金融界に横行する利益相反を根絶するために

金融界に横行する利益相反を根絶するために

森本紀行
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金融における利益相反とは何か、この本来は自明であるべき問いについては、未だかつて真剣に問われたことがないようです。実際、利益相反の事実が認定されたことなどないのです。しかし、他方では、金融の幅広い領域で、利益相反のおそれのある事態が横行していることについては、常に指摘され続けてきました。さて、金融庁は利益相反のおそれを根絶できるのか。
 
 金融の幅広い領域で利益相反のおそれは蔓延しています。ところが、具体的に利益相反の事実が問題にされることはありません。なぜなら、利益相反のおそれと利益相反自体は異なるものであり、おそれがおそれに止まる限り、利益相反ではないと考えられているからです。しかし、こうした論法は、常識からすれば詭弁のようでもあります。実際、金融の常識、世の非常識といわれるのは、こういうことを指しているのでしょう。
 
おそれとはどういう意味でしょうか。
 
 おそれは可能性の意味だと考えられます。事実、後で触れるように、金融庁は利益相反の可能性という表現を用いています。
 可能性には、二つの意味があるでしょう。一つは、まさに可能性で、利益相反を発生させる温床を形成しているという意味、もう一つは、事実としては利益相反を立証できないが、裏には利益相反の存在を推定させるという意味です。もちろん、より重要なのは後者であって、これは限りなく利益相反そのものに近い状況なのです。
 
では、金融の領域を特定して、具体的な事例を検討しましょう。
 
 具体例としては、企業年金の資産運用における利益相反のおそれが一番いいでしょう。金融庁の森信親長官の発言により、急速に重要な論点に浮上しているからです。
 4月7日に、森長官は、ある講演において、「仮に企業年金が、運用のマンデートを運用会社グループとのリレーションで与えているとすれば、それはフィデューシャリー・デューティーの観点に照らして問題があります」と発言したのです。いうまでもなく、この発言は、「企業年金が、運用のマンデートを運用会社グループとのリレーションで与えている」という事実認識を仮定形で婉曲に表現したものです。
 この講演は資産運用関連の専門家を対象としたものだったので、「運用のマンデート」という特殊な用語が登場しますが、これは運用委託契約のことです。また、「運用会社グループとのリレーション」というのは、企業年金の母体企業がもつ取引先金融機関との親密な関係をいいます。
 つまり、森長官の発言を翻訳すれば、企業年金が資産運用の委託先を選任するに際して、母体企業がもつ金融機関との親密な関係を判断基準とし、その子会社等の投資運用業者を選ぶことはフィデューシャリー・デューティーに反するといっているのです。
 フィデューシャリー・デューティーというのは、もう既に広く知られた概念となりましたが、確認のために一言すれば、専らに顧客のために働くという理念に帰着し、そこに、職務の遂行において自己もしくは第三者の利益を一切顧みないという厳格な忠実義務と、顧客の利益の最大化のために専門家として最善を尽くすという高度な注意義務を含みます。
 企業年金においては、顧客に該当するものは最終受益者、即ち制度の加入員である現役の従業員と、既に退職して年金を受給している人になることはいうまでもありません。
 
要は、森長官は企業年金における利益相反のおそれを指摘しているのですね。
 
 利益相反とは、忠実義務違反のことです。企業年金の社会的重要性からして当然ですが、根拠法である「確定給付企業年金法」は、受益者に対する関係で企業年金の忠実義務を定めています。従って、法律上、企業年金の運営において母体企業の親密金融機関との関係を重視することは、母体企業の利益を図ることとなり、忠実義務に違反するおそれを生じるわけです。
 ところが、日本で伝統的に理解されてきた忠実義務のもとでは、忠実義務違反のおそれは事実としての忠実義務違反とはならないので、森長官が指摘する事態の横行となっているのです。これに対して、フィデューシャリー・デューティーは忠実義務よりも広く深く高度なものですから、忠実義務違反のおそれに止まることも、フィデューシャリー・デューティー違反にはなり得るわけです。
 
企業年金の利益相反のおそれなら、ずっと前から厚生労働省も指摘しているはずですが。
 
 厚生労働省年金局の2002年3月29日の通知に、「確定給付企業年金に係る資産運用関係者の役割及び責任に関するガイドラインについて」というものがあります。これは、監督官庁の立場から、「現行法における「善管注意義務」や「忠実義務」の概念」を、「具体的な行動指針として記述した」ものです。
 そこには、「忠実義務違反のおそれ」として、企業年金の運用委託先に母体企業と緊密な関係にあるものが選ばれている場合があげられています。具体的に考えられているのは、主として、大株主の生命保険会社、その子会社の投資運用業者、借入先の信託銀行、借入先の銀行の子会社の投資運用業者などです。
 この通知は現在でも有効なのですが、森長官の指摘にあるように、全く機能していません。なぜなら、通知は、「忠実義務違反のおそれ」が事実としての忠実義務違反になるためには、運用委託先の選択に際して、母体企業の親密先だという理由以外に合理的な理由がない、不当に運用委託先に有利な契約になっているなどの付帯する事実の立証が必要になるように書かれているからです。
 しかし、現実には、忠実義務違反の事実の立証など、ほぼ不可能です。故に、「忠実義務違反のおそれ」は放置され、結果的に、広範に潜在的な忠実義務違反が許容されているのです。ここには、厚生労働省の怠慢行政もあるのですが、忠実義務違反に関する一般的な理解の限界が露呈している面もあります。
 
だからこそ、森長官は忠実義務を超えるものとして、フィデューシャリー・デューティーを導入したのですね。
 
 フィデューシャリー・デューティーは、3月30日に金融庁が公表した「顧客本位の業務運営に関する原則」として、具体化されています。
 ここには7原則が掲げられているのですが、その第3原則は「利益相反の適切な管理」と題されたもので、「金融事業者は、取引における顧客との利益相反の可能性について正確に把握し、利益相反の可能性がある場合には、当該利益相反を適切に管理すべきである。金融事業者は、そのための具体的な対応方針をあらかじめ策定すべきである」とあります。
 こうして、伝統的な忠実義務に関する理解のもとで放置されてきた利益相反のおそれは、より厳格なフィデューシャリー・デューティーのもとで、利益相反の可能性として、防止に向けた対策が求められるに至ったのです。
 
企業年金は、原則が対象としている金融事業者に含まれるのでしょうか。
 
 金融庁は、「顧客本位の業務運営に関する原則」の策定に際して、対象を特定しないで資産運用関連事業を営むものを幅広く含める趣旨で、金融事業者という言葉を採用したのです。ですから、対象は、法令の根拠に基づいて金融庁が所管する法人に限られず、企業年金も含むと考えることに妨げありません。
 しかも、この原則はソフトローであって、法令に基づいて金融庁が制定した規則等ではありませんから、コンプライ、即ち採択して自己を律する規範とすることも、エクスプレイン、即ち理由を説明して採択しないことも、金融事業者の判断に委ねられているのですから、企業年金基金や母体企業が自らを金融事業者として自覚して自主的にコンプライすることは自由です。もちろん、原則の対象外だと思うなら、コンプライしない理由をエクスプレインすることなく無視することも妨げないでしょう。
 
日本を代表する主力企業のなかで、自主的にコンプライする動きはあるのでしょうか。
 
 残念ながら、少なくとも現時点においては、そうした動きはありません。そもそも、森長官の発言内容を知っている企業経営者など、皆無に近いのでしょう。また、現場の担当者のなかでも、問題意識を持つ人は必ずしも多くありませんし、例外的に改革を考えている人も、経営者の無理解のもとでは行動できないのが現実です。
 しかし、こうした現状は、コーポレートガバナンス・コードの実効性に関する強い疑念を呼び起こします。なぜなら、企業経営者として、その「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」と題された第二章の趣旨を正しく深く理解するならば、企業年金の運営における利益相反のおそれを放置することはできないはずだからです。
 だからこそ、現時点で原則へ積極的にコンプライする企業は、ガバナンス面で一流企業であることを証明できるのです。仮に、それが有名大企業で、大きな社会的反響を呼ぶとしたら、逆に他の企業はガバナンス面で二流であることを証明することになりますから、対応を促されることになります。
 実は、金融庁は、こうした社会の監視が働いて自浄作用が進むことを「見える化」と呼んでいて、行政課題の実現手法に位置付けています。おそらくは、森長官の発言の裏には、企業の自主的な対応についての単なる楽観的な期待を超えて、「見える化」による外圧を働かせる意図もあったのでしょう。
 どちらにしても、企業の対応いかんにかかわらず、金融機関は、当然のこととして、原則にコンプライするわけですから、企業年金における利益相反の可能性は、排除される方向に急速に動いていくのだと考えられます。厚生労働省の無為無策無能無責任が15年間放置したことを、金融庁の森長官は、所管外であるにもかかわらず、極めて巧みに、あっという間に片づけてしまうのでしょう。
 
利益相反の可能性の排除は、企業年金の分野だけでなく、金融の全ての領域で断行されるのですね。
 
 もちろんです。「顧客本位の業務運営に関する原則」は、形式的には、国民の資産形成という施策の延長にあることから、資産運用関連業務を営む金融事業者を対象としていますが、背景にある理念が金融の全ての領域に及ぶことは自明です。
 もしも、この原則の適用を狭い領域に特定して簡単に潜り抜けようと思う金融機関があったら、森長官がいうように、金融庁がおとりつぶしにかかる前に、「見える化」を通じた顧客の離反により、自然淘汰されるでしょうし、確実に淘汰されるべきでしょう。
 金融機関のガバナンスに求められることは、もはや、利益相反の事実を防止する管理態勢の構築ではなくて、より高度に、より厳格に、利益相反の可能性を徹底的に排除する管理態勢の構築になったというわけです。このことを片仮名で象徴的に表現すれば、コンプライアンスからフィデューシャリー・デューティーヘ、となるでしょう。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2017/04/20掲載「ついに金融庁が動くか、年金基金の実態暴露と抜本改革
2015/10/22掲載「総合型企業年金基金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
2015/09/10掲載「厚生年金基金の「フィデューシャリー宣言」
2015/09/03掲載「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。