰を預金しておくことでもなく、それを未来の夢に投資することではないでしょうか。これが金融庁のいう貯蓄から資産形成へということの真の意味だと思われるのですし、投資信託を夢の実現手段として相応しいものに磨き上げること、それが金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーの本質だったはずです。
 
以上

 
 次回更新は、10月5日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/05/11掲載「お金の貯め方改革と生き方改革
2017/04/27掲載「住宅ローンを不要にする住み方改革のすすめ
2016/10/20掲載「投資をおいしく学ぶ
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。